『わたしが死んだら、綺麗な石の棺に入れて宝物と花を沢山添えて、そうして死体が綺麗になったら燃やして欲しい。 最後に手を握ったあなたの心にだけ陽炎のように残っていたいの』
サイネリアの唇が微笑めば、色の失せた頬に小さなくぼみ。このえくぼのためにママがいっそう好きだった。口上は母と少しも変わらないのに、自分のは何だか、ちょっと違って聞こえてしまうのは何故なのか。
「なあ、レイディ。君はきっとこの世界で一番に美しいな。造形なんてものは俺にとって塵に等しい。純白や純潔というものこそが美しいのさ、口紅を塗った厚ぼったい唇より無垢なこっちだ。だから許してくれ……美しいものを壊したくなっちまう愚か者を……」 「い、たい………っ」
ガン、と空想の世界から現実へ引き戻された。 白。純白。純粋で汚れのないイメージの白い光は、全ての色が合わさって構成されている"最も汚れた色"なのだという。真っ白と真っ黒がストロボのように入れ替わり、それから、と取り留めもないことが、次々剥がれ落ちて行くように浮かんでは消えていく。 男の節くれだった硬い指先が、数秒前に私の頬を拳で打ちつけたのを忘れてしまったのか、アイススケーターのように唇を滑る。ぬるりと滴る鼻血をリップスティックに見立てて、紅を引くみたいに。 視界が歪に歪んでいて、直線を探そうとすれば瞼の中で強烈にストロボが焚かれた。世界が瞬く。先程の衝撃からずうっと脳みそが揺れていた。
マイ・ケミカル・ロマンスは二重で効かせることなんてできない。いや、効果は十分すぎるほど表れているらしい。彼にとって「愛」とは「暴力」であり「破壊」なのだろう。それに関しては誰が悪いってわけじゃあない。 それでもぼんやりと、死を予感する。 死ぬのなら誰かの手を握っていたいのに、と最近姿を見せなかった寂しがりが顔を出した。頭に蜘蛛の巣がかかっているせいで走馬灯も見られないなんて。知っている顔や愛しい顔が陽炎のように滲んで、ゆらゆらと定まってはくれない。
(………でも、ひとり………だけ)
鮮やかに見えるのは、美しい薔薇の花びらにある配列。わたしよりも一つ年下の頬はまだ柔らかいマシュマロの手触りを残すくせ、肌からはすっかりユニセックスの香水と鉄の匂いが馴染んでいる。 まだ伸びしろのある長い手によって狩りとられた数十の命は、一瞬で彼の螺旋へと並ぶらしい。らしい、というのは、実際にわたしが彼の仕事に同行したことが無いから。
日の光に似た電飾に照らされて輝く、プラチナの眩さは、どうしてか見覚えがある。
ホワイト・フラッシュ。 ホワイト・フラッシュ。 そこにいるのは、銀色の猫。 またフラッシュ。 クリムゾン・レッド? また、フラッシュ。 それからブラックアウト。
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暖かいものに揺られているのは、きっと暫くぶりで。この世に生を受けたときに綺麗に洗ってくれた、わたしの場合は助産師のひとではなくて、ママ自身だった。 体温と同じ温度の湯が、肌を滑る。 目を開けようとしたけど、うまく開かなかった。にちゃりと粘度を持った液体が眼球に張り付いていて、少し動かすだけで激痛が走る。
「お、気付いたか」
聞き覚えのある声がした。 霧のように柔らかく振ってくるシャワーと同じくらいの、熱いものが込み上げてくる。それは目の中に入り込んだ血液を流して行って、ゆっくりゆっくりと視界が開けた。 眩しいくらいに白いタイルに、溶けそうな肌。銀色の猫が、水嫌いではないのか、真っ白なバスタブに身を沈めている。
「ロゼ、」 「連絡が遅れた、ビーチェが仕事に真面目で携帯の電源を切ってた、元々の情報不足。いろいろあるけど、遅れたのはオレ。ごめんな」
服を着たままの猫。 両腕を縁にかけて、悠々とこちらを振り向く瞳のおいしそうな紅茶色。白目が大きくて光ってるみたいで、頭をゆるく撫でる手の温度と、戻ってきた恐怖感に、大粒の涙が溜まっていく。 「……っう、ぅう、え……」 「え」
―――パキ、パキ、パキキ。
「うぁ、あー……っ」 「あ、ちょ、ちょっ、待て、ビーチェ」 「わぁーーーーん!!」
ロゼットはわたしを心配してくれているから、音はすれど、何も起こらない。焦ってタイムをかけようとするレフリーの声を無視するように、涙は流れていった。 生きていることも、仕事に成功したことも、謝って撫でてくれたことも、それよりもわたしは、何より、名前を呼んでくれたことが嬉しくて。もし今死んでしまっても一人では無いんだと思うと、ちょうどアジトの蛇口が壊れてしまったことを連想させるほど、次々溢れた。 情けない泣き声をあげて、やっぱり自分が泣き虫なんだということを思い出すしかなかった。
「どっか痛いのか?ほっぺた腫れてたもんな、まだ痛いか?怖かったなー、大丈夫大丈夫、もう片付けたから」 「ち、が、ちがう、ロゼ、ロゼットが………くふ、けほっ、」 「ああごめんもう、オレさァ、お前に泣かれるのにスゲー弱いんだよ、泣くなってば……」 「きて………くれて、ありが、とう………っ」
宥めるように濡れた頭を撫でる手に、自分の手を無遠慮に重ねて、強く引っ張れば指を噛む玩具のように喉はひずむ。それでもそれだけは捻りだせた。 暫くと赤子のような泣き声が響いていたバスルームに、猫はバスタブから足の裏をタイルにそっとつける。指を絡めてぎゅっと手を握り返してくれた、その温度はまた涙の栓を溶かした。
あのね、
(痛かったの、寂しかったの、悲しかったの、怖かったの、もう、) (言葉を待ってくれるあなたの傍で、ベアトリーチェを殺したくないの)
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