開けっ放しの窓からは、ミッドナイトブルーが覗いている。ランプの光に誘われた羽虫が、緩慢な動きで炎の中へ身を投じた。
 彼女の仮宿の一室、二人きり。充満する酒の匂いは外に流れてもなかなか清浄に戻らない。
 残念ながら今回も、これっぽっちも色っぽいことになっていないのだった。

「だからァ〜!聞いてるの天才ジョッキー!アタシこの前見たの、かなりファットなおばさんがさあ、ひっく、アヒル連れて酒場入ってきたわけェ」
「ふゥン、そう……」
「そしたら酔っぱらったシルヴェスターがさァ、『ダメじゃねえかこんな所にブタなんか連れてきたら』っつったのよォ。そしたら『何よこの酔っ払い!どうしてこれがブタに見えるのよ!』って、そしたらアイツ何て言ったと思う?」
「……何ていったんだ?」
「『オレは今アヒルに話しかけてんだ』って」
「ぶッ……!!」
「I pissed myself!!もォアタシと兄弟でお腹抱えて笑っちゃってさあ〜〜ッ!!!アハハハッ」

 果実酒の甘く熟れたプラムのような香りが、ショコラが笑うたびに漂ってクラクラしそうになる。
 臨場感たっぷりに再現しようとしているのか、少女は腹を両手で抱えてぱたぱたと素足を振った。真っ白な肌にアルコールでほんのり熱を持つ両足が、誘惑するように目の前を泳ぐ。

 他の男の話をするから不機嫌になって、どうしたのなんて可愛い顔が覗き込んでくることを期待していたのに、酔っ払っていても話が上手いので吹き出してしまった。不覚である。
 自分の中にくすぶる不満をわざとらしいくらいに、大きくため息をついて吐き出す。

「君は本当に……ムードってものがないな、全く」
「何よォ、ムードたっぷりじゃない!満点の星空の下、アルコールの香水でうっとりしたら、酒瓶とクラッカーとサラミにダイブ!最高!チキンも欲しいッ!!」
「ああもう、酔っ払いめ!」
「アア?なんだとォ〜〜?」

 ぎらっと悪戯っぽく瞳が光った。四つん這いで後ろ足を引いて獲物を狙う野生動物。ワン!と鳴き真似をしたらそのまま助走をつけて、こちらにダイブしてきた。

「うおォッ!?」
「ワンワンッ!ガルルルル、ガウッ!!」
「こ、ら、このじゃじゃ馬娘め……!」
「チッチッチ………違うわ、野良犬よ!」

 勢いよく重なった柔らかな体を、てんで迷惑でさなそうに退かそうと伸ばした腕に、笑ったまま思い切り歯を立てられてしまった。
 噛みつくのは彼女の癖みたいなもので、犬が骨に何度も噛みつくのと似ている。手首や肩、腕、あますところなく歯形を付けて、最後に首筋の動脈めがけて噛みついた。

「ッ!」

 ふざけているとは承知だったが、この時ばかりは痛みに目をきつくして身体をぐるりと床に押し付ける。瞬間、まん丸く開かれたオリーブと視線がかち合って、何故か肩甲骨がぎくりと強張った。
 いつもは陽気な光を湛えた目は、いっそ不自然なほど暗闇で鈍く明るく光っている。愛してやまないはずの屈託のない瞳にどうして身体中の産毛が逆立つような感覚を覚えるのだろうか。

「……Hello,ショコラ・ジスター?」
「ンー?なにかしらァン」
「いいや、少し様子が変だった。本当に動物みたいだぞ」
「上手いでしょ!あとウーンと、いまね、なんて言うのかしらこういうのって……ヘンな感じなのよ」

 しっくりくる言い回しが見つからないのか、ショコラは依頼の本を棚から探す司書のように指先を宙に遊ばせた。せわしなく動いた視線がぐるりと自分に向いて、心臓が跳ねる。
 白い頬にも負けない歯を見せて笑い、甘い喉にぐるりと獣じみた唸りを乗せて。

「アタシ、ディエゴのこと頭からがぶっと食べちゃいたいって思ったの」

 その台詞には紛れもなく執着が見え隠れしていて、喉がつまった。
 広がった仄暗い喜びすら彼女には酷く似合わないのに、ミスマッチな組み合わせがかえって鮮烈に目に焼き付く。理性が飛んで緩みきった頬と目元が、どうしようもなく気持ちを吸い寄せて。
 思わず。

「……〜〜ッショコラ!」
「ふぁ、いッ………!?」

 かぶりつくように瑞々しい唇にキスをしようとしたら、名前を呼ばれて頭を上げたショコラと勢い余って額をぶつけた。
 元から意識が朦朧としていたのか、目に星を飛ばして、ややあって後ろに倒れそうになった体を慌てて腕を延ばして支えた。すやすやと健やかな寝息。
 ホッと胸をなでおろしてから、どこか自分の中で僅かに別の安心のようなものを感じて、思わず頭を抱えてしまった。

「……有り得ない………!」

 このディエゴ・ブランドーがタイミングを違えて頭をぶつけるなんて、あまつさえ気を失わせてしまうだなんて、眠っている間に唇ひとつ奪うことができないだなんて!
 恨めしく愛しい少女を見ても、豊かなストロベリーブロンドを散らばらせて、穏やかな夢の中だ。結局のところ葛藤しても毛布をかけるしかできない。

 そして情けない自分を寝かしつけることもできずに、ブランデーを煽る夜になるのだった。


ハニーシロップはお好きなだけ

(君の前で恰好がつかないなんて、今更だけど)




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