「アタシのママはフランスのロシュシュアール大通りってところから、裕福だったパパの家に住み込みで働きに来たの。本当の名前は知らないけど、写真にはシュザンヌって書いてあった」
「母親の名前を知らないのか?」
「昔は『ママ』としか呼んでなかったんだもの」
「なるほど」

続けてくれ、と。ベッドサイドストーリーにしたって退屈だろうに、じっと耳を傾けてくれるジョニィの穏やかな表情はちょっとだけパパに似ている。それが無性に嬉しくて、シーツの向こう側に置かれた手を見つめながら口を開いた。

「ママはとても自由な人だった。気性が激しくて、恋多き女って感じ。パパとももちろん好き合って結婚したんだけど」

彼女の華やかな恋は父エドワードと結ばれてからも全く精彩を欠かず、画家に音楽家、俳優や学生まで、老いも若きもお構いなしに繰り広げられる恋模様の裏で泣いた人間が何人いるのだろうか。言うまでもなくその中には、彼女の夫の涙も混じっている。
私のママの話は親戚中でタブー扱いになっているから、詳しい話をするのはパパ以外ではジョニイが初めてだ。体感的にも精神的にも、ぐっと距離が近くなった気がするのは気のせいじゃなあない。

「結局、私が7つの時にどこかに行っちゃったわ」
「…………」

ランプから漂うかすかな油の香りと、暖かなオレンジ色の明かりに照らされた薄い金髪がちらちらと揺れる。別に何か気の利いた返事が欲しいってわけじゃあないから、言葉を探しているらしい彼に思わず笑みがこぼれた。


パパの書斎に呼ばれたのはあれが初めてだった。
フローリングは素足に暖かくなく、ベッドのそばにあるはずだった内履きをひっかけようとしたが見当たらない。ベッドから足だけ出すと冷気がつま先を舐めてどうにも布団が恋しいが、走ってしまえは速いと一気に駆けだした。
深い飴色のマホガニーは金色のむらがとても綺麗だったけど、私の小さい手には重くてなかなか開いてくれなくて、パパが見かねて手助けしてくれる。書斎はとても暖かかった。毛の長い絨毯にじんわりと凍えた足が溶けていく。

「寒いだろうに、裸足で……ルームシューズはどうしたんだ?」
「ふンずけられるのがイヤで家出したのかも」
「ああ、お前がよくベッドの下に蹴っ飛ばしてるからね。多分今頃埃だらけで泣いてるだろうな」
「後で助けるもん」

その言い草にパパは笑いながら私を抱き上げ、革張りのソファにぬいぐるみのようにお行儀よく座らせた。私はすぐ意味もなくぱたぱたと足を揺らし、そしてはたと首を傾げる。「なにかお話するの?」パパはまた笑った。

「よく聞くんだよ。…………どうやらママの運命の人は、パパじゃなかったらしいんだ」
「……え?だって、2人は愛し合ってるから結婚したんでしょ?」
「そうだよ、パパ達は真剣に恋をした。だけど―――人の想いは必ずしも永遠じゃない、時には変わってしまうものだ。ママは決して不真面目にそう決めたわけではないし、ショコラにごめんねと言っていたから許してあげてくれ」

パパはソファーの傍に跪いて私を優しく抱きしめた。
許してあげて、と言われても、深いオリーブ色の目元がひどく赤くなっているのだけが焼き付いて離れない。革の冷たい感触が急に嫌になって腰を浮かせ、またなす術もなく座り込んだ。いくつもの感情がお腹の奥からこみあげてきたけど結局一つも言葉にならない。
涙だけがぼろぼろと雄弁に私の感情を示し、短い腕をパパの大きな背中に回す。

「アタシ、大人になっても、ずっとパパを愛してるわ」
「……ああ、俺もだよ」
「大好きだもん!だから、ずっと一緒にいるから、どこかにいったりしないから……」

そこからは喉がひきつって声にならなかったが聡い父には伝わったらしく、寝巻の肩口が冷たく濡れていき、私もパパのシャツをぐしゃぐしゃに濡らしてしまった。

ママに良く似たストロベリーブロンドが自慢だった。今でも優しかった彼女をよく覚えているし、恨んだりする気持ちは無かった。だけど、あの時聞いたパパの小さな嗚咽を忘れることなんてとてもできなかった。


「アタシ、パパをずっと愛してるわ。もちろんジョニイだって愛してる、家族ってそういうものでしょ?いくら離れてても絶対に忘れないもの」
「そう、かもね。僕も小さいころからショコラを愛してるのは変わらないよ」
「今だってママのことは嫌いじゃないけど、パパを悲しませたことだけは許せない。アタシは愛する人を悲しませたりしたくないし、裏切られて傷つきたくなんて、ない……」

視界がぐにゃりと歪んだのをきっかけに枕に顔をうずめる。
寂しくてたまらなくなって、心をどこに置いたらいいのかわからなくなる夜が、私にはたまに訪れる。いつもなら夢路に発つまでパパやジョニイが隣に居てくれるだけで良かったのに、今日は何故だか余計な言葉が溢れてしまった。
部屋に長い長い沈黙が降りる。どこかで鳴いているフクロウの声だけが遠くで響いていた。

どすっと背中に重みがかかる。潰れたカエルのような声が出た。

「……ジョ、ニィ〜〜ッ!重いってばァ、バカッ!ぐすっ」
「泣くのか怒るのかハッキリしなよ、ショコラちゃん」
「フンだ、じゃあ、泣くからっ。バカ、ジョニイのバカァ〜〜ッ、ひっく、う、うぇええ……っ!わぁああん!」
「はいはい、どうどう」

暴れ馬を馴らすように頭を撫でる感触と、ぴったりくっついた暖かさで涙が壊れた蛇口のように止まらなくなった。恋をするのが怖い。恋には終わりがある。私が欲しいのは、終わらない永遠の愛だ。
ぎゅっと瞑った瞼の裏にちらつく、アイスブルーの瞳と少しだけ痛んだ太陽のようなブロンド。永遠とは一体何なのだろうか。

「お前そう言いながらさ、ママが言ってた『運命の人』に憧れてるんだろう?」
「ひっく、ン、うんっ……!」
「ショコラが選んだ運命の人だったら、きっとお前を幸せにしてくれるよ。そうじゃなかったら最悪僕がもらってやるし」
「さ、最悪って、何よォお〜〜っ、ぐす、」

「でも、ありがとう」涙に声を詰まらせながらお礼を言うとジョニイはけらけら笑いながら真っ赤な瞼にキスを落とした。心地よい倦怠感で眠りの気配がすぐそこまで近付いてきている。


ストロベリー・フィールド
ゆっくりおやすみ、どこにもいかないから―――優しい声が夢への切符を切ってどこかへ。手を離さなければ、きっとどこへだって行けるのに。






ストロベリーフィールドの花言葉は「変わらぬ愛」「不朽」「変わらない愛情を永遠に」




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