赤いランドセルをもらったとき、真っ先に見せに行ったのは兄だった。少女は黒いランドセルを背負って毎日小学校に通う姿をいつも羨ましく思っていて、時折自分もはやく行きたいと駄々をこねたものだ。
 三つ違いの兄妹。
 妹がひとつ大きくなれば、兄もそれだけ成長する。今日も帰ってきた背の高いシルエットに纏わりついたら、帰りの挨拶をしろと怒られてしまった。

「おかえり!国語のテスト返ってきた!」
「ただいま。どうだった?」
「じゃーんっ」
「ほう、92点か。及第点だな」
「きゅうだいてんってなに?」
「まあ、合格ラインだということだ」
「合格!」

 兄は厳しいけれど、決して適当な答えを言わない。忙しい大人は子供を褒めてくれるけれど、面倒がってきちんと見ていないことをアカリは知っている。だからいつも難しそうな顔をしている彼が報告を聞きいれ、少しだけ笑ってくれる瞬間が好きだった。
 玄関でスニーカーを脱いで自室に戻ろうとする背中に、アカリはごく自然について行こうとする。
 だが後ろで再び開いた玄関を振り返り、誰かを確認した瞬間、少女はあからさまに嫌そうな顔をした。

「やあアカリちゃん」
「か、神室真司……!」
「相変わらず親の仇みたいな反応するんだから〜」

 恐らく兄の最も親しい友人である男は、今日も大きな隈をこさえて不適に笑っている。怪人を目の前にした戦隊ヒーローのように構えを取ったアカリは、軽く頭を撫でる本人の手でさっさと宥められてしまった。
 そうなのだ。神室自身わりと子供が嫌いではない。
 ではなぜアカリが彼が来ることを嫌がるかというと、答えはただ一つ。大好きな兄に構ってもらえなくなるからである。


▲▼


 流石に友達が部屋にいるのに、突入するのは勇気がいる。別にしてもいいのだが、邪魔になるんじゃないかという子供ながらの遠慮もあった。
 仕方がないのでリビングで一人、おやつのドーナツを食べながら大人しくゲームをする。暫くそうしていると玄関のチャイムが鳴り、兄が部屋から出てきて対応をしていた。家に人が居ないとき以外は出てはいけないと言いつけられている。
 廊下からこっそり覗いて、あのおばさんだと時間がかかりそうだなと首をかしげた。

「…………あっ」

 素晴らしいアイデアを思い付いたとばかりに、悪戯っ子はゲーム機を机に置いて颯爽と階段を駆け上がった。鬼の居ぬ間になんとやらである。
 中では畳の上に卓が置いてあり、その上に勉強道具が広がっていてクラクラした。アカリは勉強が嫌いだ。中では神室が黙々とシャーペンを走らせていて、忍び寄るのは難しくなかった。
 そして少女の小さい手が少年の脇腹に近づき―――

「ひっ!?」
「うりゃうりゃうりゃうりゃ!!」
「やめっ、あはははっあっはははははやめてーーっ!!あーっはははは!!」
「まいったかー!」
「参った参った!」

 突然の特攻とくすぐり攻撃に神室はすぐに降参と手を上げ、アカリは満足そうに頷いて笑う。少年が思わず放り出してしまったシャーペンを拾おうと芋虫のように転がると、それを阻止するように少女が腹の上に乗り上げた。
 じいっと顔を見つめてくる真っ黒い瞳があまりにも真っ直ぐで、神室は理由もなく居心地が悪くなる。

「目の下に『くま』があるのは寝てないからなんだって、お兄ちゃんが言ってた」
「あ、ああ、これか」
「だから、ちゃんと寝なさい!」
「ハイ」

 小さな指に詰め寄られ、少年は思わず素直に返事をした。よしと年上のお姉さんぶった表情でもう一度頷き、ひょいと退いてまたすぐに部屋を出ていく。
 子供って気まぐれだなあ、と何となく寝転んだまま天井を見上げていると、再び足音が近づいてきたと思えば視界が何かに覆われた。
 水色のタオルケットだ。

「うわっ」
「ね〜んね〜、ころりよ〜っ」
「ええ、今寝るのかい?」
「もちろん!」

 有無を言わせないところは兄に似ている。少女の柔らかな手が規則的に鳩尾を叩き、ゆっくりと体温が移ってくる。
 元々常に睡眠不足のような状態だったからか、先ほど大笑いして体力を使ったからかどうかはわからない。遊びに付き合っている感覚で大人しく寝入る体勢でいた神室は、思いのほかすんなりと、睡魔に負けてしまったのだった。


▲▼


「……何をやってるんだこいつらは………」

 回覧板をまわしに来た地域組合の女性の長話からなんとか抜け出した徳川は、自室の状況にやや唖然とする。宿題を片づけるために広げていたノートやシャーペンが散らばり、その横では友人と妹がぐーすかと眠っていた。
 まあ、大体の予想はつくのだが。
 何時までたっても悪戯癖が抜けない少女を見て、大方アカリが何かしたんだろうと溜息をつく。神室も神室で何をやっているんだ、と起こそうとして、ぴたりと手を止めた。

「すー……、すー………」
「くう……」
「…………はぁ」

 二人の寝顔があまりにも気持ちよさそうだったので、つい躊躇ってしまった。昔から相変わらず自分はこの男と妹に弱い。
 まったく仕方がない。
 再び溜息をつきながら、もう少しだけだぞと届かない忠告を投げて、鬼と呼ばれる男は隣に座ることしかできなかったのである。
 

鬼の目こぼし




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