じゃんけんぽん!
 輪になって一斉に手を出す。何度かのあいこを繰り返したあと、承太郎とジョセフと花京院がグー、ポルナレフと昭子がチョキを出し勝負はすぐに決した。少女がハサミの形にした自身の手を見てため息をつき、ジョセフがグーをそのままガッツポーズに変えて悪戯っぽく笑う。

「今回の買い出し係は二人じゃな!」

 SPW財団からの援助もあることはあるが、旅の道中でそう何度も落ち合うわけにはいかない。よって必要な食料は先々で買いだめをすることが多く、その決定方法は大抵じゃんけんで決められる。昭子が買い出し係になるのはこれが初めてだった。承太郎はスタープラチナの使用を禁じられているため、今のところ勝敗は五分五分だ。

「お前、荷物持てるのか?」と承太郎が昭子に言った。かといって代わる気はなさそうだが。
「大丈夫大丈夫、ポルナレフは女の子に優しい紳士だから」
「持つ気ナシかよ!」


死神(Death)


 市場へ行く道中「絶対に荷物を持たせてやる」と豪語していたポルナレフは、人のごった返す迷路のような市場に着いた途端彼女を守るように道を先導したし、飲み物や缶詰という重いものは自然に自分で抱えて昭子にはパンなどの軽いものしか持たせなかった。
 彼がこうして所謂レディー扱いしてくる度に昭子は少々恥ずかしくなるのだが、荷物を持たせろと申し出るよりはにかんだ笑みで「ありがとう」と言われるほうがポルナレフは満足らしかった。お国柄というやつだろうか。

 ヤブリーン村の外れに戻ると、セスナで待っているはずの3人が足止めを喰らっていた。ジョセフが男と必死の交渉をしている。何やら揉めているらしい。
 合流して輪に加われば、話の中心はどうやら汗をかいて震える赤ん坊のようだった。この村には医者はいないらしく、ジョセフが購入したはずのセスナは病院へ行くという話だ。赤ん坊を抱える母親の困った顔を横目で見ながらそれを聞いた昭子が花京院に荷物を預けた。

「大変、病院ってどこ?私が先に連れて行こうか?」
「おお、それがいいかもしれん」

 子供一人なら抱えて瞬間移動しても大した負担にはならないはずだし、病院へ行くならそれが最短ルートだ。何なら母親も連れて行けばいい。男は突然わけのわからないことを言い出した東洋人の女を怪訝そうに見たが、こればかりは説明しようがないので無視した。
 ともかく母親に了承を得ようとして歩み寄ると、赤ん坊が突然火が付いたように泣きはじめた。まるで絶叫するように上がった高い声に昭子は明るい緑色の目を丸くする。

「あらら、嫌われちゃった?怖いことしないよ、ごめんね」

 しかし周りの男たちほど動揺せずに肩を竦め、人懐こい笑みで赤ん坊の小さな手をちょいちょいと触った。意外に子供好きらしい。体調が悪く不安定な中、母親から引き離されると思って怖がらせてしまったのかもしれないと、昭子はあっさり先程の提案を断念した。

「あの、こうしてはどうでしょう?そちらの方々に赤ちゃんを街の病院へ連れていってもらうというのは」
「え?」
「ばかな!我々の危険な旅に赤ん坊を同行させるわけにはいかん!」
「しかしよォ、上空を100kmで飛ぶセスナに「スタンド」を届かせる追手なんていないだろうぜ」
「う、う〜む……承太郎、花京院、おまえらどう思う?」
「赤ん坊の母親の意見をとるしかなさそーだな。おれはスタンドよりじじいの操縦の方が心配だがね」

 女性から優しく両手を差し出された昭子は体温の高い赤ん坊を慎重に受け取って抱える。子供はすっかり落ち着いた様子で、今度はぐずることもなく腕に収まってくれた。昭子は楽しそうに赤ん坊の柔らかい頬をつついている。世話は彼女がしてくれそうだ。
 まだ重い荷物を持ったままのポルナレフがそうと決まったなら、と昭子の背を押してセスナに忙しなく乗り込んだ。承太郎と花京院もため息をつきながらそれに続く。男と少し話したあと操縦席にジョセフが乗り込み、いよいよセスナはエジプトに向けて出発した。

「ジョースターさん、すまねーが少し眠らせてもらうぜ……」
「すみませんが、僕も……」

 空の旅が始まって数十分、心地いい揺れのせいか花京院とポルナレフが既に船を漕ぎながらそう告げた。花京院は特に夢見が悪かったという話だからぐっすり寝れずに疲れが溜まっているのだろう。赤ん坊もオシメを代えられてからは籐の籠の中で大人しく眠っている。
 籠を左右に時たま揺らしながら、昭子は何気なくポルナレフが抱えてきた紙袋の中身を見た。時間がなかったのでチョイスは任せていたのだが、中身はボトルに入った飲み物に簡易レトルト食品やドライフルーツ、缶詰……と確認していた昭子の目がぎょっと見開かれた。

「ちょっと、ポルナレフ起きて!」
「う……うう〜ん」
「ねえこれちゃんと見て買ったの?もう消費期限過ぎてるって保存食の意味ないじゃん。どうりで安く済んだと思った!」
「うーん、なんかスゴク恐ろしい夢を見た気がするんだが……思い出せないな」
「コンビーフ尽くしの悪夢?」

 まだ寝ぼけた返事をする間抜けなフランス人にピシッとデコピンをしてコンビーフを2、3個押し付ける。まだ食べられるかはポルナレフに試させるとして(当然の義務といえる)ここから暫く食事がこの缶詰中心になることは避けられまい。あいにくコンビーフが好きではない者には地獄のような話だ。
 なるべく男どもに食わせよう、と昭子は心の中で決意して紙袋に缶詰を戻した。承太郎やジョセフはともかく花京院は食べられただろうか、と顔を上げると、彼はなぜか酷く魘されていた。表情は強張って汗をかき、瞼の中で眼球が左右に動いている。そして首を苦しげに振ったかと思うと、突然手足を大きく動かしはじめた。

「やめろッやめてくれッ!!」
「うわっ!」

 そばを掠めた花京院の腕に飛び退いて間一髪避ける。しかし暴れるのを止めようとしない彼の足が前の席の操縦桿を蹴飛ばし、機体は大きく揺れた。慌てて赤ん坊の籠を抱えるが、やがてセスナはキリモミ回転を始めて中身はシェイクされる。

「ちょ、ちょっとちょっと……」
「なにをやってんだジョースターさん!」
「早く立て直せ!」
「落ち着けッ!わしはパニックを知らん男だ、今やっとるだろーが!」

 機内はまさしく恐慌状態だ。未だ手足を痙攣させばたつかせる花京院をポルナレフが力ずくで抑えている。その学ランの袖口からふと赤い血が滴ってことに気を取られ、昭子は再びがくんと傾いた機体の壁に強く頭を打ち付けた。
 瞬間、ブラックアウト。
 そのとき……昭子は確かに見た。アンリ・マティスの絵画の世界に似た目も眩む色彩の中で、巨大な鎌を持ち、不気味に笑みを浮かべる死神の姿を――――。

「おい昭子ッ!昭子!目を覚ませ、トリックスターで脱出するんだ!」
「っ!!」

 ハッと意識が戻る。
 ぐらぐらと揺れる脳味噌をなんとか立ち直し、慌てて全員の手を握る。窓から見える砂漠に瞬間移動することを強くイメージする。いつも胃がひっくり返るような感覚が一瞬訪れたはずなのに、5人は変わらずセスナの中だった。まさか、トリックスターが発動しない!不発だ!

「で……できない!何で?!」
「なに?!」

 血の気の引いた孫娘の顔を横目で見ながら、ジョセフは歯を食いしばった渾身の力でハンドルを引いた。地面に頭から突っ込むまであと数秒だったセスナは、その操作でなんとか水平になり制御を取り戻した。
 まさに間一髪!
 と、喜んだのもつかの間。立て直した機体の真正面には、背の高いヤシの木が眼前に待ち構えていた。

「な、なんでこんなところにヤシの木あるの……?」

 父をパイロットに持つはずの男の皮肉な運命か、あるいは太古の怪物の呪いか。ジョセフ・ジョースターの何回目かの空の旅は、やはり無事にとはいかず―――頑丈な木肌にセスナはあえなく激突する。機体が空中で分解し、ジョセフを操縦席にしっかりと繋ぎとめていたシートベルトは無残に千切れて外れた。
 そのとき、昭子に感覚が戻る。
 夢中で祖父に手を伸ばし、全員の体が繋がっていることを確認したと同時に発動する。視界が二重にぶれた。エンジンの爆発音を遠いバックに、柔らかい砂の上にドサッと尻餅をついた。

「し……死ぬかと思った……」

 冷や汗で背中が冷たい。ヤシの木とセスナが炎上し、ガソリンの刺激的な嫌な臭いが離れたこちらまで漂ってきて、全員が助かったと手足を砂漠に投げ出したのだった。


▲▼


「花京院!一体どうしちまったんだ、こうなったのはお前のせいだぞ!」
「す、すまない……」

 ポルナレフに激しく追求されて花京院は頭を抱えている。曰く、ひどく恐ろしい夢を見たような気がするが、内容は思い出せないということらしい。無意識の行動をそれ以上責めようもなく、ジョセフはポルナレフをまあまあと諌めている。
 昭子はさっき強く頭をぶつけたせいか酷い頭痛に襲われ、隣にいた承太郎に赤ん坊の籠をバトンタッチする。砂場に広げた寝袋の上にごろんと寝転んでいると花京院がまだ青い顔で二人に歩み寄ってきた。

「二人もすまなかった。昭子、ぶつけたところは大丈夫かい」
「あー、コブにはなってないから平気。熱はさがったみたいだから赤ちゃんのことヨロシク。おじいちゃんはあやすの上手いよ」

