「いつかここに来ると思ってたんだ。ここでも外の事件の情報は手に入る―――待ってたぜ、おまえを」

 時刻は昼過ぎの出房時間、「音楽室の幽霊」にて相対する。
 この部屋の扉は刑務所のどこにもつながっておらず、知っている者、または見つけた者しか足を踏み入れることはできない。つまりここを自ら訪れる人物は、持ち主のエンポリオという少年の存在を知っているということになるだろう。
 本棚に背を預けた男とも女ともとれないしなやかなシルエットが、少女にそう声をかけた。ほとんど丸に近いような瞳をさらに見開き、それからきょろきょろと部屋を見渡して首を傾げる。

「だぁれもいないのォ〜?」
「ああ、ピィチ・ジョン。このオレ以外はな」

 本棚にきっちりと本を戻し、長い髪を揺らしてやっと視線を少女に向けた。ピアノの艶やかな塗装に指を這わせ、勿体ぶるように緩やかに距離を縮める。
 "殺人鬼"―――ナルシソ・アナスイは、その整った顔におぞましい笑みを浮かべた。


▲▼


 例えばシャープペンシルを使おうとして、まだ芯があるはずなのにノックしても出ないというとき、人はどのような行動をとるか?当然、多くは分解して中に何か詰まっていないか確認するだろう。
 壊れているかもしれないが、修理できるかもしれない。疑惑と信頼が入り混じった状態。そういった物体を分解し、確認し、暴かずにはいられない。歯車が外れたオモチャ、ブツブツ切れる電話、針の狂った時計。疑わしいものを「検品」しては安心する―――ナルシソ・アナスイの分解癖を簡単に言うならばそんなものだった。

 しかしアナスイが疑り深い人間かといえば、決してそうではない。どちらかといえば人をすぐ信用するほうだし、手をかける瞬間も本当は95%の信頼が彼の頭を占めている。けれど、だからこそ―――たった5%の疑惑に対する衝動を抑えられない。
 まだ未発生の病気を見つけるため手術をする医師のように、かつてのガールフレンドとその浮気相手をネガティブな衝動によって殺したとき、奇妙な音を立てるポルシェを分解してボンネットに入り込んだ小石を見つけたときの興奮が身体に戻ってきた。
 そして欲望は堰を切る。
 数年後、ナルシソ・アナスイはニュース番組でも報道された「凶悪殺人鬼」として、ここG.D.st刑務所に収容されたのだった。


「発覚しているだけでも13人。容疑も含めて40件以上だったか?でもこういうのは、尾ひれ背びれがつくもんだ。オレも気づいたらいつのまにか数が2倍くらいに膨れてた。で、実際の数はどうなんだ?」
「………ンン〜〜?」
「ふーん、数えてないのか」

 マニキュアが光る指先を顎に当て、ピィチはまた梟のようにショートヘアを揺らして首を傾げる。アナスイはその様子を見ていかにも楽しげに喉を鳴らして笑った。
 対峙する殺人鬼二人。
 どちらもニューヨークタイムズに名前を連ね、全米を震撼させたシリアルキラーだ。世間から取り残される刑務所では実感が薄いものの、残される死体の異様さから、ナルシソ・アナスイとピィチ・ジョンの双方はワイドショーでも何かと引き合いに出されることが多かった。だからこそアナスイはピィチをよく知っていたのである。

「まだ若い猟奇的殺人鬼。弁護士が心神喪失と精神異常を訴えたが、どういうわけか鑑定結果はぎりぎり正常。年齢も考慮されて死刑は免れた。……そこまでまったく同じとあっちゃあ気になるのも無理ないだろう?」

 はじめは殺人鬼と呼ばれることが心外だった。確かに人は一度バラしてしまえば戻せないが、何も殺したくて人を解体しているわけではない。けれど耐えられないような状況が続き、渋々ながらも熱心に勤しんでいるうちに気付いたのだ。
 楽しんでいるうちはただの嗜好だ。後悔しているのにやめられない、その状態を中毒と呼ぶ。症候群と呼び変えてもいいだろう。いつのまにかこの世にあるものを「分解できる」か「できない」かという秤で判断するようになっていた。

「そう、興味があるんだ、おまえに………」

 男の背後にゆらりと影が現れる。
 その特有の輝きに女はうなじの毛を興奮で逆立てた。アナスイは明確な反応に確信を得て、そして衝動に全てを委ねることを決める。やはりこの女もどこかが壊れた「故障品」だ。「故障品」は分解(バラ)すことができる。
 あと一歩で指先が触れるという距離で、ピィチもやっと肌を震わせて恐る恐る両手を伸ばした。瞳に昂ぶるのは恐怖ではなく、喜びでもなく、まったく正気の欲望。少女が愛した多くの人間を殺害した際と同じ表情だった。

 女の腕が男に届く。潜航した『ダイバー・ダウン』が顔を出す。まさに一触即発の瞬間、音楽室に焦った高い声が飛び込んだ。


「ウェザーーッ!!」


 その名に両者が硬直する。
 いつのまにかアナスイの背後には背の高い男が雲を背負って、鼻息がかかるほどの至近距離で立っている。ゲッと彼が振り返ったときには、もう暴れても逃れることのできない羽交い絞めを喰らわされていた。
 一方目を開いたまま彫刻のように固まったピィチの足元で、エンポリオが眉を下げて女の顔を見上げる。ターコイズの瞳に少年の顔がいっぱいに映りこんで、それからやっと光を宿した。

「人を殺すの、好きじゃないんでしょう?」
「…………ウン、」
「だったら、抱きしめたらダメだよ。おねえちゃんは力が強いから、みんな怪我して死んじゃうよ」
「あッあァ〜〜〜………ッ!!!」

 人生で大切なことに今やっと気が付いたとばかりに、ピィチは両手で口元を覆って愕然とエンポリオを見つめ返す。今度は紛れもない恐怖で身体を震わせて謝罪を繰り返す少女を、エンポリオとウェザーは溜息混じりで、アナスイは呆然と口を開けて見ていた。
 故障品どころか―――欠陥品だ。
 自分に押された殺人鬼の烙印をあれも持っていると思いたくないほど、今の女の姿は間抜けだった。まだ小さな少年であるエンポリオにも劣りそうな言動に、子供じみた仕草。アナスイは座りの悪い思いをしながら、同時に沸々と怒りを感じていた。

「つーかよ……その女とオレとで対応が違いすぎるだろうがッ!なんでそいつは優しく諭してオレは関節技なんだよ、イッテェぞ!!」
「ここで殺そうとしただろう」
「まだ殺してない」
「じゃあ未遂の現行犯だ」

 男は無表情でにべもない。
 女は泣きそうな顔でアナスイをチラチラとうかがっている。すっかり拍子抜けしてしまい、間抜けさはそう変わらない体勢で、殺人鬼はがっくりと項垂れたのだった。




NEXT




Back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -