夕陽は人を懐古に誘うらしい。 ソファーで目を閉じる少年の柔らかい頬を舐めるオレンジを見て、そんなことをぼんやりと思い出す。 事務所のあるビルは決して立地が良いわけではなく、西日がきつく瞳を焼いてとても眩しい。素面の下でしんとした空間に耐えきれず、呼吸の音を求めてモブの横に腰を下ろした。
(うわ、日除けになんない!)
並べばつむじが見下ろせる身長差に、ぷすっと頬から空気を漏らして慌てて口を塞いだ。くすくすと音を殺して笑いながら、小さいころとあまり変わっていない少年の姿を眺める。 一度も染めていない黒は手入れなどしてないのだろうが、沈みかけの太陽に温められた髪は思いのほか手触りはいい。普段はこう間近で見ることもないので少し楽しくなってしまった。 手くらいは成長してるだろうか、とソファーに垂れた左手を右手で持ち上げた瞬間、体が硬直した。
「……こ、れ」
自分の手を、退かすのが恐ろしい。 ゆっくりと現れる、手のひらから手の甲にかけて、薄らと赤く残る四本の赤い線。もう皮膚が伸びてかなり形は変わっているが、小さな手形のような。 夕陽は人を、懐古に誘う。 消防車のサイレンの音。野次馬の喧噪。離れて伸びる二つの影。握られた手。覚えている。
その声を、温度を、覚えている。
「……!!!!」
目玉が、燃えてしまったのかと思うほど熱い。実際に燃えているのかもしれない。感情が昂ぶるとそうして、己の与り知らないところで火を立ててしまう。子供の頃はそうやって、自分の大事にしていた人形を燃やしたのだ。 この火傷は、私の傷だ。 両手で傷のついた手を握り、ぐっと唇を噛んで声を上げるのを押さえた。そうしなければ胸から溢れだす激情が、"何に"変わって表に現れるか分からない。
「茂夫」
名前を呼んだ声が、自分が思うよりもひどく細くて情けなかった。感謝をすれど、決して罪の意識など感じているわけではないのに、歯を食いしばって散る火花は釈明のようで悔しい。そんなものは彼に失礼だ。心が言いたい言葉は、きっと自分の脳みそからじゃ捻りだせない。
「あ、」
不意に茂夫の頭がずるりと傾いてソファーに倒れかけたのを、慌てて支えるように左手を差し込んだ。少し迷ったあと自分の肩に寄りかからせた瞬間、深い安堵にため息が出る。 これでおあいこだなんて、思わないけれど。
「………"大丈夫だよ"、かぁ………」
どうせ寝ている相手に呟いたところで、夢の世界に消えるだけ。ならばと、開き直ったように距離を詰めて自分もソファーにもたれた。あの時握った右手と左手を、同じように絡ませて、深呼吸をひとつ。 固い制服の感触や、頬に当たる髪や、指でこする変色した肌の色、匂い、光、全てを記憶して閉じ込めるように目を瞑る。 ああ、こいつは自分が魔法を使えることを、果たして知っているんだろうか?
(「だいじょうぶだよ」)
例えば、この手がいつか、世界を滅茶苦茶に破壊し尽くしても、私はその言葉を言うだろう。 微睡みの中でそう瞬きをした瞬間、ストンとお腹に落ちて、ゆっくりと眠りの世界に漂い込んでいった。
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