かつて、鉄の壁のなかではあらゆることが試された。理由を説明されれば納得できる真っ当なものから、説明されても分からないようなむごいものまで。覚えている限り80人を超える子供がかつて彼処にはいたが、"ガタ"が来るのは他所からやってきた子供ばかりだ。
 彼らは故郷を知っていたから。
 ようするに、郷愁が人を壊す。暖かい食事と布団と家族に囲まれたことがあるから、孤独と苦痛に耐えられない。故郷の安寧と退屈が壊されると、心の一部も欠けてしまうのだろう。その点彼らが地獄において幸運だったのは、天国の存在を知らぬことだった。深海に棲む魚が太陽を知らないのならば、暗闇を恐れることもないからだ。

 弄くりまわされた子供が一人消え、二人消え、数えるのも面倒になって。同じ部屋の子供が口の周りを赤く汚すことにも慣れて。陰惨そのものの生活のなかでもシニは壊れも欠けもしなかった。
 この施設は怪物を作るためにある。
 ならば自分はもともと怪物で、ふさわしい素材なんだろう。鉄の蓋をあけられて光を浴びたあとも、その確信は絶えず消えていないのだから。


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 陽光が瞼に降り注ぐ。それだけでここが「あの研究施設」でないことがわかる。ソファに沈んだ体を動かすと、肩にかけられた毛布が滑って足元に落ちた。
 向かいのソファには男がひとり。
 部屋には他に誰もいないようだった。彼を中心とする小隊がまとめて暮らすこの立派な家は、シニの肌に馴染まないにおいで溢れている。人が長く過ごした気配。思い出の残り香といえばいいのか。矮躯の男は熱のない目を走らせ、寝ころんだ少女に語りかけた。

「君の兄弟は、彼らと出かけてる」
「ふうん。あ、毛布ありがと」
「……冷たい返事だな。起きたときに弟が居ないと、取り乱すかと思っていたんだが」
「あなたたちがいう兄弟ってやつと、わたしたちはちょっと違うような気がする」

 復讐組合「騎士団」、実質的首領はルルーシュ・ランページ。その腹心の部下、新城直衛率いる一個小隊。シニとデライラ―――兄や姉ではなく弟と言ったことは褒めてもいい―――は彼らに見事助けられ、なし崩しに騎士団に籍を置いたままでいる。
 助けられたのは確かだ。
 兄弟、といっても血が繋がっているわけでもない。男か女かもわからない同居人。マナーのなってないハンニバル・レクター。確かに物心ついた頃から一緒に育ったが、あるのは親愛より80人が2人になった感慨だ。あるいは「愛着」といったほうがいいかもしれない。

「最後に残ったのがお互いだけだから」
「たまたま特別になった?」
「うん、そう。たぶんね」
「それだけでもないと思うが」
「ふふ」

 誤魔化すような笑い声。
 少女は床に落ちた毛布を拾ってもう一度惰眠を貪ろうとするが、真っ直ぐに見つめる凶相がそれを許さない。別段美しいわけでも魅力的なわけでもないが、なぜか訴えかけるような力がある顔だ。
 部屋にボタンを掛け違えたようなぎこちない空気が流れる。そういえば新城と二人きりになるのは初めてだ。成り行きで助けてしまった子供二人相手に、ずいぶん気を揉んでくれているのは見てとれるのだが、シニはこの男相手にどう接すれば正解なのかいまだによく分からなかった。そういうのは、デライラのほうが得意だ。
 シニは徹底して何もかも自分の外に置いた。デライラは自分が混ざったり別のものに変わったりすることを恐れなかった。だからこうも違うのだろう。

 ―――足音が3つ。

「あ、」

 思わず顔を向けると、新城が合わせた手の奥で唇を歪ませた。シニは反射的にしまったと思ったが、声はもはや取り消せない。シニはむっと口を尖らせて毛布を目の前の男に投げると、新城はますます笑みを深めた。

「それと、毛布をかけたのも僕じゃない」
「……ナオエって意地悪」

 ぷい、と顔を背けてシニは部屋を出ていく。恐るべき異能の持ち主とは思えない子供じみた背中を見送り、新城はもどかしく組んでいた指をやっとほどいた。兄弟の明るくはしゃいだ声が、男の耳にも届いていた。





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