闇から闇へ。
 目を薄く開けば、ほんの少しだけ開いた隙間から日が差し込んでいる。ここは礼拝堂ではなく音楽室のピアノの中だ。ぼんやりとそれを見つめたあと、感覚だけで『朝』を感じる。豊かな睫毛を瞬かせて、自身の髪をくしゃくしゃとかき混ぜる。その長さが先ほどより『短い』と気づいて、安心した様子でまた胎児のように丸まる。

「なぁんだ、『夢』かあ……」

 瞼の裏にある残像を追い出し、そういえば何をしようとしていたんだっけとピィチは考える。けれど結局何も思い出せない。寝転んでいるうちに瞼がまたとろとろと重く落ちてきて、日差しに背を向けて眠りはじめた。
 遮断されたピアノの中には届かない。水を伝って少年の腕を無残に焼く、激しい漏電のスパークすらも。

「『水を……こ、こぼしてしまった………』」

 少年は両腕に酷い火傷を負い、電気ショックで痙攣している。それでも必死に身体を動かして出入り口へと近づこうとするが、また電気を帯びた水に触れてしまう!

「うわああああ!!……そ、そうだ、『コンセントを抜かないと』………『徐倫お姉ちゃんに会いに行けない』!『徐倫おねえちゃんに伝えなくてはいけないことがある』……ッ!!」


▲▼


 『JAIL HOUSE LOCK』―――新たな記憶は3つまでしか覚えられない。
 網タイツに包まれた長い足で娯楽室から走り出したのはミュッチャー・ミューラー、通称をミューミュー……グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所の主任看守を若くして勤める彼女は、自身のスタンドに絶対の自信を持っていた。何故ならどんなに凶悪な犯罪者さえも、彼女の作り出す牢獄を抜け出した者はいないからだ。
 後ろから追ってくる空条徐倫という囚人は、入所してからというもの問題を立て続けに起こしている。しかしいかに厄介なスタンドを持っているとはいえ、ジェイル・ハウス・ロックの術中にはまったならばもはや敵ではない。

(追われているのはお前だ、空条徐倫!さあ、『エンポリオ』のところまで案内してもらうぞ!)

 彼女が口走った男の名前。男囚にも看守にも該当する人物はいなかった。ミューミューはその名を二度見聞きしている。徐倫の腕に書かれていたメモ書き、それからもう一回は―――面会室より先の鉄格子に触れた囚人の口からだった。



 時は空条徐倫が脱獄を試みた2日前までさかのぼる。その囚人はあたかも先ほど独房を訪れたミューミューのように、ヒールを鳴らしてゆっくりと歩いてきたのだ。

「エンポリオを探してるのォ、どこにいるのかなァ〜〜〜」
「……一体どうやってここまで」
「あれぇ?ん〜〜?なんで居ないンだろ?あなた知らなぁい?」
「警告するわ。鉄格子に触れたら、あんたは死に近付くことになる」

 FE20991、ピィチ・ジョン。世間を騒がせた殺人鬼で、同室のキッド・キュー殺害、脱獄の容疑をかけられるも不問。まともな会話はほとんど成立しない。
 ミューミューの頭に囚人の情報が駆け巡る。話を聞いているのかいないのか、女は周囲を見渡しては首を傾げ、そうして警告を無視して不用意に鉄格子に触れた。するとその瞬間に「地獄の門番」が顔を出した。

「『JAIL HOUSE LOCK』!」

 ちょうど良い機会だ。この厄介な殺人鬼も刑務所に縛り付けておいた方がいいだろう。それがここのルールであり、彼女の仕事であり、そして世の為だ。
 ガシャン、錠が下ろされる。
 ピィチ・ジョンは鉄格子から素直に離れ、目の前の監獄に倒れる一人の少女を見下ろした。首の付け根には星形の痣。気を失っているようだ。何度か瞬きをしたあと、またきょろきょろと頭を動かし、ミューミューとは一度も目を合わすことなく去っていった―――。



(あの女も口にしていた「エンポリオ」という人物……脱獄の意思がある囚人をサポートしているとでもいうのか?空条徐倫とピィチ・ジョンに直接の接点はないはずだ……!)

 無線機に囚人が通路に出ていると連絡が入る。未だにLEVEL4の警備は解かれていない。看守に追い詰められた徐倫は必ずその「エンポリオ」に会いに行くはずだというミューミューの予想通り、囚人は自身のスタンドを用いながら追手をかわし、階段へと降りていく。
 そして見た。踊り場の壁の継ぎ目へと吸い込まれていく徐倫。驚きながら続いて慎重に中を覗き込めば、そこには10歳程度と思しき少年と徐倫が焦ったように会話をしていた。

(子供!?子供が「脱獄囚」の協力者?この隠された部屋で生活していたのか!)

