嵐の前の静けさ。
 壊滅を示唆するような光景に深呼吸をして、一度途絶えた炎を呼び戻すように目を閉じる。落ち着け、と自らを叱咤した。
 煮えたぎる体内は既に熱を生み出し、目の前は赤く染まっている。嫌な汗が伝う表情とは裏腹に、口は弟を叱る姉のように言い放った。

「さあモブ、帰るわよ。いつまでそこにいるつもり?」

 花火が炎に変わるまで数秒。
 曇天を割るような火柱が校舎に立ち昇り、少女は頭を冷やすために再び息を吐く。
 けれど不毛。
 冷静に戦局を見る事など、やはり自分には出来ない。洗練された技など使えない。ならいっそ体ごと燃やせばいい。体内の血液も、考えるだけ無駄な脳味噌も、全部全部燃やしてしまえ!

「いい加減に目ェ、覚ましなさい!!」

 そして火柱が白く光る。テルとの戦いで一瞬だけ見せたあの驚異的な威力の炎を全身に纏い、アカリは鋭い目で少年を見据えた。
 対峙する矛と盾。
 尖らせた白い炎が、強固な障壁を貫かんと勢いよくぶつかる。そして穂先が食い込んだとき、ふと無重力空間にいるような感覚を味わった。

 驚くほど手応えがない。

 しかし炎がそれ以上進む気配もなければ抜け出せもしなかった。異様な雰囲気に背中が泡立ち、何とか体勢を立て直そうと集中を―――途切れさせてしまった。


「――――−ッ!!!!」


 視界が反転する。
 ちょうど磁石のN極とN極を無理やりくっ付けた時のように。一瞬のタイムラグのあと、反発力によって強制的に押し返される。
 まわりの瓦礫を巻き込みながら、壁を三枚ほど突き破りやっと止まる。一気に遠のいたモブの姿に遠近感が狂い、理解するまで数秒かかった。
 そして悟ってしまう。
 たとえどんなに鋭い矛を持っていても、それが当たりもせず弾いてしまう盾が存在するとすれば、炎などただのガラクタに過ぎない、ということを。
 
 理不尽にして、不可侵。
 絶対の防御。

 白壁に背中と頭をぶつけ、視界がひしゃげてマーブル状になる。攻めに集中していた所為で守りが薄くなり、脳にダメージを受けて一時的に超能力が消失した。慌てて発火させるが、線香花火のように頼りない火が散る。
 腕を使ってふらつきながら立ち上がり、手をかざしても力が安定しない。焦りが募った。
 絶望が緩やかに肌を這う。


(私じゃダメなの?)

 
 ぐらぐらと頭が揺れる。
 瞳の焦点が歪む。
 校舎がその形を失いながら、力の規模はどんどんと大きくなる。響く雷鳴。樹木は根こそぎ宙に浮かび、瓦礫の列が空に出来上がった。
 
 意識が、混濁しはじめた。
 曇った視界の中でぼんやりと、時間の感覚を失う。背中をつけたコンクリートの冷たさも忘れ、ただただ悲しくなった。
 存在すること、与えられたこと、どれも彼が望んだことではないのに。


 あいつがどうして泣くの。
 シゲオが何したっていうの?

 人と違う力を持つことって、そんなに悪いこと?

 神様。

 神様、は。




(「だいじょうぶだよ」)




 ―――神様は、来てくれなかったよ。
 



 こと、ここに追い込まれ。
 渡辺アカリは、遂に―――爆ぜた!


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァアアアアア!!!!!!!」


 青の爆炎!!

 俯いていた頭を上げ、両手を広げて背中をのけ反り、腹の底から何かが生まれる。脳を支配するのは恐怖ではない。
 憤怒の咆哮。
 燃え上がるような憎悪。
 少女から爆発的に発せられる火は、おおよそ光とも雷ともつかぬものになり、揺らめき境界を歪ませた。 

 炎にも温度がある。人が「熱い」とイメージする真っ赤な炎は実は低温であり、太陽の炎は色温度に当てはめるならば黄色がかった白になる。
 この世で最も熱い炎とは。
 冬の宵、南の中天高くかかる最も明るい星座――あまりの眩さに正確な測定が困難とされた青色超巨星――オリオン座のリゲル!


「あああああああぁあ……!!!」


 まさに肉体抑制からの脱却。
 あるいは見放されたと言っても良い。何故なら少女は深く幻滅していた。渇望した力を手に入れるというのは、もっと清々しいものではないのか。優越感や達成感や、充実を得るものではないのか?
 なんて虚しい。
 これが力だというのなら、こんなに酷い話もない。

「こんな、ものが………ッ!!」

 こんなものがあるから、シゲオは泣くんだ。彼が生まれてからどれほどの質量の苦痛を味わい続けてるのか、正しく想像もできない。今までも、そしてこれからも苦しむんだ。
 怒りは、殺意は、理不尽さに対して。この世の不条理を睨みつけ、アカリは歯を食いしばって両腕を伸ばした。
 やがて衝突した時、確信した。


 ―――壊せる!!




 頭上で起こる二つのエネルギーの爆発に、花沢輝気は呆然自失として見上げていた。少女の無謀とも思えた特攻が、信じられないことに拮抗するまで至っている。
 凡人。
 その二文字が頭を巡る。自分と歳の変わらない少年と少女が、想像の範疇を遥かに超える中で戦っている。もはや、自身が特別であるという意識など露と消えていた。
 だから、ただ祈るように空を見る。

(心なしか、あいつが押してはいるが……長くはもたない。あんな高温の炎に人間の体が耐えられるわけがないんだ!!)

 溢れた力に器は悲鳴を上げる。
 逆流した弁は、少女の体内をズタズタに切り裂いていく。かざした手のひらから血液が吹き出し、目玉が不自然に充血して赤い涙が零れている!

「おいッもう手を離せ!このままじゃお前がリバウンドで死ぬことになるぞ!!」
「いや!!あいつが一番つらいときに私はいなかったっ、絶対いやよ!もうあいつを一人になんてしないッ!!」


 ―――例えば、彼ががいつか、世界を滅茶苦茶に破壊し尽くしても。

 一番辛いとき、傍らに居てくれたのは彼だった。あの焼けた掌を見たとき自分に誓ったはずだったのに、悔しくて不甲斐なくて堪らない。けれど下らない迷いは、もう心には生まれない。

 今苦しんでいるのは誰だ?
 挫けたことを忘れろ。
 神に祈るな!


「シゲオーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」


 絶対の繭が、割れる。
 炎ごと飛び込むようにして、アカリは両腕を千切そうになるまで伸ばした。届く。絶対に届く。届かないはずがない。何も見えない光の渦を掻き分けるように、少女は叫ぶ。温もりだけを頼りに。
 そして確かに触れた。
 抱きしめた。


 そのとき―――世界が瞬いた。



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