例えばの話をしよう。



 放課後のチャイムが鳴った。
 中学三年生の補修など、内容はあってないようなものである。それほど難しくない試験で赤点を取るのは、相当に頭が悪いか、アカリのようにそもそも出席日数が足りない者ばかりが集まっている。
 加えて公立校。「これだけ簡単なんだからさっさと挽回しろ」という面倒そうな声がテスト用紙から聞こえるような再試験だ。

 はじめ、という声から数分。担当の教師は姿を消した。アカリは名前を書いて珍しく真面目にテストと向き合いながら、順調に問題を解いて行く。いくらなんでもこれを落としたらさすがにヤバイ、とはいくら彼女でも分かっていた。
 コチ、コチ、と秒針と、シャープペンシルが紙の上を走る音。垂れる後ろ髪を後ろに流す。消しゴムで字を消して、鉛筆を再び握った。

 そのとき突然、目の前を激しい火花が散る。

「!!」



 カラン、と。

 結果的には、鉛筆を取り落とした、というだけだった。周りの生徒は異変に気付いていない。痺れたように動かない指先に、青白い静電気が見えた気さえして、思わず目を見開いた。
 こういった出来事は始めてではないけれど、覚えはない。強烈なエネルギーの爆発が近くで起きると、警戒するように内側から湧き上がる危険信号。アカリの知る限り、そんな強い力を持っているのは一人しかいない。だから奇妙なのだ。
 これは影山茂夫ではない。
 
(なら、これは誰?)

 自分に発火能力があるように、彼に念動力があるように、この広い世界に他の超能力がいてもおかしくはないだろう。けれどこれほどの規模を持つならば、使い方を知らないわけがない。だからこそ、ただごとではないのだ。

 足の裏からほんの微細に感じる振動。地震ではない。
 嫌な予感が眉間を走る。

―――ガタン!

 教室の後ろから響いた音に、生徒達が控えめに振り返る。アカリは既に荷物も置いたまま席を立っていて、止めるのに間に合った者はいなかった。
 血相を変えてドアを跳ね開け、いざ走り出そうとしたアカリの行く先に立ちふさがる一つの影があった。その人物に気付いて、アカリは慌てて自身に急ブレーキをかける。

「3年1組渡辺アカリ、どこに行くつもりだ?」
「げえっ、副生徒会長……!!」

 この学校で彼女が最も苦手とする厳格な男がそこに待ち構えていた。よりにもよって、と参った表情になった赤点生徒に、徳川はますます目を冷たくした。

「まさかとは思うが、再試験を抜けるつもりか?」
「うっ……そのまさかよ」
「君は後がないんだぞ、何考えてる?どうなるか分からないぞ」
「いーよ!何もなかったら私が停学なり留年なりすればいい話なんだから!」

 少女は何も自分を見逃せといっているわけではない。ただ後でどういう処遇を受けるとしても、今行かねばならないと必死になっている。
 徳川は髪の毛を逆立てん勢いで目を鋭くするアカリに事情を聞こうとして、すぐに思い直した。理解できるとは思わないし、この少女とて確信があって動いているわけではないらしい。
 戻る気はなさそうだ。
 ため息を深くついて、視線だけで焼き付けてきそうな少女を見据え、徳川は「三戸三虫(さんしさんちゅう)というのを知っているか」と切り出す。聞きなれない言葉にアカリはぽかんと目を丸くした。

「古くはその『虫』が、人間の体内に棲みついて意識や感情にさまざまな影響を与えたらしい」
「……補修のつづき?知らないわよ、そんなの」
「所謂、虫の知らせというやつだ」

 徳川はアカリの噂を知っている。超能力者ならば第六感も鋭いのかもしれないが、やはり憶測でものを言うのは好かない。思わず目を細めたら、アカリはそのねめつけるような視線に仰け反る。
 この男のこういう目が苦手だ。棒立ちのくせに妙に威圧感はあるし。居心地の悪くなる廊下を突っ切ろうと足を踏み込んだとき、徳川は道を遮っていた腕を下ろした。
 少女の目がぱっと明るくなるが、それも一瞬。

「徳川……!」
「渡辺、『虫』はお前の悪事を知らせるぞ」
「お好きにどうぞ閻魔大王!!べーーーっだ!」

 逃げ足は脱兎のごとく。
 空いた道を駆け抜ける足取りに迷いはなく、細いため息が廊下に落ちる。振り返りもせず職員室に行く少年の歩みもまた揺るぎのないものだった。



▲▼



 肉体改造部部室。
 汗臭い部屋のドアを勢いよく開ければ、中ではトメや犬山など見覚えのあるメンバーが携帯ゲームに興じている。その様子は至っていつも通りだった。

「ねえ暗田ちゃん!今日モブ見てない!?昼はいたんだけどっ」
「何よ急に……モブくんなら今日は来てないわよ。他の肉改部もそこの手紙見てどっか行ったけど」

 トメは興味なさそうに床に放置された手紙を指さす。汚い字で書かれたその内容の現実味のなさに、アカリはクラクラと眩暈を覚えた。
 手紙を信用するなら、黒酢中の何者かにモブが誘拐されたらしい。窓からその方角に顔を向けて目を眇めると、髪の毛先にまた静電気のようなものを感じる。

「場所は合ってるかも……」
「はあ?あんたも行くわけ?」
「そ!もしモブがここに来たら電話してくんない?今度宇宙人探すの手伝うからさ」
「私が探してるのはテレパシーを……人の話を聞け!!」

 怒号を背に再び走り出す。滅多なことでは超能力を使わないモブのことだ、もし別中学の生徒に絡まれても抵抗しないかもしれない。ただの誘拐ならまだしも―――そこに超能力者がいるとすれば。
 その時は彼も、身を守るために使わざるを得ないかもしれない。


(そんなこと、させない)


 駆け抜ける少女の目には、炎が灯ったように鋭い光を帯びていた。



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