内装をいくら美しくしても、地下というのは独特の閉塞感が抜けないものだ。窓の代わりに大きな鏡にかけられた豪奢なカーテンは色鮮やかだが、部屋の空気はどこか狭苦しい。

 ソファーに浅く腰をかける少女は向かいに座った男の薦めでコーヒーに口をつける。ミルクも砂糖も入っていないエスプレッソなど彼女が飲めるわけがない。舌に刺さる苦さにすぐさまカップをソーサーに戻してしまったベアトリーチェに、男は目元の皺を深くして笑った。

「だからカプチーノにしなさいと言ったのに、困った子だね」
「美味しそうに飲んでるから、きっと私でも飲める美味しいエスプレッソなんだ!と思ったの……でも、やっぱりダメ。ミルク入れたら、飲めるかな?」
「君が飲めるようになる頃にはきっとソーサーに溢れてるだろうね。カプチーノを持って来させよう」
「……子供だって思った?」
「まさか。レイディ、拗ねた顔も可愛らしい」
「もう、」

 飲めないくせにもう一度カップを持ち上げて顔を隠す少女の愛くるしい姿に、男はまた相好を崩す。鏡の中という誰にも侵されない世界から景色を見下ろすイルーゾォはそれをせせら笑った。

 今日の仕事といえばこの茶番を亡霊のように見ているだけだったが、たった小一時間ですっかりわが身が死体のように感じられる。新人の世話がこんなに退屈で面倒だと知っていたら引き受けたりはしなかったのに、なんて、結局避けられなかったであろう任務に愚痴をこぼした。
 白く心許ない脚がぶらぶらと揺れるのを男が目で追っているという、気付きたくもない事実に気付いたのも憂鬱の元だ。ああ、吐き気がする。

 ギャングと一口に言っても、その種類は一般にイメージされるような荒っぽいことを生業にするチンピラから、市場で店を出していたり、不動産を営んでいたり、政治家を装う構成員まで様々だ。
 今回のターゲットは洗練潔白な表の顔とは裏腹に、黒い噂の多い男。年端もいかぬ少女を薬漬けにしてオモチャにした挙句、うっかり殴り殺したなんていうのは有名な話だった。

 それを考慮すればベアトリーチェにお鉢が回ったのもこれ以上ないというほど適任だが、同じくらい最悪の人選だ。任務補助を申しつける書類にリゾットが握りつぶしたような跡があったのが妙に印象に残っている。上からの指示には誰も逆らえない。

 カプチーノから立ち上る湯気がマシュマロのようなを頬を撫でる。甘くまろやかな香りほどこの少女に調和するものがあるだろうか?ベアトリーチェはジノリの模様のないマグカップを両手で包み、幸せの魔法を夢中で飲み干そうしていた。
 こくりと嚥下するたびに波打つ白い喉に、男はその首をくすぐってやりたくてたまらない。

「そっちは苦くなくて美味しいだろう、バンビーナ?」

 美味しいけど、少し変わった味だ。もう一口マグカップからカプチーノを飲んで、ぽうっと体が暖かくなる感覚を味わった。ところが喉のぬくもりは途端に不快な熱さに変わり、ベアトリーチェは唇を震わせ、しかし弱弱しい声でどうにか「うん」と言った。
 男は長く長く黙し、黄緑かかったヘーゼルが不安を映して揺れるのをただ眺めている。長身の男が席から立ち上がるのを見てベアトリーチェは反射的に後退しようとしたが、体が上手く動かなかった。

「体が小さい分、薬が回るのも早いのかもしれないね……筋肉が痙攣して動けないだろうが、意識が飛ぶようなことはない。安心していい」

 そうしていたいけな瞳が絶望に塗れるのが堪らないのだ!
 しゃらりと滑らかな素材を撫でたあと、ブラウスのボタンに手をかけ、あえて粗暴さは見せず優しく上から順に外していく。ベアトリーチェはまだ何が起こっているのか分からないというように困惑した視線を忙しなく男へ注いだが、やはりいやに柔らかな微笑みだけが返された。

「分からないか?そうだろうな、君のような何も知らない真っ白な絹のシーツに、点々と汚れを残していく様が私は何より楽しみだ」

 男はとても手慣れた様子でチェリーピンクの唇をこじ開け、節くれだった指が小さな舌を掴む。そうなれば構造として口は閉じられなくなってしまうのを熟知しているようだった。ぐいと強く引っ張れば、歯医者が抜歯する器具で舌を抜かれているような馴染みのない痛みがベアトリーチェを襲う。

「ぃ、ひゃ……ッ!いァい!!」
「綺麗な舌だ。君はどこもかしこもまるで赤ん坊のように初々しい」
「う、えぇ……ぇえっ、ええん……ッ!」

 聞く耳を持たない男の態度に、ベアトリーチェは火が付いたようにしゃくり上げ始めた。瞳に輝いていた金色の輪が滲んで深い緑色を帯び、顎ごと持ち上げられているせいで大粒の涙が目尻から耳へと伝って行く。イルーゾォの耳が妙な音を拾ったのは、その時だ。

