遠くで梟が鳴いている。
 手狭な四畳半の部屋に敷かれた布団で、少女が静かな寝息を立てていた。突然災いが降りかかり傷ついた彼女が、やっと安心して寝付いてくれたのは良いことだ。しかし、俺は一体どこで寝るべきか。
 男の一人暮らし、当然布団は一組しかない。幸い初夏なので掛布団がなくとも風邪は引かないだろうが、畳に寝転がって寝るのは流石に身体が痛そうだ。今は穏やかにくうくうと寝息を立てて眠る少女を見れば、寝る場所がないくらい我慢できるが。

「よく寝てるな……」

 閉じられた瞼の下は、泣いたせいでほんのりと赤くなっている。足にかかっているだけの掛け布団を肩までかけてやると、蛍は微かに身じろぎをして丸くなった。布団に柔らかく沈む腕は自分とは比べものになれないほど白く細い。
 そういえば、家に女性が来たのは始めてだ。
 普段は自分しか居ないこの空間に異性がいて、いつも俺が眠っている布団で女の子が無防備に横たわっている。その事実に雷に打たれたように気付いてしまい、一気に体に緊張が走った。

(い、いかん、落ち着け……)

 自分で言うのも悲しいが、生まれてこの方女性にモテたことがない。小学生の頃はよく霊障のせいで虐めの標的になってしまったし、鬼を身体に宿してからはオカルト方面に一辺倒で、当然誰も寄り付きはしなかった。だから正直なところ全く慣れていないのだ。
 意識すると見てしまう。長い睫毛を伏せた寝顔はあどけないが、既に子供とはもう呼べないしなやかさを持っている。しかし―――大人でもない。そういう危うげな雰囲気を蛍は持っている。

(いやいや待て鵺野鳴介!!弱っている女の子を前に何をヨコシマなことを―――しかしこの子も独身の男の家で寝るなんてだな―――そういう話じゃないだろ!!)

 ぐるぐると巡る考えに思わず頭を抱える。俺の気も知らずに眠っている少女が憎くすら感じてきた。いや、蛍くんは悪くない。この子は傷ついた女の子、守るべき相手―――と暗示のように繰り返し、よたつきながら後ずさって襖に手をかける。
 心頭滅却すれば火もまた涼し!
 少女の寝息を背に、押し入れに足をかける。そして尻のポケットから白衣観音経を取り出した俺の表情は、まさしく鬼気迫るものだったことだろう。


▲▼


「うー、ん……」

 窓から差し込んだ朝日に優しく起こされる。緩やかに何度か瞬きをして、まだ見慣れない部屋を視線だけで端から端までぐるりと眺めた。そうしていると幾分頭がはっきりしてくる。そうだ、昨日は確か先生にずいぶん恥ずかしいところを見られてしまったんだった……あれ?
 当の先生がいない。
 棚に置かれた時計を見ればまだ6時台だ。流石にこんな時間から学校に行ってしまったわけではないだろう。身体を起こして伸びをしていると、ふと押入れから何かが聞こえてくることに気付いた。特に何も考えずに襖に手をかけ、一気にガラッと開く。


「南無大慈悲救苦救難広大……」
「ぎゃあああああああ!!!!!」

 ギラギラさせ物凄い形相でお経と唱える人影。真っ暗な押入れで。正座して。寝起きからとんでもないものを目撃して思わず絶叫し、畳にへたへたと尻もちをつく。
 よくみたらその不気味な影は先生で、入ってきた光を眩しがる気力もないのか、目の下に濃い隈をこさえながら力なくこちらを見返した。ばくばくと躍動する心臓をおさえながら、四つん這いで押入れまで近づいていく。驚きすぎて腰が抜けた。

「びっっっくりした!!どどどうしたの先生悪霊でも出たの??!」
「ああ、おはよう蛍くん……いや、男という馬鹿な生き物に取り憑く悪魔を追い払っていただけだ、ははは」
「ま、まさか夜通し……?」

 なんてことだ、そんな大変なことになっていたとは。私は何も気づかずに熟睡して朝までぐっすりだったというのに。しかし悪魔とやらよりも押入れでお経を唱えていた先生のほうが妖怪より怖くてトラウマになりそうだったが、それは口に出さないほうがいいだろう。
 具体的なコメントを差し控えて曖昧に笑って返していると、ぐう、という気の抜けそうな音と共に手袋に包まれた手がお腹をおさえた。今のは先生の腹の虫だったらしく、眉を下げて情けない表情をしている。

