私は魚ではない。 だから肺は水の中で呼吸ができるようにできていない。それでなくても海の中まで入っていくのは暗くて冷たくて、少し恐ろしい。 ちゃぷちゃぷと浮かぶ海の上、イカダの上からは太陽が燦々と降り注ぎ、ごく浅いところまでの水深だけを映していた。
(あれ、シゲオ?)
瑠璃色に混じった黒色に、思わず手を伸ばして顔をつけた。世界は青く染まり、不思議なほど呼吸は苦しくはない。けれど体を全部飛びこませるには勇気が足りない。 ゆっくり沈んでいく。 七色の魚の大群が、少年を囲うように波を起こしていく。反射するうろこの遊色。海底はとても見えない。
『待って!』
水の中で叫んだら、薄く白目が覗いて空気の泡が頬を滑った。水面を見上げる目と目が合った瞬間、恐怖による躊躇いが風船のように割れて消えた。 じゃぼんと体を沈める。 そんな暗い場所は似合わないから、こっちにおいでと、何度も誘いをかけるように。
『帰ろうよ』 『どこへ?』 『泣いてるの』 『だって僕達、魚にはなれないよ』
尾びれも背びれももたない少年は、ただ泣きながら沈むしかないのだろうか。手で水を掻きながら、全くもってお手本にもなっていないけれど、やっと手を掴んだ。 底には何もない。 上手く泳ぐ方法を知っているひとは、まるで皆尾びれを持った魚のように明るい水面を泳いでいる。
『じゃあ、一緒に泳ご』
私達は魚ではないけれど。 人ならば苦しかったら空気を分け合うことくらい、きっと出来ると思う。腕をとってダンスをするより軽やかに、不格好に、回遊する。繋いだ手は離れることもなく、ただいつまでも遊々と踊った。
この時間がいつまでも終わらなければいいと、その時確かに思ったのだ。
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ピピピッと狂いなく目覚まし時計が鳴った。蝉が窓の外で大合唱している中、少し開けていた窓から生温い風が吹いてくる。 どうしてか不愉快でない。 それどころか、プールからあがったあとの暖かいバスタオルに包まれたような妙な心地よさがあった。
「……何の夢見てたっけ?」
何だかとても素敵な夢を見ていた気がするのだけれど、曖昧な輪郭すら思い出せない。ぼうっとしていたら数十分が過ぎてしまい、慌てて起き上がったアカリはその夢を記憶のかなたに忘れてしまったのだった。
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