本当に呆気ないほど、話はとんとん拍子に進んで行って。二人は特にすることがなくぼうっとしていた。 何時もなら学校に行っている時間。今頃クラスメイト達はしかめっ面で授業を受けているだろうか。「特別な事情」の上で、モブとアカリはサボタージュしているのだ。
特にそこへ行こうと、言ったわけではないのだけれど、二人の足は自然とそこに向かっていた。恰好は昨晩とあまり変わらず、アカリはワンピースと、モブはTシャツにパーカーを羽織っているだけだった。足元には愛用のスニーカーで、今度は転ばないように。 膝小僧の絆創膏を見て、アカリがからかうように笑った。横に並ぶモブがそっぽを向く。それでも、繋いだ手が緩むことはない。
「お父さん、よく許してくれたね」 「ふん、だってさ。よく考えたら勝手な話でしょ!今まで全然顔見せなかったのに、急にニューヨーク行くぜなんて言われてもさあ!」 「行く気だったくせに」 「だっ!!……って……止めてくれないから…………」 「……嘘だよ。だってもう無理だ」
離れ離れになるなんて。 言葉の端に感じた僅かな熱に、アカリはぱっとモブを見上げて頬を赤くした。あまりにも劇的な関係の変化に、まだ態度まですぐに変われるわけではない。 それでも何か言葉を返したくて、握った手のひらを指先で擦る。堅い感触。振り返った顔は、いつのまにか随分高い位置にある。
「……私ね、ずっと寂しかった。自分でも、全然気づかないくらい、当たり前に寂しかったの」 「うん」 「それに気づいてくれたの、シゲオだけだった。 ……って言ってやったわ!あっはは!」
そう、言ったのはそれだけ。 あとは一生分取り返せるくらいに、駄々をこねただけだ。ニューヨークになんて行きたくない、シゲオと一緒にいると泣いて叫んで、父親が折れるまで諦めなかった。 アカリにとって自分を救うヒーローは父親ではなく、紛れもなく影山茂夫だったから。
これと決めたときのアカリの頑固さをよく知っているシゲオは、その光景を想像してさぞ激しかっただろうと冷や汗をかく。 けれどそのお蔭で、今こうしていられる。悪戯っぽく笑う顔に目を細めて、いっそう強く手を握った。
昨日の涙の痕を辿るように、高台のところまで足を進める。随分走ったんだなと二人で顔を見合わせた。 小さく笑い合う。
「モブ、体力ついたね〜!よくここまで走ったよ、偉い偉い」 「シゲオ」 「んっ」 「シゲオって呼んでほしい」 「なっ、あ、ぁう………うん」
羞恥心が邪魔をして拒否しようとして、アカリは何も言い訳がないことに気付いた。手を強く握ったまま素直に頷くと、モブは口元を緩めて少しだけ体を寄せる。 それだけで心臓が破裂しそうになる。高校に入学してから彼は随分背が伸びて、体格も良くなって、いつの間にかアカリの知っている「ひ弱な少年」ではなくなっていた。 それが堪らなく恥ずかしくて、慣れなくて、肩を緊張させてしまう。
空の色は抜けるような青。 心臓の鼓動を良くも悪くも早くする色は遠く、これが同じ空だなんて信じられないほどゆっくりと雲は流れる。 モブは一回深呼吸をしたあと、ゆっくりとアカリを振り返る。それからぎょっと目を見開いて、少女の頬を指で撫でた。
「アカリ、泣いてるの?」 「へえ?」
やっと頬に伝った雫に気付いたのか、呆然として心配そうな眼前の顔を眺める。あまりにも反応の鈍い少女の名前をもう一度呼ぶと、ほろほろとさらに涙が流れた。 昨日のことを再生しているような気分になって、モブは宥めすかすように前髪を撫でる。そうしないと自分まで涙腺が緩んでしまいそうだったから。
「だって、今日、ほんとは離れ離れだったんだよ……」 「うん」 「でも、いっしょ、居れるから……いま、居るから、だから………っ」 「……泣き虫」 「あんたもでしょお〜〜っ」
やっぱり昨日から、蛇口は壊れてしまっている。遠くで揺れる葉の音でさえ優しく、無慈悲な朝などもう追ってくることもなく、ただ当たり前のようにそこにある。 遠く遠く見えた、手を伸ばせば届いた星の光。 それが「嬉しい」。 確かめるように手を伸ばしてきたアカリを受け入れ、シゲオは少女の記憶より細く柔らかい体を両腕に閉じ込める。抱き合うことが自然で、ただ揺りかごに揺られているだけの幸福な時間。
濡れた睫毛が少年の方を向く。 その瞬きだけで同じことを考えていると悟り、項を辿って大きな手を後頭部に添えた。同じように濡れそぼった頬に少女の小さな手が置かれ、二人はほろほろと情けなく泣きながら、もう一度口付けを交わした。
二人のアカボシ
もう終わりは来ない。
Thank you by BGM 二人のアカボシ/キンモクセイ
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