「……朝めしにするか」
「あ!なんか作りましょーか?」
「えっほんとに!」

 目の前の疲れた顔がぱっと明るくなった。曰く、一人暮らしだが料理ができないので普段はまともな食事をしておらず、専らカップラーメンを主食としているらしい。見るからに嬉しそうにしている彼の栄養状態は一体大丈夫なのだろうか。
 料理が得意、と豪語するほどではないが、まあそれなりには作れるはず。部屋に片隅にある冷蔵庫に手をかけると、中には予想以上の光景が広がっていた。

「う〜ん、すごい。ほぼ空っぽだね……卵とキャベツちょっとと牛乳と……」

 悲しいくらい食材がない。これが自炊を全くしない男の一人暮らしの現状というものか。今更作れませんといったらウキウキしている先生が落ち込みそうなので、何とか頭をひねりながらやや立て付けの悪い戸棚も覗いてみる。
 中には先刻の話どおり様々な種類のカップラーメンの山と、ビニール袋に包まれた数枚の食パンがあった。そこでやっと脳内のレパートリーに引っかかる食材を発見してあっと声をあげる。

「先生、甘いもの好き?」
「ああ!大好きだ!」
「あははっ」

 甘いものが大好きな男の先生、というのもなんだか笑える。すっかり浮かれている様子につられて笑いながら、早速ボウルに卵を割って溶き、そこに牛乳と砂糖を入れ、食べやすい大きさに切った食パンを浸した。バニラエッセンスがあれば最高だったが、この家にそんなものは期待するべくもない。
 パンをしっかり浸さないといけないので本来時間がかかるのだが、耐熱ボウルごとレンジにかけると片面30秒ほどで一気に染み込むという裏ワザを使う。それから、と興味深そうに私の手元を見ている先生を振り返って首を傾げてみせた。

「バターかマーガリンある?」
「うーん、確かこの前の給食のあまりがあったような」
「…………」

 もしかしてこの食パンも給食か?
 冷蔵庫を漁る後ろ姿を見ながらなんだか目頭が熱くなってきた。もしかしてこの人は給食を最大限生かして食いつないでいるのだろうか。教師とはそこまで厳しい生活を強いられるものなのか。なんて世知辛い。
 アルミ紙に包まれた懐かしい固形のマーガリンをフライパンに落とし、パンと残りの液を入れて中火から弱火でじっくりと焼き上げる。じゅうっと食欲をそそる音。だんだんと部屋に甘い香りが漂ってきた。しばらく待って両面に綺麗に焼き目がついたら、皿にあげて完成だ。

「はーい、今日のクッキングは甘くてとろけるフレンチトーストでーす!お好みで上からお砂糖かけてネっ」
「わーい蛍先生〜!!」
「じゃ、いただきまーす」
「いただきます!」

 小さなテーブルに皿を置き、先生にフォークを渡して向かいに座る。まだ熱々のフレンチトーストにフォークを入れ、一口食べるととたんにじんわりと幸福感が押し寄せてきた。そういえば昨日は色々あって何も口にしていなかったので、実質一日ぶりの食事だ。
 表面はカリッと香ばしく、中はしっかり液が染み込んでいてとろとろとクリーミーで優しい味がした。砂糖は少し控えめだったかもしれないが、寝起きのお腹にはこれくらいがいいだろう。なかなか美味しくできた、と思っていると、先生が涙を浮かべてフォークを握りしめていたので思わずぎょっと目を見開く。

「ううっ、美味い……っ!人の手料理なんて本当にいつぶりだろう……!生きてればいいこともあるもんだな……!」
「そんな大げさな……これくらいいつでも作ってあげるって〜」
「えっ」

 嬉しそうにもう一口と齧り付いた鵺野先生の顔が何故かぽっと赤くなったので、ついつられてこちらも赤くなった。何気なく言った台詞だったが、確かに今のはちょっとプロポーズっぽかったかもしれない。しかし先生はもう大人なのだからこんなことで照れないでいただきたいものである。
 妙に座りが悪くなって足を動かしたあと、フレンチトーストのきれっぱしをフォークでつついて気を紛らわせる。気にしていませんよというポーズで振舞うのすら少し恥ずかしかった。

「そりゃあ、お世話になってるし?お礼としてそれくらいはね?」
「あ、ああ、そうだな!いやあ本当に嬉しいよ、蛍くんは料理上手なんだな。ありがとう」

 にっこり笑われてしまった。
 簡単な手料理くらいでここまで全身で喜ぶだなんて、安上がりというか、なんだか大人の男性なのに可愛い人だと思う。最初は変だと思った眉毛もだんだん愛嬌があるように見えてくるから不思議なものだ。
 まあ、元気になってよかった。
 自分の照れて赤くなった頬を無視しようと思ったが、唇を結んでも熱は引きそうになくて顔をしかめる。しかし先生はまたとても嬉しそうに私の料理を食べるので、結局つられて笑ってしまうのだった。

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