草木も眠る丑三つ時。
 月の光も届かず、暗闇の中シンと静まり返った部屋の天井が、微かな振動を始めた。ベッドで眠る少女の目玉が、閉じた瞼の下で僅かに動く。
 ドンドンドンドン!!
 連続した音が何度も響く。まるで四つ足で何かが這いずり回るような音。窓とカーテンが揺れる。固く布団を握りしめ、音が最も大きくなった瞬間、少女は勢いよく起きあがって隣の部屋へと飛び込んだ。

「テルキーーーー!!!上の奴うっさい!何とかしてよ!」
「ンン〜〜〜まぶしっ……放っときなよ……」

 すやすやと安らかに眠っていた花沢輝気はスイッチで一気に明るくなった電気に目を瞑り、眩しそうに布団をまるく被って光を嫌がった。
 面倒そうな様子を隠しもしない兄に妹のアカリはさらに眉を吊り上げ、思い切り布団を剥ごうとするが抵抗されてしまう。

「私はあんたみたいに除霊できないっ、の!!眠れない〜〜っ!ちょっと!出てきなさいよテルキ!」
「分かった分かった、明日やってあげるから……」
「〜〜〜ってッ天井ごと燃やしてやるーーーーー!!!バーカバーカハーゲ!!!」
「お兄ちゃんが悪かったからやめて!!」

 まるで嫌な害虫が出たような反応である。
 それもそのはず、この花沢兄妹は一般的には超能力と言われる特殊な力を持っていて、幽霊なんて飽きるほど見てきたのだ。
 超能力者と霊能力者は別種に捉えられがちだが、力の強い者は霊にもそれを行使することができる。そのコントロールが抜群にうまいのが兄の輝気で、アカリはというと力は強いのだがやや大雑把な使い方しかできなかった。
 よって少しデリケートな技である「除霊」には向かないのである。

「えい」
「………あっ消えた?」

 テルが指先で隣の部屋の天井を指さした瞬間、一際部屋が揺れたかと思えば、すぐに清々しい空気が広がった。
 家にはこの兄妹二人しかいない。
 その事実もさることながら、中学だけで暮らしているのにも関わらず何故こんな良いマンションに住んでいるかというと、先ほどの霊現象のとおり、ここはまさしくとびきり曰く付きの格安部屋なのである。

「まったくだから嫌だったのよこのマンションーーー!!」
「でもアカリ一人で暮らさせるわけにはいかないし、この部屋気に入ってたじゃないか」
 
 ここに住むことを決めたのはテルであり、最初はしゃいでいたアカリは事情を後から知って心底嫌がっていたのだが「霊が出たらすぐに除霊する」という条件でやっと首を縦に振ったのである。
 しかし霊が顔を出すのは大抵深夜。勘が鋭いアカリは毎回その気配を察知してしまい、すやすや眠っている兄の部屋に突撃するのが通例であった。

「こんなの詐欺よッ!テルキ約束守んないし!!」
「転校したくなかったんだろ?」

 少女がぐっと口をつぐむ。
 結局なんだかんだと文句を言いながらアカリがテルと暮らし続けているのは「転校したくない」というためである。もちろん友達と離れたくないというのもあったが、もう一つは。
 脳裏に浮かぶ一人の少年。
 転校の話を持ち出すと決まって途端に大人しくなるアカリにテルはしてやったりと笑い、目が覚めてしまったのか飲み物をとりに冷蔵庫に立った。

(………あの人、この辺に住んでるのかな………)

 夏の暑い日だった。
 白熱の太陽に見下ろされ、意識も遠くなるような猛暑。日陰を目指して歩いていたらちょうどその人はバス停近くの木陰から姿を見せたのだ。
 すれ違った瞬間、彼が何か不思議な力を持っていることが分かった。あちらもアカリの超能力に気付いたのか、ほとんど同時に振り返って目が合ったのをよく覚えている。
 特に何が、起こったわけでもなかったけれど。
 恥ずかしげに目を逸らしたその少年の横顔と、木陰をそのまま連れていたような涼しげで湿った気配が、ずっと頭にこびりついている。だから両親が引っ越しの話をアカリ達にしたとき、嫌だという言葉がつい口から飛び出たのだ。

「おーいアカリ?」
「ハッ……!ちょっと人の美しい思い出に割り込まないでよ!!」
「はいはい」

 朝食用のオレンジジュースをアカリに差し出す兄はそんなことも露知らず、まるで子供扱いで甘いジュースで機嫌を取ろうとする。
 まさか恋をしているから、なんて秘密を知る由もない兄を、妹は「男の子って子供ね」と言わんばかりに鼻で笑ってグラスを傾けたのだった。





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