この頃は寒さも厳しくなってきたので、暖房の消えた学校で待つのも難しくなってきた。 キーケースにいくつかついた鍵のうち、一番新しい鍵を取り出して開ける。昼下がりと夕方のちょうど間の時間、影山家に人気はない。いつだったか家の前で待ちぼうけを食らったアカリにモブがくれたそれが、きゃり、と手の中で軽快に音を立てた。
「さむーーい!」
冷え切った室内に入り、真っ先にヒーターを点けたらベッドに飛び込む。顔のぎりぎりまで羽毛布団を引き上げたら、世界で一番落ち着く香りが身体を包んだ。 目を閉じてそれを堪能する。 指先まで血が巡り暖かさを取り戻しはじめると、チチチ、というヒーターのレトロな音が少女の眠気を誘う。寝てしまう前に消さなくては、と思いながらもまぶたは言うことを聞かなかった。
―――パチン
室内灯の優しい黄色の光に刺激されて、少女の目が開いた。部屋の主は我が物顔でベッドに寝転んでいることを咎めるでもなく、重そうなスクールバックを床に置く。
「おかえりぃ〜……」 「ただいま」
青いストライプのシーツから覗く額から前髪をよけて、眠そうな顔をするアカリをモブは可笑しそうに笑った。すっかり温まった室内に息をついてマフラーをほどき、学生服のボタンを外していく。 枕に右頬をつけたままそれを何となく見つめていると、学ランの下から露わになった肩にキュンと心臓が跳ねる。彼はすっかり「男の子」の身体になっていて、何度とそれを感じたはずなのに、見つけるたびに胸が高鳴ってしまった。
「………、」
ふ、と息をつく。 猫よりしなやかに、音もなくベッドを降りて、少女は悪戯っぽく少年の背中に抱き付いた。腹に絡んだ腕に驚いてモブが振り向いた瞬間、部活で流された汗のにおいがする。 暖房が効きすぎているのか、部屋はほんの少し息苦しい空気がこもっている。酸素を求めるように、少年の唇を自分のそれで塞いだ。
「っ……アカリ?」 「お願い、」 「えっ、ちょっ」 「ちょっと、黙って!」
呆気に取られて両手を軽くバンザイしているモブの声に被せるように、もう一度唇を奪った。全く、こういう時は雰囲気を察して抱きしめ返すものじゃないの?と眉を寄せながらも、狼狽えている顔がたまらなく可愛く見えてしまった。 濡れた柔い感触が離れて、暫しぼうっと見つめ合う。元より気の利いた殺し文句なんて期待していないから、名残惜しそうに少年から触れた一回きりで、アカリをさらに煽るには十分だった。
「……あ〜〜ッ、もうダメ!!」 「うわっ!!」
もうダメ、とは恥ずかしさに耐えがねて少女がよく口にする台詞だ。けれど熱暴走した頭には理性や羞恥心といった彼女を抑圧するものがなく、少年の腕を引っ張ってベッドに押し倒し、あろうことかはしたなく跨がったではないか。 平素はキスをしただけで真っ赤になって大人しくなるアカリが、自分を舌なめずりでもしそうな顔で見下ろしている。モブにとっては大事件だ。顔の両脇に付けられた両手の熱が伝わり、汗ばんだ首筋に滑らかな黒髪が落ちてくる。肩を震わせたら、大きな目がきょとんと丸くなった。
「……これ、くすぐったい?」 「か、感じない……」 「あははっ、なにそれ!麻痺してんじゃないの〜?」
明るい笑い声はいつも通りなのに、邪魔そうに髪を耳からどけて、後ろ首から左肩に流す仕草は艶っぽく見えて、少年の心臓は痛んだ。自分を直視できないでいるモブにアカリはますます気を良くして、目の前の胸板に身体を下ろす。形の違う身体同士なのに、ぴったりと密着することができた。 愛撫というには拙い手付きで、逞しくなった肩や腕を恍惚と撫でる。やっと抱き返してくれた手に、目に見えて少女の頬が緩んだ。
「私ね、シゲオの体に触ってるの、好き……」 「……僕も好きだよ」
「好き」にはたくさん意図を込めた。伝わらなくても構わないと思ったけれど、伝わったらやはり嬉しい。身体に触れていると言葉より多くのことが理解できる気がして、あまり表情の動かない顔をじっと見つめる。 皮膚の薄い目蓋と、鋭い目尻。鼻の形はアクがなくて綺麗だ。小さい口は思いのほかよく食べるし、牙をむいて噛み付くこともある。ひとつひとつ確かめるように落とすキスはお世辞にも優しいとはいえなかったが、それだけ熱情を持っていた。
「ん、ンむっ」 「はぁ、ハァ、ふ、う、モブ、シゲオ、ね、ちゅーして……」 「………!」
暑い部屋、熱は篭るばかりで、途切れ途切れに呟かれた言葉にモブは鳩尾がカッと熱を持つのを感じた。やや強引に両手でアカリの頬を髪の毛ごと掴んだら、獲物に噛み付くようにキスをする。呼吸を阻まれ、鼻から漏れる息の余裕のなさが少年たちを興奮させた。 唇が離れたら全力疾走のあとのように息を荒くして、顎に垂れた唾液がてらてらと情欲を照り返す。シゲオの手がぐっとアカリの後頭部を自身の肩に押し付け、もう一方の手が短いスカートに伸びた。小さな悲鳴と共に尻たぶが震える。
「あッ!あっ、ま、待って、」 「ハァ、はっ、ダメ、待たない。さっきからアカリばっかりずるい」 「ヒーター、んっ、う、ぅ、 ヒーター消さなきゃ!ねえッ」 「ヒーター?!」
真っ赤になった顔でアカリが叫ぶ。何故そのことに必死になっているのかは本人にもよく分からないが、ほんの無意識に飛び出た言葉だった。この期に及んで信じられないとモブは歯を見せて唸り、その瞬間ヒーターと電気は一人でに消え、勢いよくカーテンは閉められて、ドアの鍵がガチャンと音を立てた。 少女が次に持ち出しそうな逃げ道を全て塞ぎ、僅かに離れた腰を思い切り引き寄せて無理やりに体勢を反転させる。シーツに黒髪が散らばり、ベッドのスプリングは悲鳴をあげた。
「まだ何かある?」 「なっ、なっ……ない……っ!」
ならもう黙って、と降ってきたキスと強い強い抱擁は口ごたえを許さない。アカリは待ち望んでいたそれに感激して、我慢ならないとばかりに足を絡める。シゲオはお預けを食らった犬のように、その肌に遠慮なくかぶりついた。 どうか皆が遅く帰ってきますように!
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