凪いだ水辺に両足を浸けて、少年がぼんやりと宙を眺めている。涙の跡など残っていないのにその目元はまるで泣きはらしたかのように赤くなっていた。

少年―――パンナコッタ・フーゴは途方に暮れていた。


(どうすればいいだろう)


また思考が一周して戻る。
てっきり組織の者がすぐ来るとばかり思っていたのだが、そんな様子も見られない。
行かなければと思う心とは裏腹に、体は一向に動こうとしなかった。もう随分長い時間そうしていた所為で足が水に溶けてしまったのだろうか。
普段はこんな馬鹿なことは考えないのに、とフーゴは自嘲の笑みを零した。


(あ、)


不意に、力の抜けた足から脱げてしまった靴が片方水に流されていく。

大切に履いていたはずなのに不思議と追いかける気にもならない。ゆっくりと離れていくそれを力のない目で見つめていると、誰かの手が靴をすくい上げた。

美しい、どこか飄々とした女性だ。


「これ、君のでしょ」
「あぁ……はい」
「せっかく良い靴なんだから大事にしたら」


軽やかに投げられた革靴を受け取る。臙脂に近いブラウンの革、中には金糸で「15 anni vecchio Hugo」と刺繍されている。男なら一度は憧れるブランドの、自分では到底手が届かない不釣り合いなもの。

この靴はブチャラティの部下になってからの誕生日、薄汚れたスニーカーを履いていたフーゴに彼がくれたものだった。


ぱちん、と何かがはじけた。


「……ッ!!!」


(僕はどうしてこんな大事なものを―――!)


ばしゃんと水が跳ねる音で、頭のいい彼はハッとする。この靴をくれた人も、祝ってくれた人達も、これよりも大事なものが今は……傍に無いからだ。
そして離れたのは、間違いなく。

途端に歪みそうな視界を強引に正し、ぐっしょりと濡れた金色の文字を見ないように少し乱暴に履いてしまう。


黙って様子を見ていた女性は分かり切っていることを一応確認するような、何となく白々しい台詞回しで首を傾げた。


「おや、もしかしてパンナコッタ・フーゴ?」
「!!」
「やっぱり。私は君の保護を頼まれた者です、よろしく」
「そう、ですか」


手遅れ、という言葉がフーゴの頭をよぎった。


慣れ親しんだはずの美しい水面が嘲笑し、責め苦に似た沈黙が降りる。いや、実際に街は何も変わっていない。全てはフーゴの「罪悪感」という悪魔が見せた妄想だ。


乗り込んだ車の座席から彼女の無防備に揺れる黒髪。何の警戒も無い様子に、フーゴは自分がそれほど無気力状態であることを悟る。


「とりあえず、家に置いたげるけど……これからどうするかは君が決めて。家もアジトももう解体済みみたいだし」
「え?」


思わずノーガードで不意打ちを喰らったような声が出る。
フーゴが顔をあげても未だに事態を飲み込めないうちに、さらに追い打ちをかけるように役者めいた言葉が続いた。


「パッショーネ乗っ取りを企むジョルノ・ジョバァーナの手配した車に乗ったんだから……貴方も立派な裏切り者でしょ」
「……じゃ、じゃあまさか貴女は組織の者では無い……と?」
「そ。まぁ、あっちに戻ったところで彼らの居場所を吐くまで拷問されたあげくに戦わされるだけだろうけどね」


足の甲に杭を打ち込まれたように動けない。
信頼とは、欲望とは、悪意とは……銀貨を握りしめた彼もこんな気分だったのか、予知された未来に何を思ったのだろうか?
だが裏切り者の烙印の痛みは思っていたよりずっと小さい。チームから離れた時よりも、ずっと。その事実から目を逸らすように、彼は語尾を怒らせる。


「僕に、ユダになれっていうのかッ!」
「『最後の誘惑』って映画があってね、イスカリオテのユダはキリストに信頼されていたから裏切り役を引き受けた」


エメラルドグリーンの瞳はかつて尊敬の念を抱いた人物に似すぎている。勇気を与える光を宿す、鮮やかな色。
フーゴは興奮してにわかに浮いた腰をどさっとシートに下ろし、静かな調子で呟いた。


「……ニコス・カザンザキスの小説なら僕も読みました」
「話題作だったからね」
「僕にも……キリストのように選択肢があるっていうのか?何か見えない……別の道が……!!」
「いくらでもあるんじゃない。そうだ、袂を分かれたと思っていた男が実は……とか私は結構好きだよ、王道で」
「……はは、」


確かに。馬鹿馬鹿しいほどありがちな展開が最高だと思ってしまう彼は、確かに『手遅れ』に違いないのだ。まるで目の前に広がっていた迷宮がただの分かれ道に変わったような気分。
ミラー越しに微笑んだ運命の女神へ、フーゴはしっかりと頷いて返した。


フェラガモと正義


「ところで貴女はジョルノの……」
「あぁ、母です」
「はっ……え?母親!?」
「珍しくあの子が頼みごとしてきたと思ったら、急いで男の子を拾ってくれだなんてね」
「拾っ……」


ああ疲れた、と涼しい顔でハンドルを回すその人を見て、あの妙に迫力のある新入りの遺伝子を確かに見たような気がした。





5部でやりたかったこと……フーゴの保護。これ番外編っていうよりも連載の一部?もしかしたら後々置くところ変えるかもしれません。それにしても名前変換がない。








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