その濡れた頬に唇をよせて、夜明けを待ちたいの。
かわいい人。
おやすみ、とそっけなく告げて自分の横で背を向けて眠る娘との空間。距離にしてたった20p。それが全てを物語っているようで苛々が募り、DIOは睨みつけるように昭子を見た。誰かの所為で自分が悩まされていること自体、あり得ないことであったはずであるのに。
昭子は決してDIOに自分から触れることは無い。受け入れられたのだと一度でも浮かれてしまった自分が酷く滑稽に思えて、苦悩と一緒にどこかに消えてしまえばいいとさえ思った。
まるで見えない境界線を引かれているようなのだ。
触れることは許される。たがその先は……陳腐な言い方をすれば、心と言えば良いのか?それに己が触れることは……
DIOはその時気付いてしまった事実にさらに苛立ち、ぐしゃりと髪を乱した。
許される、だと?
そうだ、私は貴様を得るために、許されるなどと、こんな、醜態を晒しているというのに!まさか貴様はこれより先を―――要求しているというのか?
"それ"を阻むのはDIOの生来の性格であったり、帝王たるプライドであったり様々であるが、いずれにせよ彼には到底出来ない真似であった。それによって全てが崩れてしまうのではないかと、彼が危惧する限り。
闇の中で艶めく黒髪を撫でる。指に絡まることなく流れていく。この上なく望んだ瞬間であった筈なのに、心は一向に満たされない。
ならばいっそ食らいついてしまえばいいと
黒い何かが、囁いた。
本来、口から吸血することはないDIOだったが、昭子の肌を目の前にすると恐ろしく"食欲"が湧くときがある。吸血鬼は夢想した。そのえもいえぬ香の薫り立つ白い首筋に己の鋭い牙を突き立てて、甘美な肉を食い破り、溢れ出す鮮血を啜れば。どれだけの充実を、快感を、絶頂を、獲られるの、か!
その首に食らいつけば
全てが
「DIO」
小さな音が静寂を破り、そして渦巻いていた暗い何かが、消えた。
伸ばしかけた手をそっと鎮め、そしてそのまま、振り返った彼女の頬へ。
いつの間に起きたのか、あるいは最初から起きていたのか。
全てを委ねた幼子のような甘やかな声がもう一度彼を呼ぶと同時に、その唇を吸血鬼が塞ぐ。顎に、頬に、瞼に、何度もキスを落としていく。
ああ、この唇が紡ぐ己の名を聞くこと以上の安らぎは、きっともう訪れない。
そう悟って一滴、涙が零れると、昭子が目を見開いた。
「喜べ、昭子」
「……なに」
「お前に私の心臓をやろう」
DIOはついに負けを認めた。愛しいのだと、もしかしたら彼は言葉にしたのだろうか?彼女にならば、髪も、瞳も、プライドも、心臓さえも捧げてしまってもいいと。柄にもなくそう思ったのだ。たとえ今全てを失ったとしても構わないと思うほど。
そうして驚くほど穏やかに、笑った。
「じゃあ」
DIOは判決を待った。
待って、待って、視線を上げた瞬間。決して自分からは動かない細い腕が首に絡み、濡れた頬へキスを落とした。
「私の心臓はあなたにあげる」
初めて見る笑顔に、DIOは昭子を思い切り抱き締めた。
邪悪なものの鎮め方
やがて愛をかたる唇を塞いで、朝を迎えたいのだ。
いとしい人。
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