「なぁ、聞いたか?またDioがさァ」 「Dio?」 「ああ、ディエゴ・ブランドーだよ。知らない?みんなDioってあだ名で呼んでるけど……ショコラ仲いいじゃないか」 「そうそう、何であだ名で呼ばないんだ?」 その問いに彼女は少し考えて首をかしげたあと、結局答えなかった。 お喋り好きな兄弟は目が回るほどぺらぺらと話し続けるから何も気付かない。別に盗み聞きしていたわけじゃない、とディエゴは誰に向けてでもなく心で言い訳をして、店の裏からさっと出て行った。 それがちょうど一週間前。 久し振りに見る愛しの彼女は、眠れる森の美女さながらの愛らしい寝顔だ。ディエゴは柔らかな笑みを唇に乗せたまま優しくその肩を揺すった。 「ショコラ、ショコラ、起きろよ」 すうすうと規則正しい寝息と一緒に、オーバーオールと水着に覆われただけの胸が上下する。ディエゴの声にスリーピングビューティーは反応するどころか、気持ちよさそうに枕にしたバッグに頬を寄せた。 広がる髪の煌びやかなこと。 「ショコラ、こんな所で寝ていたら襲われるぞ」 例えば、花の香りに誘われた蜜蜂。その無防備な肌から匂いたつ少女の純潔は、回りくどく誘うくせに肝心なところは見せやしない。 瑞々しい果実のような唇はとろけそうなくらいにヤワで、指でつつくだけですぐ形を変えた。 「……ショコラ、」 だから言ったのに、と。 意識のない相手に一方的に取り付けた約束は、はなっから成立していないなんて百も承知。彼を後押ししたのは紛れもなく恋心と若さだ。 それは甘い原罪の果実。蛇の誘惑に流されて、彼は、 「DIO」 ぴたり、停止する。 うすく開いた愛おしげな瞳には、ディエゴが映っていた。彼女ははっきりと彼の名を呼んだ。なのに何故、残響する音に喜びを感じない。 彼女は愛する誰かに、あんな目をするのだろうか? 誰を呼んだ? 口付けを受け入れたのは? 苦い味だけが奥歯の上に広がっていた。 「ディエゴ・ブランドーは……Dioは……俺、じゃあ、無いのか?なら俺は一体誰だって言うんだ」 「………ディ、エゴ?」 「なぁ教えてくれ、俺の愛しい人。ディオとは、彼は一体誰なんだ?」 「もしかして泣いてるの、ディエゴ」 「ショコラ」 「泣かないで」 熱いものが流れ出そうな目元にキスをする彼女は、ただ寝ぼけていたのだろうか?夢心地に触れた唇はディエゴの想像したとおり柔らかで、星の海に沈むより切なかった。 いつもなら飛び上がるくらいに嬉しいはずなのに。 「君は、俺を」 「うん」 「Dioと呼ばないんだな」 「だって、ディエゴはディエゴじゃない」 その微笑みが決断を避けていることなど、とうの昔に知っていた! ついに、ディエゴは今までの我慢や、歯止め、或いは優しさというものをこの時一度全て捨て去ってしまった。 まだ身体を倒したままのショコラを強引に持ち上げて横抱きにすると、わあっと驚きの声が上がる。白馬の王子はこんな野蛮なことはしないって?あいにくそんなのは、夢の話だ。 「俺は次開催されるレースで優勝することを誓う、だからその時は―――」 「ま、待って、ねぇ」 「断る。もう俺は充分待ったからなッ!」 挑戦的な笑みは、先ほどまでのディエゴとは全く違う。いや、本来のディエゴとはこういう人間なのだ。それでもショコラにとっては初めて見る眼差しで、どうしてか声が出なくなってしまう。 欲しいものは手に入れる。ただそれだけのシンプルな信念に、アイスブルーは強く光を宿した。 「俺と結婚してくれ」 ああ。 群生するカサブランカの香りが風と共に運ばれてくる。白く高貴な花の雄大な愛と、ウエディングブーケを抱えた無垢な花嫁。ロマンティックを気取るにはいささか腕の力が強すぎる。 顔が林檎のようなのはどうか見過ごして欲しい。 ショコラは一度まばたきをして、返事の代わりにゆっくりとまぶたを閉じた。 ベルと白昼夢 (もう君に触れることに躊躇いたくない!) うっかりDio(DIO)と呼ぶと何故かディエゴに何させても許してしまいそうに気分になるので気をつけてる。 Back |