一歩踏み出す。
彼女はざっと後ずさる。

更に一歩踏み出す。
彼女は尻餅をつきながら、足と手を使ってできるだけ後ろに。

「……シャアッ」
「ひっ……」


威嚇とは言い難い恐竜の小さな鳴き声にも、少女は白い喉をひきつらせた。


ショコラ・ジスター、ケンタッキー州じゃあ悪名高いじゃじゃ馬娘だ。
あの厳ついバイクを乗り回し、相手が50人の屈強な船乗りだろうと構わず“ぶっ放す”彼女が、スケアリー・モンスターズで恐竜化した俺を見て怯えるなど誰が想像するだろうか。

この姿になると獰猛で嗜虐的な気分になりやすいという。そう、長い睫の下でオリーブが涙で塩漬けになっているのが堪らない……なんて感じるくらいには。
また一歩踏み出すと、ショコラは半分脱げかけていたブーツを置いてさらに後ろに下がった。
が、背中には冷たい現実が立ちはだかる。

残念。行き止まりだ。


「ぁ、うぅ……こ、来ないでよォ……!」
「グルルルルル」
「やっ……」


艶めいたつま先が眩しく、恐竜は思わず恍惚と舌なめずりをした。

しかし、ひと粒。

ショコラが堪えるように目を閉じた拍子、浮かんでいた涙が落ちる。その熱い雫に氷河期の分厚い氷が溶けて、人間としての心というものが戻ってくる。


何をやっているんだ俺は。

急速に頭が冷えたと同時に、身体も元の大きさへとするすると縮む。
ああ、馬鹿なことをしてしまった。怯えるショコラがあんまり可愛いものだからつい……。目をつむったまま可哀想なくらい震える肩に罪悪感がじわじわと沸いてくる。


「すまない」
「…………えッ?」
「君がまさかあんなに怯えるなんて思ってもみなかったから……」
「うッ、……っく、……ディ、エゴ?さ、さっきのは?」
「あぁ、もう居な……」


ぎゅっと腰回りに暖かい感触。
体が油をさしていないブリキ人形のように固まり、よくぞ恐竜化を解いたと自分で自分を褒め称える。
迷わず細い肩ときゅうとくびれた腰に優しく、ちゃんと5本指の手を回す。彼女の身体は髪から何までどこもかしこも柔らかった。


「いつものディエゴだ……」
「………くッ!」


とろけそうなくらい安心した声色。抱きつぶしてしまわぬよう力を抑えるのが難しい。


ふっと顔を上げると、人の視覚に戻った目に、ますます自分の理性に感謝しなければならない光景が映った。


「…………」


周りに乱雑に広がったダイナマイト。
あれだけ怯えながら“動くものしか視認できない”という弱点を見抜いたのか、ひっかき傷でもつけていたら今ごろただの肉片になっていたことだろう。いずれにせよ命拾いしたことは確かだ。
ちょうど恐竜になった自分の大きさを取り囲む爆発物に、嫌な汗が背を流れるのを感じた。


「……なんだってそんなに怖いんだ?ショコラなら面白がるくらいに思ってたんだが」


いや、今は忘れよう。
手のひらに触れるホイップクリームのような白い肌を楽しみながら、努めてショコラだけを見つめるようにする。透明感のあるストロベリーレッドがゆっくりと口を開いた。


「小さいころ、毒のあるトカゲが服の中に入ってきて背中を這ったの……ジョニィが取ってくれるまで、動くなって言われて。背中から腰にヒタヒタヒタヒタ……ッ!!」
「(トカゲ……)わかった、もういい……ショコラの前では可能な限り発動させないようにするから」
「……ん、イイよ。許してあげる」


さっきまで泣いたカラスがもう笑った。
ショコラにとってはトカゲも恐竜も同じようなものなのだろう、ちよっとしたこだわりなんて彼女の麗らかな笑顔の前に消え去ってしまった。


ああ本当に、このままさらってしまえたら。



どうかお願いスイーツガール


濡れた目元が酷く愛おしく、そこをくすぐったあと小さくキスをする。彼女は照れ隠しなのか口を尖らせた。
(本当はそのウブで美味そうな唇が食べたいんだ!)






付き合ってない






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