 気にするなと軽く手を降って促したつもりだったが、花京院は相変わらず神妙な顔で赤ん坊の籠を持って行った。じっと目を閉じて痛みに集中していると、あの瞬間の様々な記憶が蘇る。気になるのはスタンドの不発があったことだ。しかし瞬間移動した時の疲労は少し残っている。スタンドの力が単純に未熟である、とも言えるかもしれないが、どこかひっかかった。
 セスナの残骸から生き残った荷物を拾ってきた承太郎が、無表情で目を閉じる昭子の懊悩を見透かしたように眉を寄せる。頑強そうな形のいい指が、青白い鼻すじを軽く摘まんだ。ぱちりと少女が目を開ける。

「いいか、この際だから言っとくぜ。"お前は戦う必要はない"んだ」
「……そりゃあ、できるなら、私も戦いたくないんだけどさ」

 スティーリー・ダンに腹を蹴られたときのことを思い出せば、また屈辱と痛みと恐怖が蘇るようだった。戦うということは立ち向かうことで、選ぶということは他を排するということだ。選択は痛みを伴う。だから昭子は何かを決めるのが苦手だった。
 不可能ならば良い。いっそスタンドなど自身に備わっていなかったのなら無事を祈ることに徹することができただろう。けれど「自分ならば助けられたはずの場面」を何もせず見ているのはとても辛い。結局は、自分のスタンドをまだちゃんと理解していないことが問題なのだ。

「この赤ん坊はただの赤ん坊じゃない!」

 花京院の吐くような叫び声に思案は中断され、二人はぱっと顔を上げる。ミルクパンでベビーフードを作るジョセフと横のポルナレフもぽかんとして花京院を見ている。彼は赤ん坊を指差しながら、今この子供がサソリを殺したのだと鬼気迫る表情で訴えていた。
 もしそれが事実だとしたら、生後10ヶ月ほどの赤ん坊がサソリのことを刺されたら危険な生き物だと理解していて、さらには撃退法すら知っていたことになる。花京院も自身の話の突拍子のなさは自覚しているのか、証拠を探し出そうとして赤ん坊の籠を漁り始めたが、出てくるのはくたびれたマットと毛布だけだ。

「いない……本当です!どこに隠したんだ!服の中かッ!」
「花京院、ちょっと落ち着いて」
「もういい!やめなさい!」

 彼は赤ん坊の衣服に手をかけるが、瞳を不安に揺らがせる子供の様子に見るに見兼ねてジョセフがそれを制した。花京院の必死の形相は迫力があり、さらにセスナで突然暴れ出した不可解な一件もあいまって、彼が精神的に疲れて判断力を失っているのではないかと思わせるには十分だった。
 花京院は自分に注がれる訝しげな視線に、さらに声を荒げて訴える。

「今ぼくは確信したんです!そいつはスタンド使いだ!見てください、この腕の傷を!この文字を!」

 花京院は服の袖を捲って腕を見せた。そこにはなんとまだ血の乾き切らない傷で文字が刻まれている。生々しい切り傷のグロテスクさに無表情を貫いていた昭子もやや頬を引きつらせ、あまりの異様さに全員が一歩後ずさる。
 さらに並んだ血文字のアルファベットは、ちょうど腕時計をつける向き―――即ち彼の顔のほうを向いて刻まれているということに承太郎が気付いた。

「花京院……その腕の傷は自分で……切ったのか?」
「え?」

 不思議そうな声が上がる。
 彼自身はっきりとした覚えがないらしい。それだけの傷であるなら相当な痛みがあっただろうに、何故負ったのかは分からない。彼が自分でやったとしたら、それは……。
 思わず息を飲んで言葉を失った仲間たちの表情に、花京院は顔を顰めて言葉による説得を諦めたようだった。そして瞳が覚悟めいた色を帯び、赤ん坊を抱く昭子の腕にハイエロファントグリーンの触手が目にも留まらぬ速さで滑り込む。赤ん坊が宙を舞い声ならぬ悲鳴が上がる。花京院が子供に手をかける一瞬前、ポルナレフが鋭く彼の首裏を打ち付けて制した。

 ハイエロファントグリーンの手から逃れた小さな体がオアシスに落ちる。昭子はまずい、と無我夢中で両手を伸ばすと、一瞬で赤ん坊と大量の水が腕に戻ってきた。

「……サイテー……」

 自慢の黒髪と制服から水を滴らせ、少女は恨みがましそうに呟く。
ともかく、赤ん坊は大事なさそうで良かった。子供の背をトントンと叩いて息をつき、気絶して倒れ込む花京院を暫し見下ろした。苦悶の表情で唇の端からちらりと血を覗かせている。昭子は顔を背け、濡れた服を替えて赤ん坊を再び籠に寝かせた。
 彼はもう旅を続けることはできないのか。明日からどうすべきだろうか。不穏な空気が漂う中、全員が寝袋に包まり、砂漠の夜はさらに更けていった。


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