闇を一本の糸とする。
 毛糸を鉤針で編むのと同じように、糸を指に絡め、針を通して潜らせる。何度も何度も繰り返し、夕暮れを通り過ぎて、やがて夜が編み上がる。そうしてつくられた柔らかなレースに包まれている。彼に抱きしめられるのは、ロマンティックな言い方をすればそのようなものだ。

 ヴェネツィアの夜は明るい。船着き場で迷わないよう灯された電灯、店先のランプ。星や月の光が届かなくても十分に華やかだ。しかし一歩裏路地に入れば、古びた建物の物言わぬ壁が佇んで心細い。この街の見せる二つの顔が、昭子は好きだった。

「あまり覗き込むな、落ちるぞ」
「でも綺麗だよ」
「濡れてまで見るほどのものか?」

 用水路を深く覗き込んでいる少女の目がきょろりと男を見る。光を離れてなお眩いブロンドの奥で、不思議なほど深い色が、見返したエメラルドを見つめた。相変わらず橋の縁に預けたままの上半身を、細い腰をひょいとすくって男が引き寄せる。昭子は素直に胸に背を預けたまま、DIOの顔を見上げる。
 ゆっくり深呼吸をする。
 息を吸って、吐いて、体の力を抜いた瞬間に腕の力が強まる。この陽気な街の住人たちは一人として、ここに邪悪の化身と言っても過言ではないような吸血鬼が居ることなんて知らないだろう。化け物に完全に身を委ねれば、牙をひそめた唇が肩口に埋まりさえする。それがやはり不思議でならなかったし、可笑しくてくすぐったかった。

「あ!」
「今度は何だ」
「コーヒー買うの忘れた」
「……明日でいいだろう」
「やだよ、朝の分ないもん」

 軽口を叩いて腕からすり抜ける。不満げな顔を横目で見て、昭子が開いた指をちょんと軽く触れさせると、当たり前のように絡み合った。来た道を引き返して暗い路地から抜ける。きらきらと光る街灯と水面が顔を出して、二人を照らす。
 きっと薄暗く優しい夜に抱かれているのは、心地いいのだと分かっている。彼女の魂がそれを知らないはずがなかった。けれど光に透かされて美しく際立つその男の姿が、あまりにも心を捉えて離さないものだから。昭子はこうして彼を引っ張り込むのは自分の役目だと思っていたし、ほんの少し誇らしいとも思っていた。

「あのさあ、コーヒー豆の袋下げてたらすっごいフツーに見えるね、DIOってば……」
「まさかそれを言うためにわざわざ連れてきたのか、お前は」
「やだな。ただの散歩だよ、散歩。楽しいでしょ」
「馬鹿を言うな」
「私はけっこう楽しいよ」

 DIOは面食らった顔のまま手を引かれ、まるで普通の男のように息を小さく漏らして笑いそうになる。昭子が屈託なく笑う。オレンジ色の暖かな光に浮かぶ楽しそうな横顔ひとつで、それも悪くないかと思い直す自分がひどく情けないと思った。
 ほんの少し肌寒くなった風が抜けて、より一層強く握った。手のひらの感触が溶けあって混ざり合い、やがて柔い光が編み上がる。ロマンティックな言い回しは性に合わないので、やはり止めることにする。




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