鮮やかな緑の低山。 駅から下車して左手の山に向かって歩き、木立ちを過ぎると右手に小さな教会があった。その先の大きな池を抜ければ、依頼人の屋敷が構えている。 大正末期に建てられたこの屋敷は、桑の古材を使用している茶室を改装したらしい。かなり古いがモダンで大きな家、相当溜め込んでいると霊幻は気合十分に入っていった。
モブとアカリは、話が済むまで外で虫取りでもしてろと放り出されてしまった。中学生二人を連れていては依頼人も訝ると思ったのかもしれないが、今更といえば今更な話である。 とはいえ生まれてからビルに囲まれて暮らしていた二人には、この山中はちょっとした異世界のようなもの。ハイキングにしては軽装で、歩きやすい道を選びながら周囲を探検していた。
「あれカブトムシ?」 「クワガタだよ」 「クワガタ!本当に虫取り網持ってくればよかった!」
巨大な樹木の下では、夏の日差しさえ微かな木漏れ日になる。麦わら帽子の下で残念そう上を見上げる少女に「とってあげようか」と少年が聞けば、しばらく悩んだあと首を横にふった。 モブにとってもこの森は未知のものばかりで、興味がないといったら嘘になる。しかし軽やかに浮かぶモンシロチョウのような白いワンピースが、好奇心の赴くままにどこかへ行ってしまいそうで気が気ではなかった。
「あの黄色いの、なんだろ?」 「よく見えないね」 「行ってみよ!」
この猛暑の中でもアカリは元気だ。モブは表情こそ大きく変わらないが、肌に絡みつく熱気よりも目の前の白を追いかけることに夢中だった。 やがて雑木林を抜け、葉影に覆われた視界がまばゆく弾けた。あまりの落差にチカチカと瞼に錯覚が極彩色で映る。
一面の向日葵。
アカリは立ち尽くして言葉を失っていた。一度だけきらきらと輝く瞳でモブを振り返ったあと、花の海へと飛び込んで行く。 夏の抜けるような青空、入道雲は干したシーツよりも白く、向日葵の黄色や葉の緑が鮮やかすぎて、色の洪水に倒れそうなほどだった。
「このヒマワリ、どこまで続いてると思う?」 「さあ」
二人の背丈とそう変わらない力強い茎は、風に煽られて一斉に揺れる。アカリが楽しそうに満面の笑みを浮かべ、ふわりと真っ白のワンピースを踊らせる。 それがあまりにも眩しくて、少年はゆっくり瞬きをした。ごく短い時間のあと、目を開けたら少女の姿が掻き消えていて―――
「え?」
ザア、と再び風が抜ける。 広がる黄色の花には果てがない。どこまでも続くヒマワリ畑に、ぽつんと取り残された麦わら帽子を見て、急に焦燥に駆られた。 周囲を見渡せど、塗りつぶすように花が並んでいるだけ。
「アカリ、どこ?」
“このヒマワリ、どこまで続いてると思う?”
山に頂上と麓があるように、花畑も無限であるはずはない。見渡す限りの黄色をかき分けていく。 Tシャツから剥き出しになった腕に葉が擦れても気にもとめない。前に進んでいるのか、後ろに下がっているのか、逸れていっているのか分からない。
果てに到着したらどうなる?
(連れていかないで)
「アカリっ!!」 「うわ!」
ひょこ、と頭を出した。 一際背の高い向日葵から顔を出し、大きな声で呼ばれた名前に驚いて目を丸くしている。何事もなかったかのように。
「びっくりしたー、帽子どこ行ったのかと思ってた。風で飛んじゃったみたいでさ、拾ってくれたの?………モブ?」
自分の顔を凝視して反応を示さない少年に、少女は不思議そうに首を傾げた。 もしかして熱中症なんじゃと手を伸ばしたら、太陽光を吸収したのか髪がとんでもない温度になっていて、アカリは慌てて麦わら帽子をモブに被せる。 まだあまり日焼けしていないまろやかな頬に、つうと汗が伝った。少年は心配そうに覗き込んでくる顔を、今度は直視することができなかった。
「もー。倒れないでよ?!それ貸してあげるから、もう戻ろ」 「……うん」 「しょうがないなあ」
笑って手を繋いで、決してはぐれないように。 眩暈が起きたのはこの顔のせいだ、と心の中でごちながらモブはしっかりと手を強く握る。最初からこうしておけば良かったのだろうか。けれど、繋いでしまって自由に動けない少女を見たくないのも、モブの我が儘だ。
(……連れて、いかせない)
光を遮る麦わら帽子の中で、安堵と滲む涙を隠れて拭った。抜けるような青空と向日葵は、まだ大人になりきれない自分には、眩しすぎて少し怖い。
あの花は、このぬくもりに似すぎているから。
向日葵 (私の目はあなただけを見つめる)
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