小学生 ----------------
東から太陽が昇ってから、朝は慌ただしく過ぎて行った。今ではすっかり小鳥のさえずりが遠くで響いている。 今日は塩小学校の入学式。 先生のいない教室では各々が自由に過ごしている。友達と戯れる子供や、大人しく机についている子供など様々だ。
胸に小さな花をつけている新入生に紛れ、ひとりの少女がクラスを順番に回っていた。まだ組は分からないが、一つ下のある少年が今日小学校に入学しているはずなのだが。
「い、いない……」
なかなか見つからない。 調味市は県内でも児童の多い地域だ。当然学年クラスも多くなり、ひとつひとつ回るごとにアカリは「もしかして違う小学校に?」とだんだんと不安で顔色を悪くしていく。 最後のクラス。 恐る恐るドアをのぞき込んで教室を見渡すと、少女が待ち望んでいた声が届いた。
「アカリちゃん?」 「!シ、シゲちゃんっ」 「おいでおいで」
一年間ずっと会っていなかったというわけではないのだけれど、少女は今生の別れからの再会のようにすぐにその丸い頭を見つける。 そしてぱっと瞳を輝かせ、他の新入生に目もくれず両手をいっぱいに広げて抱き着いた。モブはつんのめりそうになりながらも飛びついてきたアカリをしっかり抱え、嬉しそうにハグを返す。
「シゲちゃん!シゲちゃんだあ〜!きゃーーーっ」 「あははっ」
一年というのは、子供にとってとてつもなく長い。 幼稚園の卒園式で大泣きした反動か、この4月1日をアカリはずっとずっと楽しみに待っていた。初めての授業も体育も彼がいないとどこか味気ない。そう思っていたのはシゲオも同じだった。 教室の目が自分たちに向いていることに気づかず、二人は再会に飛び跳ねて喜んでいたのだった。
中学生 ----------------
「犬だ」 「いっ、犬だ……!」
昼過ぎの帰り道。 一軒家に繋がれたガレージの犬が、こちらを見て鳴いた。モブは白い大きな犬だなあとしか思わなかったが、対してアカリは僅かに肩を跳ねさせて後退した。 怖いもの知らずな印象が強いが、アカリは犬が少し苦手だ。犬がというよりは、大きな鳴き声に反射的に身構えてしまうらしい。それを敏感に察知したのか、犬はモブのほうにだけ鼻面を向けて匂いを嗅いだ。
「人懐こいなあ」
手を伸ばして撫でたら、もっと撫でろとばかりに額を擦り付けてくる。モブは元々動物に好かれやすいほうだが、この犬はかなり人馴れして愛想が良いようだった。 それ以来吠える気配もない。 アカリは鳴き声は苦手だが、動物は好きだった。楽しげに戯れているモブと犬に少し離れた位置で触りたいという気持ちにソワソワするが、しかし一度逃げると決心がつかない。
「………モブ〜……」 「(犬がもう一匹いる……)」
まるで捨て犬のように懇願する黒い瞳が不覚にも可愛く感じてしまい、モブは誤魔化すようにコホンと咳払いをする。 それからほんの出来心で、手を叩いて腕を広げた。
「アカリ、おいでー」 「!!」
ダッシュである。 飼い主のGOに勢いよく飛び出す犬のごとく寄ってくるアカリに、左右にぶんぶん振られる尻尾を見た気がした。受け入れる体勢を取りながら、これはこのまま抱きとめて良いのかと葛藤して、顔を赤くしながらええいと足を踏ん張った。 が、スカッと脇を抜ける。
「…………」 「うは〜っふわっふわ!フワッフワねあんた!カワイーーーッ」
まあ、予想できた展開である。 まっすぐ白い犬に飛び付いて撫で回し始めたアカリのはしゃぐ後ろ頭に、モブは期待した自分を恥じながら無言でチョップを食らわせたのだった。
高校生 ----------------
金曜日の夜。 男の子は大きい。 成長するにつれてその差は如実になっていく。骨の太さや筋肉の付き方、男は強く逞しく、女は丸く柔らかくなってくるものだとは分かっているけれど。 この男がひ弱な少年だったころのことを、今この大通りで自分しか知らないのだろう。広い背中を見上げ、それを目印に人混みの中を進んで行く。
今日は教師に捕まったり生徒会に仕事をさせられたりといつもより遅い帰路についている。休日前の街は浮かれていて、慣れない混雑にアカリはうんざりしていた。
「あ、」
去り際のサラリーマンと肩をぶつけて頭を下げ合ったほんの少しの隙に、夜の帳が降りかけた空の中、黒い制服を見失ってしまいそうになった。 思わず固い生地を摘まんで、シゲオは振り返って少し驚いたようだった。裾を引かれたことよりも、軽い記憶違いを起こしていたから。 この少女はこんなに小さかっただろうか。
「あっ、あーごめん、はぐれそうだなと思って、何でもないの!」 「早かった?ごめん」 「だから違うってェー!」 「ほら、おいで」
羞恥心に声を上げる少女の言葉を聞いているのかいないのか、今度はシゲオが手を伸ばした。 少女は図星の顔。 戸惑いが躊躇いを呼び、しかしここでいつまでも立ち止まっているわけにもいかない。左手をやや恐る恐ると出せば、右腕で強く引かれて隣に並んだ。 絡めた指先から熱が広がり、いつのまにか人混みへの辟易は遠のいて、ほんのすこしデジャブへ懐かしさを覚えた。
一体いつから彼の「おいで」に抗えなくなってしまったんだろう、と。
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