 ―――パキ、パキパキッ

 鏡の中であるからこそ見えた、その鈍く光るメタルカラー。どこまでも無機質な機械の部品のようなものが次々と男の頭部へと組み込まれていく様は、まさしく「改造」と言わざるを得ない。パーツは甲高い泣き声とともにどんどんと複雑に増していき、これがベアトリーチェのスタンド能力であるとイルーゾォはすぐに気付いた。

 大きな姿鏡から机に置かれた鏡の中へと移動すれば、男に遮られ見えなかった苦しげな嗚咽を漏らすベアトリーチェの姿。イルーゾォの黒い瞳がそれを視認した時、目標を捉えたといわんばかりにパーツが真っ直ぐに鏡へと襲いかかる。
ぞっとうなじの毛が逆立った。

「ッスタンドの侵入は許可しない!」

 ―――ガツンッ!
 咄嗟の言葉に「機械」は阻まれ、鏡の面に向かい恨みがましく繰り返しぶつかってきた。その衝突の勢いたるや凄まじく、何か殺気よりもおぞましい怨念めいたものを感じさせ、イルーゾォは思わず生理的に口元を押さえる。

「何だァ、この能力は……ッ!『相手を自分のいいなりにさせる能力』じゃあなかったのか?何で俺にまで襲ってくる…………まさか、無差別なのか?あいつのスタンドは……!!」

 いや、ベアトリーチェのスタンドは彼女の涙を見た人間にしか発動しない。そして尚且つ害意を持つ者に限定されるのだと、はじめ任務に同行したメローネが断言していたはずだ。
 もちろん自分が同じ暗殺チームである彼女に害意を抱くこともまずないだろうから、と高をくくって鏡から静観していたというのに、これではまるで話が違うじゃあないか。
まさか成長したというのか、この短期間で?

 机からと卓上鏡が落ちた衝撃で、イルーゾォはハッと2人を見た。今や男の頭部はおおよそ人間らしくなく、ロボットと呼んで相違ない姿だった。重みでか徐々に動きが鈍くなっていき、ついに小さな口に突っ込んでいた指が退けられる。ベアトリーチェは解放された舌で真っ先に「―――」と叫んだ。

 マン・イン・ザ・ミラーで男を鏡に引きずり込んだ時には、既に男は自分の首を絞めて事切れていた。




 リゾットは険しい顔で受け取った報告書を見ている。イルーゾォの几帳面な性格を反映するように、その文面や項目は誰よりもびっしりと丁寧に書かれていた。ついでにベアトリーチェに投与された薬の種類の推測まで並んでいる。
 涙を見ないよう手で目を覆った時、とぎれとぎれに「ありがとう」と言った声が耳から離れず、イルーゾォが抱え上げる前に衣服の乱れを整えてやったことは誰も知らない。

「ベアトリーチェのスタンドは『相手をいいなりにする』ものじゃあない。曖昧な言い方で悪いが、おそらく『強制的に愛させる』能力だと思うぜ」

 愛させる、その言葉にリゾットも身に覚えがあった。
 「そうしなければ」という使命感の元ベアトリーチェの手を取り、書類を偽造してまで暗殺チームに入団させたのは何も彼女の命令ではない。全ては彼が自発的に行ったものだった。スタンドが解けたのも偶然に、射程距離から出ただけの話。
 そう考えればしかし、結局ベアトリーチェは実力でパッショーネに入団したことに他ならないのだけれど。

 愛させるとは。愛とは、恋人や配偶者に抱くものだけを指すのではない。親愛、友愛、慈愛、その全てを彼女は受けることができるのかもしれない。情死とも言うように恋愛ほど人を盲目にしやすいものもないが、友のためや恋人のためになど死ねない人間も、家族の為になら命を投げうつこともある。
 ベアトリーチェは男へ「助けて」と言っただけだ。脳味噌が機械だらけになってとっくに狂おしいほど彼女を"愛して"しまっていた男は、愛する少女を害する自分という存在をあっけなく消した。躊躇いも何もなく。

「今後ターゲットから出された食物は極力口にしないように言っておく。ある程度は、避けられないだろうが……御苦労だった、イルーゾォ」
「ああ、それから……今はもう、あいつに害意を持った人間に発動は限定されないらしい」

 助けを待って泣くだけであったはずの羊は、まぎれもなく狩人の一員となったのだ。
リゾットは数秒眉間を押さえたあと、もう一度御苦労だったと呟く。イルーゾォは再び口を開くこともなく踵を返した。


観測者はかく語りき


 その後イルーゾォがなぜかベアトリーチェに世話を焼き、礼を言われるたびに満足げに頷いている姿をメンバーは目撃する。
 何もしていないのに礼を言われることほど居心地の悪いことはないのだ。






今気付いたけどイルーゾォと会話してない。



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