殺人鬼は影から現れる。
 ずる、ずる。聞き覚えのある重いものを引きずるような音に、リグーシカはガスマスクで口元が見えないのをいいことに唇を歪めた。電灯を点ける。霧と暗闇で覆われた路地裏が薄明かりで照らされ、白いスカートの少女が足取り重く歩いてきた。彼女が一歩進むたびにずるずるという粘着質で不愉快な音が響く。その後ろには趣味の悪いアート作品のように、真っ赤な血と臓物の道が出来上がっていた。
 少女はどうやって見つけたのか、迷わずにここを目指してきたようだ。濡れ羽色の瞳はまるで何も後ろ暗いことはないかのように澄んでいる。掃除屋はその少女の前で何度目か分からない深い深いため息をついて、ドサリと放られた哀れな死体を見た。

「前々から言おうと思っていたんだけど」
「うん?」
「死体は持ってこなくてもいい。場所を指定すれば全部掃除しておくから……」
「ええ?なーんだ。それならそうと早く言ってくれればいいのに。重かったよー」

 依頼人の殺人者はその華奢な手を振りながらあっけらかんとそう言った。大の男の―――それも死体ともなれば相当な重量なはずだが、片手で軽々と運んでおいて一体何を言っているのか。ふんわりしたレースのスカート、ドクターマーチンのブーツ。ニューヨークのストリートを歩く若い少女としては申し分ない姿。それゆえに片手に抱えた血塗れの巨大なナイフが異様な存在感を放っていた。
 リグーシカ・フロックハートは掃除屋である。魔獣が食い散らかした細切れの異形(ビヨンド)から暴力団抗争の跡地、細々とした殺人の証拠を消すこともあるし、自身も命を手にかけることも珍しくない。だがこれほど殺人というものを、さも食事かのように頻繁に行う人間は珍しい。それも不思議なことに、人格になんの"異常"も見られない形で。

「払いは即金で頼みたい」
「まっかせて、ちゃんと持ってるから」

 少女―――ルシンダ・ハーカーはにっこり明るく笑うと、ショルダーバッグのジッパーを開けてリグーシカに差し出した。中にはきちんと帯封でまとまったドル紙幣が無造作に詰め込まれている。掃除屋はその中から折れたり皺になっていない束を掴みとり、すぐに懐へと収めた。リグーシカがこの得体の知れない殺人鬼を拒まない理由がこれだ。どこで手に入れたかは問わない。現金はセキュリティも危うく運搬も面倒だが、換金の手間がある小切手や貴金属よりよほど好ましかった。
 掃除屋は金を受けとり、さっそく作業に取り掛かることにした。依頼人が無駄に汚した路地の掃除もしなければならない。ルシンダはほんの少しだけリグーシカを見ていたが、すぐに飽きたのかくるりと踵を返して歩きはじめた。その背を見てリグーシカは、何の気なしに声をかける。

「ジャケットに血がついてる」
「え、」

 ルシンダは勢いよく振り返り、腕の後ろ側についた血糊を見つけた。彼女は慌ててジャケットを脱ぎ、ショックを受けたように皺くちゃになるほど握りしめる。そんなに気に入っていたのだろうか。するとルシンダがジャケットを地面に落とし、持っていたナイフで突然それを切り裂いた。
 ビリィッ、悲鳴のように音が上がる。
 突然のことにリグーシカは固まり、その鬼気迫る様子に思わず口を噤んだ。ルシンダは狂ったように何度もジャケットを傷つけ、布地が端切れになるまで続けた。地面に散らばったそれを親の仇を見るようにぼろきれを睨みつけ、ふと顔をあげる。目が合ってしまったリグーシカはギクリと背筋に緊張を走らせる。
 少女はもう笑っていた。
 リグーシカは笑えなかった。

「これも掃除しといて!」
「……、分かった」

 訂正―――。
 人格が徹底的に壊れた人間は、一周回ってなんの異常もないように見えるらしい。湿った石畳には泥とも血とも分からぬ泥濘が陰鬱にこびりついている。今日はずいぶん霧が深い。血の一滴もついていないスカートをひらひら揺らし、軽い足取りで去っていく少女。ブーツの音が遠ざかっていくのを聞きながら、リグーシカは電灯のスイッチを切る。路地裏には再び深い闇が戻り、何者の姿も見えなくした。


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