いち野は近侍である加州清光が止めるのも聞かず、現在本丸にある全ての資材という資材をそれにつぎ込んだ。
 鍛刀に対して反対をしているわけではない。戦力が増えることは喜ばしいことではある。そこに若干の嫉妬はあれど、それでも近侍という自負は捨てきれないものでもある。
 ただ、反対しているのは資材が一切なくなってしまうことであった。
 しかし彼女の言葉に抗うことなど出来ず、鍛刀にかかる時間を聞いて周章狼狽した。他とはまるで違うその多大な時間に冷や汗をかいてしまった。手伝い札があってよかったと胸を撫で下ろす。

 そこに存在していたのは長身の男だった。白い紙で目を隠し、白絹をただ身体に巻きつけたような様相だ。白い衣に不釣合いな赤い肌と浮かぶ文様が印象的である。
 これまでに現れた彼らは大体が鎧や甲冑姿、元の持ち主を模したような姿形をしていることが大多数であるのに対して、なんともはや異様と言うしかない。いち野も清光も呆気にとられるように男を見ていた。

「わたくしは七支刀、神を降ろす祭具でもあるのですよ」
「へ……」
「う、うわ……」
「主上? どうなさいました?」

 男――七支刀は口元に笑みを浮かべ、後退りをしたいち野に向かってずい、と身を乗り出した。
 いち野も清光も、息を揃えるように引き攣った表情を浮かべる。場が凍り付き、上機嫌なのは七支刀のみであった。
 暫く身を寄せ合い、二人はまるで恐怖を和らげるようにしている。そんな中、口を開いたのはいち野だった。

「変態だーーーーーー!!!!!!」

 弾かれたようにいち野は叫ぶ。
 一目散にいち野と清光は逃げ出した。刀剣男子を呼び出したと思えば、半裸の変態が立っていたのだ。しかも目隠しプレイか、さすがにちょっと高難易度だ、そう思いながら走る。その都度案外冷静ではないか、そう思えてならない。

「あは」

 一瞬軽く笑うような声が後方から聞こえ、いち野と清光はぶわりと背筋の凍るような思いに苛まれる。
 腹の奥に氷山の一角が投擲されたような、底冷えのする圧倒的な黒。それは圧倒的に黒い意思だった。いち野の頬を汗がたらりと垂れる、その様がスローモーションのように思え、咄嗟に清光の服の裾を掴む。
 何を呼び出してしまったのだろう、くるくると巡る脳内の中で勢い良く振り返る。赤、白、黒、そして光り輝く後光。後輪は天の光か、黒い鉄さびのような様相の男が、酷く神秘的なものに思えた。

 しかし、次の瞬間男は飛び出すように二人を追いかけ始めた。
 大きく口を開き、笑い声を轟かせながら追う。まるでB級ホラー映画のようではないか、そう思いながら、いやそんなことは思っているような余裕などなかったのかもしれない。

「あはははははははっ!! あは、あははっ! どこへ向かわれるのでございましょうか!? 主上は今、どこへ向かわれるつもりで!?!?」
「ぎゃ、ぎゃーーーーッ!?」
「あははははははははははは!!!」

 彼らの鬼事は、薬研藤四郎が通りかかり、七支刀が彼に止められるまで続いた。


 ●●●


 荘厳な神前は玉響と映り込んだ。
 ひょっこりと朱の男はしゃがみこんで加州清光を眺めているいち野に話しかけた。

「主上、少年、何をしておいでで?」
「わっ! びっくりした。七支刀か〜、今ね清光が刀装作ってるの見てるんだ」
「へえ、わたくしも拝見していても?」
「いいよ」

 いち野の背後に立っていた七支刀が、彼女の隣に腰を下ろしたのを見て清光はぴくりと眉を動かす。
 何か告げることは現在出来ない上に彼男は異常なほど得体が知れなかった。ハラハラとした心模様がそれに現れたのか、思わず失敗作を作り上げてしまった。資材を無駄にしてしまった、とバツの悪い表情をしてしまう。
 いち野の慰めの声も、彼女の顔を見ようとそちらを向けば嫌味なほど口元に笑みを浮かべた七支刀が視界の端に映る。それほどまでに腹立たしいことはかつてないようにも思える。

「主上よ、少年は可愛いですね」
「でしょ〜」

 七支刀の言葉の真意にいち野が気付いているのかいないのかはわからない。
 清光が褒められたことにいち野は気を良くしたのか、嬉しそうに微笑む。様相は異常ではあるが、案外いい奴だという認識にでもなってしまったのかもしれない。
 あの底冷えのする黒い感情は今はまったくもって感じ得ない。本当にあれはなんだったのだろう、そう今でも思える。

「ほんに、愛らしゅうございますな」

 ただただ彼は笑みを浮かべていた。
 目の辺りを覗うことの出来ない彼の真意を全て汲み取ることは誰にも出来ない。なぜ彼だけがこのような様相なのか、疑問に思ったが触れてはならないことのように思えてならなかった。