 本来ならば、一度ジェイル・ハウス・ロックをかけた者をわざわざ構うことはない。彼女の仕事はあくまで囚人を刑務所に閉じ込めておくことだ。しかしパソコンの画面に映った自分の写真を見つけたとあって、ミューミューは顔色を冷たく変えた。
 そして身体を壁に滑り込ませ、囚人に再びその顔を見せる。

「そいつがあの時……わたしの顔と名前を見聞きしていたのか。普通なら放っておく……だが『記録される』のでは話は別だ!」
「きさまはッ!」
「脱獄囚とみなすッ!!」

 ミューミューは太もものガンホルダーから銃を取り出し、素早く連射する。徐倫の『ストーン・フリー』は難なく弾丸を弾いた。だが、彼女は未だ敵のスタンドの手の内。同時に放たれた4発の弾丸のうち、最後の1発はどこに飛んだのか視認できない。
 ミューミューの狙いは初めから囚人ではなかった。パソコンの液晶画面目掛けたそれは、そのまま少年の肩口を貫き、画面が割れる。写真は消えてしまう。
 少年が血を吐く。徐倫が振り返り絶叫した。

「こんなところになぜ「部屋」があり、なぜそんな子供がいるのかは知らないが……これでそいつが掴んだ「記録」は消え去った!!」
「て……てめーーは絶対に許さねえーーーーーーッ!!」

 弾丸は再び放たれ、糸と拳がそれを辛うじて弾く。エンポリオは遠のきかけた意識の中、身体がぶつかった衝撃でCDプレイヤーが「ON」になったことに気付いた。ドラムの音が微かに響きはじめている。少年の指はほとんど本能的に「ボリューム」を最大に絞った。
 音楽室に響く轟音。二人の意識が音に一瞬捉われる。

 ピアノの天井が勢いよく開いた。

「なッ なんだッ!?」

 看守の銃が反射的にピアノに向けられる。棺から重力を感じさせずに起きる吸血鬼のごとく、血のような赤毛が起き上がった。一対の瞳は興奮に揺らめき、突然乱入した人物に音楽室は騒然となる。
 ―――ピィチ・ジョン!
 やはりこの殺人鬼は空条徐倫と繋がっていたのかと引き金に指をかけるが、徐倫本人すらも状況についていけていないようだった。この場において事態を把握しているのは、真っ先に声を上げたエンポリオだけだ。

「ピィチ!その網タイツがダンスしてくれるってさ!」
「!?」
「……ワァ〜〜〜オ!!!ほんとほんとほんと!?シング・シング・シングなんて全く本当にとっても、とってもとってもと〜〜〜〜〜ってもHOTだわァッ!!」

 女は不自然なまでのハイ・テンションで両頬を押さえてミューミューに近づく。寝癖のようにトップの浮いたショートヘア。看守は焦りを隠して銃を構え、そして女の目を見ながらその銃を床に投げ捨てた。

「………え?」
「そうよねェ、ダンスに銃なんていらないわ!!必要なのはパッションとリズムとイマジネーション!男役する?ワタシがする?ねえねえねえェ〜〜〜っ!」

 “なぜわたしは銃を捨てた”?
 動揺による硬直はタイムラグを生む。いつのまにか傍に来ていた女の手がミューミューの腕をとり、クレーン車のような腕力で音楽室に引っ張り込んだ。スウィングジャズのスタンダード・ナンバー「シング・シング・シング」。躍動感のあるトロンボーンとトランペットの掛け合いの中、宣言通りステップが始まる。
 ミュッチャー・ミューラーの能力への絶対の自信は、誰も自分に敵わなかったという経験則から積み上げられたものだ。故に想定外の反撃、不測の事態によって脆くも崩されたそれは、いとも簡単に彼女を動乱させた。

「離せェーーーーーッ!!!わたしに、わたしに、わたしにわたしに触るなァーーーーーッ!!!」

 走る悪寒が身体を動かす。
 全力の抵抗で殺人鬼の指先から辛くも逃れ、ミューミューはすぐに踵を返して音楽室から逃げ出そうとする。この場を乗り切ればこの場の全員が自分を永久に忘れる。逃亡は勝利だ。
 しかし―――階段に向かうその場所には既に、獲物を狙う鷹よりも鋭い視線が待ち構えていた。
 逃亡の成功。動乱。油断。空条徐倫の両手はまだ生きている!

「……あたしはまだお前を忘れてない。そしてお前の方は忘れちゃあいないだろうな?おまえがエンポリオに打ち込んだ弾の"報い"を……!」
「うっ うあっ うああああッ!!」

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァーーーーーッ!!」

 ラッシュラッシュラッシュ!
 顎。腹。足。美しい顔にも容赦なく叩きこまれる。ジェイル・ハウス・ロック。地獄の門の番人には、石の海を打ち砕く拳に対抗する術はない。床に叩きつけられたミューミューはもはや痙攣するだけで、言葉を発することすらできていない。


 新月まであと6日時点。
 空条徐倫――州立グリーン・ドルフィン・ストリート重警備刑務所がはじまって以来の脱獄に成功。同時刻脱獄―――ピィチ・ジョン。同行者―――エンポリオ・アルニーニョ。
 





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