一閃。 鋭い拳がその身を貫く前に、背を向けていた影はその場から忽然と消えた。ホリィには何が起こったのかさっぱりわからずうろたえていたが、男たちが一様に睨みつける方向をようやく振り返る。 黄金を溶かして一本ずつ糸にしたような見事な黄金色の髪が、微かな月明かりに照らされ揺れていた。 「そう急くな」 心の奥まで流れ込むがごとく優しげで、穏やかな声。厚い雲は羞恥に堪えかねて晴れゆき、薄い闇に覆われて見えなかった男の全貌が現れる。 一人はフィルムに写る姿だけを見たことがある。二人がかつてその恐怖の前に平伏し、そして数人がかりでやっと退けた男。最悪といえば最悪の―――邂逅である。 「DIOォオ……ッ!!」 「……急くなと言っているだろうに」 「待て承太郎ッ!!」 奥歯からぎりりと火花が跳ねる。轟々と燃える炎を腸にぶち込まれたような怒りはもはや、何に対してなのか分からない。 答にすればこれほどまでに明快であった。あの時躊躇った理由などひとつ、妹が選んだ相手とはいえ……目の前にすれば、殴りかからずに居られないだろうということだ。 仲間の制止が無ければ本当に噛みついてきそうな顔を見下ろす、テールコートに身を包んだ男には本物の牙がある。 「お前の態度は尤もだが、本来2人だけで行うはずの式に呼んでやったのだ」 ミッドナイトブルーのジャケッドは夜の光で黒よりもよく映え、燕の尾状に伸びるテールがひらりと翻った。 思わず承太郎達が動きを止めたのは、変わらぬ名状しがたい雰囲気に気圧されたからではない。言葉とアンバランスな表情に絶句していたのだ。 「ありがたく祝福していろ」 そう微笑んだその男のなんと幸福そうなことか! 何も知らなければウィングカラーのシャツも白のタイも違和感なく調和する、敬虔なクリスチャンにでも見えたかもしれない。ポケットチーフは鋭い瞳の色と同じで、女王陛下の仕立屋ハーディ・エイミスの「白は人生に白旗を揚げているようなもの」という声を聞くようだ。 すっかり固まった承太郎たちを余所に、DIOは銀のチェーンが付いた懐中時計を確認したあと、呆然としているホリィを振り返る。恐ろしく迫力のある花婿に彼女はギクリと肩を揺らした。 「あなたが母君だな」 「えっ、あ、はいっ」 「来ていただいて良かった。今日は喜ばしい日だ、きっと彼女もあなたにドレスを見せたいだろうからな」 「……そうね、昭子のウェディングドレスなんて見られないと思ってたから、嬉しいわ!」 その笑顔に昭子の面影を見た気がしてDIOは眩しそうに目を細める。こうして見ると母親にもよく似ている。自分を害した相手へ笑いかけるなどと、彼には生涯得体の知れない精神も。 対して余裕の無い男たちがそんなやり取りに業を煮やして彼女はどこだと聞く前に、DIOは先の教会を指差した。 薄暗い森に木々から月光が差し込み、白い壁をより清廉なものに見せている。マホガニーの重厚な扉の前には、美しい刺繍がほどこされたロングトレーンが波打っていた。 教父・テルトゥリアヌスは、聖書のリベカにならい、処女の花嫁はヴェールをかぶるべきだとした。幾重にも重なった薄い布の奥で、厳粛に閉じられた目と長い睫毛。 "純潔"の証である真っ白のウェディングドレスに身を包んだ少女の、硝子細工のような美しさは何より清らかだ。 「…………昭子、か?」 ハッと見開かれた瞳には、記憶の中のそれよりも遥かに美しいエメラルドグリーンに金色の環が輝いている。 昭子は一度ゆっくりと振り返り、そして淡いオレンジのバラとアースグリーンのブーケを両手で抱えて俯いてしまった。花は少女の憂鬱を包み、夜風に小さく揺れている。 「……承太郎もママも、絶対来てくれないと、思ってたのに」 手の届かないところへ行ってしまったと感じさせたドレス姿から、絞り出された声はまるで小さなころと変わっていない。承太郎はぐっときつく拳を握る。 気付けばホリィは誰よりも早く両手を広げ、まだ若く未熟な花嫁をブーケごと抱きしめていた。 「ママ、」 「……来ないわけないわっ!私の大事な大事な昭子の結婚式なのよ、言いたいことも伝えたいことも怒りたいこともたくさんあったけど、これだけは言わせてちょうだい!」 ―――おめでとう。 その言葉を聞いたとたん、昭子は一粒だけ堪えていた涙をこぼした。華奢な腕を母の背中に強く回す、今年で17歳になる少女の心の全てがそこに詰まっているようだった。 ホリィに続いて一行は昭子の元へと集まってくる。承太郎だけが少しだけ距離のあるところで足を止めていた。 「OH MY GOD!!アンビリーバブルじゃ、ますます嫁に行かせたくなくなっちまった……ああ、大きくなったな昭子」 「今からでも俺がさらってやろうかァ?美人の花嫁さん」 「それはどうかと思うが……本当に綺麗だ。おめでとう、昭子」 「あ、りがとう」 結婚とは祝福されるためにあるのだと言わんばかりに、次々とかけられる暖かな言葉。息が詰まってまともに返事もできなくなりそうだった。 そんな中、ホリィが後ろでまだ石のように黙り込んでいる承太郎を見てくすりと笑う。 「承太郎はね、昭子が心配でしかたないのよ。まったくもう、いつまでも妹離れできない困ったお兄ちゃんねえ」 「ぶっ」 母のあんまりな言い草に涙が引っ込む代わりに吹き出してしまい、一緒に感傷的な気分も飛んで行ってしまった。 「……てめぇら、こっち見てこそこそ笑うんじゃあねえ」 「拗ねないでお兄ちゃん」 「駆け落ちするような不良娘なんぞ俺の妹とは認めん」 「うわ今のすごい父さんに似てた。そっくりだったよね」 「承太郎もだんだん貞夫さんに似てきたわァ」 先ほどまでの麗しい光景はどこへやら。 母と妹がタッグを組んで兄が勝てた試しなどない。完全に2人のペースにハマっている承太郎にポルナレフが「こりゃ勝てねえな」と花京院に耳打ちした。 やっと彼らの知っている飄々とした彼女が戻ってきたような気がして、ジョセフも思わず口元を緩める。しおらしく従順な花嫁など昭子には似合わない。 「で、ほら。承太郎はなんにも言ってくれないわけ?」 「……結婚式なら昼にしろ」 それではいきなり未亡人になってしまう!と昭子は笑ってしまった。 教会から鐘が響きはじめる。木漏れ日ではなく月の光が木々の間から差し込み、正面のステンドグラスが荘厳な光を帯びている。周辺には木ばかりで建物らしい建物は見当たらず、その音色はどこにも遮られず伸びやかに広がった。 結婚式が始まる。 ▼to be continue... Back |