 ●●●


「何をやっているんだ?」
「おや、何を、と言われましても。ただただ池を眺めておりまする」
「池ェ?」

 ゆるりと口の端を上げ、七支刀は岩融を見上げた。
 白絹が汚れることも厭わずに、地べたに座り込んで文字通りただただ池を眺めている。その池には何か面白いものでもいたのだったか? と考えたが、別段変わったものは思いつかなかった。

「この肌って、どうなっているんだ?」
「何のことでございましょう」
「はぐらかすの下手くそすぎだろう」
「ハハハ」

 岩融は七支刀の腕を掴みあげてため息を吐く。
 彼がこの地に呼ばれてから幾人もが、彼の様相を問うたが明確な返答を返すことは一度としてなかった。それは審神者であるいち野に対しても、である。
 何らかの秘密でもあるのか、彼が自身のことを知らないのか、どちらかはわからない。そして選択肢はその二者択一なんてものではないのだ。

「それでも、お前が俺たちと一線を引いていることは気付いているぞ」
「さいでございましたか」

 笑みを浮かべたままで彼は近くにあった石を拾い上げて池に放り投げる。

「だってお前俺たちの名前、一切呼ばないからな」

 二度大きく頷き、七支刀は小さく「あはは」と笑った。
 消えない光に刺すような冷たい痛みを感じている。笑みを浮かべているのに、全くの穏やかさを感じさせない。
 線引をして、自身のテリトリーを頑なに守っている。そう感じてしまうのだ。

「人であろうと、物であろうと、不変は存在し得ぬものでございましょう? いつか朽ち果て、死ぬ。死した後も燃やされ召し上げられる」
「?」
「変化は常々起こり得るものであります。その意味、解することが出来ましたならば、いつかは」

 ふわり、七支刀の纏っている空気が穏やかに感じた。
 今の笑みは本当に笑っていたのではないか? そう岩融には感じたが、その真実を知ることが出来る日が来るとは到底思えなかった。


 ●●●


「やあ、少年。今宵は主上の寝屋ですかな」
「ゲッ……変態かよ」
「おやおや」

 加州清光の顔を屈んで覗き込む七支刀に、心底嫌だといった表情を取りながら彼は唇を真一文字に結ぶ。
 いつも通りの笑みを浮かべながら七支刀はふわりと浮いたように一歩後ろへ下がる。

「アンタって本当に何なの。あっちにいたと思ったらすぐ隣にいたり、笑ってんのに全然笑ってないし、気色が悪いったらない」
「おやおや」

 彼の笑みは変わらない。こんなもので変えれるとは思ってはいない。
 そもそもどうしたかったのか、変えて何としたかったのか。

「前に、僧へも似たことをお話しましたな、不変の愚かしさ。少年は、少年です。不変を望んでいる限りは少年で在り続けるでしょう。主上が死人であるがゆえに不変でありましょうか、それは否、死人が果てぬとどこに決まり事がありましょうや。なればこそ、主上は主上なのでございます」
「ん、んん?」
「ははは、少年。少年は主上のことを好いていると見受けますが、そこに不変はあるのかと考えたことは?」
「は!?」

 いきなり何を言っているんだこの男は、そう思いながら清光は七支刀を見上げる。
 変わりのないように見える笑みは、今まで以上に得体の知れなさを感じさせたが、どう判断つけていいのかが清光にはわからなかった。
 誰がなんだって? 何を考えろと? 次から次へと浮かぶ疑問符に、七支刀は歌うように言葉を続ける。

「思考をする生き物になってしまった性というものでしょうかね、主上を好いただけのままではいられぬ、そう申しているだけのことでございますよ。答えを出せぬうちは、少年は少年のままで、僧は僧のまま、主上は主上のままなのでございますね」

 宵闇の中でも彼の周囲は異様な明るさを放っている。
 面倒な問いかけだ。今現在の関係性も気に入っているのは本当の話だ、それでも何を望めと言うのだ。どこへ行けばいいというのだろう。この神のような、妖かしのような男の思惑にまんまとハマってしまっているような気がした。
 思考を止めるな、という言葉を無理やりねじ込められているようにも思えた。

「俺は――」

 清光が口を開いた瞬間、「七支刀!」と男を呼ぶ声が聞こえてきた。
 二人が声のした方へ振り向くと、そこにいたのは岩融だった。

「おや、僧よ。声を落とさぬと子供らから苦情が殺到しますよ」
「俺は、ああ、そうだ。いち野のことが好きだぞ! それがどんな形になろうとも、俺は、今、そうなんだ!」

 そう言い放った岩融を見て、清光が何故か恥ずかしく思えてしまった。岩融が、ではない。このようにあることが出来ない、自身がなのかもしれない。
 酷く羨ましく、朗々と笑う岩融が眩しく思えた。
 それでも同じように宣言などすることは出来なかった。それをこの半裸の男は望んでいるとは思えない。

「ああ……そうか、それがわたくしへの答え。ありがとう、岩融」

 心の奥底にもやを感じ、清光は思考する。どうあることが最上であるかを。


 ●●●


「ね、なんで七支刀は目を隠して心も隠すの?」
「それは主上、本音はオブラートに包んだ後、真綿でくるんで、周りに鋭い石を配置した後に投擲するものだからでございますよ」
「なんじゃそりゃ」
「あはははははははあはははははははははははははははぁ」



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