ある武家が攻め入られ領地を失った。子を殺された奥方は怒り狂い、呪いを込めた黒髪を玉鋼に巻き付けて刀に打ち込んだ。さて降伏した件の武家から献上されたのはかの皇室に奉られた由緒正しき天国(あまくに)の刀である。喜び勇んで鞘を抜かれた天国の刀はするりとひとりでに当主の体を二つに割いた。屋敷にいた親兄弟子孫果ては飼い犬までもが斬り伏せられ、その家の一切は死に絶えたという。
 こうして般若の宿る妖刀が生まれた。
 千四百年前ものお伽話である。


▲▼


 般若小太郎は短刀だ。
 巡り巡って北条家から褒美として風魔一党に与えられたとき、彼らに使いやすい忍刀として擦りあげられ拵えも独特のものに誂えられた。情念を炎によって半ば清められたせいか、その頃からの記憶ははっきりしている。
 何人かの「風魔小太郎」に携えられたが、彼らの戦いにはほとんど感情が伴わない。そこにあるのは任務を遂行するという志だけで、主人の冷徹さが刀をいつしか完全に鎮めていた。その代わりに太刀であった頃では考えられない無茶な使われ方をされもしたが、ただ武器として使われることに喜びさえ感じていた。魂は刀身に移り、いつしか血を吸って欠けても切れ味の落ちぬ風魔の刀―――「般若小太郎」と呼ばれるようになった。
 風魔一党は北条家の滅亡と共に忍としての機能を次第に失い、般若小太郎もまた歴史の闇に消えた。それからは眠ってばかりで武器として人の手に渡ったことはない。

 だから、今更こんな刃こぼればかりの刀を呼び覚まして一体どうしようというのだと、はじめは思ったものだ。
 けれどいざ目を覚ますと、刀であったはずの自分はまるで人のような姿をしているし、目の前には復讐なんて血なまぐさいことはとても似合わない―――それどころか刀を握ることもできそうにない―――細腕の女人がいたのだから、小太郎が間抜けに口を開けて何も言えなかったのは仕方がないのかもしれない。

「……………」
「新しい子ね?はじめまして。お名前は?」
「あ………」

 柔らかな目鼻立ちに促されて、慌てて片膝を立てて跪き頭を下げる。こんな女人が自分を握ることになるとは一体どんな事情があるのかと思うと刃が軋む。世が進んでも変わらないのか。声が震えないように注意を払ったつもりだったが、声を発するということ自体が初めてなので、それは叶わなかった。

「般若小太郎と、いいます。ぼろぼろですが、まだ使えますので……」
「あらあら、礼儀正しい」
「恐縮してるんじゃないかな」
「わたしに?」

 低い声が自然に降ってきて小太郎は体を固くする。恐る恐る顔を上げると、後ろの障子を開けて背の高い青年が女性と視線を合わせていた。気安い雰囲気から、小太郎を呼び出した彼女と近しい位の者だということは分かった。同時に小太郎は何となくだが彼が自分同様に人間ではないことに気付いた。
 深い藍の髪から金色の瞳が覗いている。何より目立つのは右目を覆う黒い上等な眼帯で、小太郎は潰れて覆われた自身の右目を無意識に触った。青年がこちらを見る。

「はじめまして、僕は燭台切光忠。太刀だよ。彼女は審神者の……」
「にわちゃんって呼んでね」
「えっ、いえ、あの」
「ほらね」
「光忠くらいしか呼んでくれないのよ、なんでかしら……」

 それは当然だろう。刀である身で持ち主を愛称で呼ぶことなど、どう突飛に考えてもありえない。そこには絶対的な主従関係があるものだ。何を言っていいか分からず小太郎が黙り込んでいると、審神者が襟を正して真っ直ぐと少年を見据える。透き通った瞳。小太郎ははっと息を呑んだ。

「彼の言うとおり、私は審神者なるもの。あなたに人の形を与えました。それを承知で、私の元でその身を振るってくれますか?」
「そ、れは、あなたではなく……」
「そう、君が刀を扱うの」

 だったら、もう。
 何かに安堵したように息を漏らす小太郎の白い髪を、彼女の細い手指が全て見透かしたように撫でる。この手が刀を握ることはない。いや、もはや誰に握られることも、誰かの憎しみの炎に身を焦がすこともない。傷だらけの刀身を握り締めながら般若小太郎は大声で泣き出したいような衝動に駆られたが、必死に堪えて首を垂れた。
 では明日にさっそく出陣よ、という声になんとか承知の返事をすると、審神者は立ち上がり部屋を後にした。燭台切光忠が自ら本丸の案内をしてくれるらしい。小太郎はまた深々と頭を下げる。

「小太郎くん、僕達はおそろいだね」
「え?」
「ほら、左目」

 燭台切に示されたそれは、先ほど小太郎がほんの少しだけ思ったことだった。美しい顔が微笑む。言外にだからそんなに畏まる必要はないと気を遣われた気がして、小太郎は耳まで真っ赤になって目を伏せたのだった。




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