ナナシは自室の寝台で目を覚ました。
 寝起きというものは最悪で、酒を飲み過ぎたのか鈍い頭痛が彼女を苛んでいた。更に言えばその酒のせいで恋人であるメローネと大喧嘩を繰り広げたのだ。最初は普通に楽しく飲んでいたのに、どうしてこうなったと寝ぼけた頭を活性化させるように考える。
 寝台から起き上がり、服を着替えながら「そう言えば」と考えを巡らせた。何か酒の入り混じった感覚のせいで余計な一言というものを言われたような気がする。そして自身も売り言葉に買い言葉というやつで余計な一言というものを言ってしまった気もする。
 普段お互いに言い合いなどしない性質であるのに、昨日の酒には何かおかしいものでもあったのだろうか。

「……は?」

 自室から出てリビングの扉を開けると、そこには昨晩家から叩き出したはずのメローネが食卓テーブルに備え付けられた椅子に座って新聞を読んでいた。
 合鍵を渡していたのだから、入れないことはないとは言え昨日の今日で来ているとは思いもよらず、ナナシは一瞬面食らった表情を取ってしまう。不可解だ、非常に不可解である、それ程に昨日の喧嘩は壮大だったのである。
 メローネは一言も発さず、視線を寄越すことなく新聞の記事に目を落としながら食卓テーブルを指さした。
 そこにはクロワッサンに似た形をしたブリオッシュ生地の甘いパンに、ミネストローネのトマトの香りが空になった胃を刺激する。綺麗に盛り付けられたサラダは手が込んでいた。
 そんな用意を自身はしたことはない、それは即ちメローネが用意したものなのだと自然と理解した。

「……」

 メローネは何も言わない。ただただその用意された食事を指さし続ける。
 それはまるで――いや、まるでなどではない、食え、そう言っているのだ。
 言葉でそう告げればいいじゃない、そう言おうとしてナナシはそう言えば昨日「もう口聞かない」と売り言葉に買い言葉の中で言ったような気がする。メローネもそれにその場の勢いというやつでそれに応じたような気もする。
 それに従っているのか、そう思いながら彼女は少しだけ眉を顰めた。

「ごめんって言ってるつもり?」

 昨日のことを謝りたいという気持ちはあるものの、素直に謝罪のセリフというものが出て来ない。
 だからこそ、こんな刺のある言葉を自然と選んでしまった。ああ、こんなこと言うつもりはなかったのに、そう思いながらもメローネの作った朝食を見、彼に視線を移す。メローネは何も答えない。微動だにせず、新聞に視線を落とし続けている。
 しかし、腹が減っているのは事実であるし、食べ物に罪はない、そんなことを無理やりに理由付けをして、彼女はメローネの向かいの椅子に座った。
 スープスプーンを手に取り、一口含む。
 トマトの酸味と野菜の甘みが空になった胃に染みこんでいくように感じた。それでも、いや、だからこそなのだろうか、その味が酷く空虚なものに感じ取れた。とても美味しいのだ、自分好みの味というもので、付き合いの長いメローネならばわかるものだな、と納得せざるを得ないというものなのだ、だが、それでも、何故なのだろうか。

(……味気ないな)

 その言葉がしっくりと来た。
 しかもメローネの態度を見ると、ボーノだとかグラッツェだなんて言葉が口から出て来るはずもない。
 もくもくと出された朝食を食べ、それが食べ終わった後にコトリとテーブルの上にコーヒーの注がれたカップが置かれた。目を丸くしてメローネの方を見たが、やはり彼はナナシの視線には反応を示さない。何なんだ? そう首を傾げると、視界の端に畳まれた洗濯物が見える。
 今まで彼はこんなことをしたことはなかった。いや、たまに気まぐれで手伝ってくれることはあったが、こんなに完璧にこなしたことなどなかった。親切すぎて気持ちが悪い上に何を企んでいるのかと勘ぐってしまう。

(……あれ?)

 ふと、ひとつの可能性に気付いた。
 その可能性が一番高いのだと思うと自然と口の端が上がる。

「ねえ、メローネ。私に"ありがとう"って言わせようとしてる?」

 メローネは一瞬だけ眉をピクリと動かした。
 よく見てみると新聞を読んでいるはずなのに、メローネの視線は全く動いていなかったのだ。新聞を読むならばもっと記事を追うような視線の動きをするはずなのである。それでもメローネは言葉を発さず、じっと新聞に目を落とし続ける。
 正直いつもはメローネばかりが無駄に喋っている状態が自身たちであったので、この状況は非常に調子が狂う。メローネが視線をきょろりと気不味そうに動かし、ようやくナナシの方に視線を向けた。
 ここまでナナシに対し甲斐甲斐しい様子を見せているのも、メローネはナナシにありがとうと言わせ、それを仲直りに合図としたいのだ。あそこまでの盛大な喧嘩というものを経ると、自身から謝りにくく感じてしまったのだろう。これが精一杯の彼の歩み寄りというものなのかもしれないと考えると、なんだか酷く可愛らしく思えてしまった。

「ありがとうって、さ……そう言って欲しいんでしょ?」

 顔に笑みを浮かべてそう言ったものだから、メローネは再び眉を動かし、視線を動かす。表情を歪めて、何も答えない。
 おそらくもう意地のようなものになっているのだろう。ナナシが『ありがとう』という言葉を言わない限りはメローネは話さないと、もう後に戻れなくなっているのかもしれない。
 やれやれ、仕方ないなと思いナナシは肩を竦めた。

「メローネ、ありがと……」

 『う』という言葉を続ける前に、ナナシの後頭部にメローネの腕が回され、テーブル越しに互いの唇が触れた。ほんの少し、リップ音が聞こえ、なんだかナナシは無性に恥ずかしくなる思いがしたが、メローネは片方の口の端を上げる。ペロリと自身の上唇を舐めた。嬉しそうな、そして満足そうな表情でもあった。

「どういたしまして」

 そう言ってメローネはナナシの傍まで来ると、ナナシの首筋に口付けた。
 ああ、嬉しかったのだな。そう思えて、考えを巡らせると、昨日メローネが女のくせに言葉が足りていないだとか、言っていたことを思い出してしまった。言葉が足りていなかったのか、そう思うと途端にこの男が可愛く思えてしまった。
 少しは思っていることを伝えなければな、と考えながらもメローネの頬にキスをした。


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