アカリは生活の殆どを自ら回している。もちろん実家だが、共働きの上に父親は単身赴任のため一人で居ることが多い。家事は昔から自分でしているし、それを寂しいともあまり感じなかった。
 もちろん嘘である。
 寝坊してもお弁当があったり、体操服がいつの間にか綺麗になっていたり、帰ればご飯が出来ているのに憧れている。一人で広い部屋に居るのは心細いので、大体帰れと言われるまで事務所や友達の部屋に居ることが多い。
 ただ彼女は自覚もしていなかったし、たとえ思ってもそれを素直に口にすることは、アカリにとってかなり難しいことだった。

「うっ……マジかぁーー」

 既に制服に着替えた格好で体温計を睨みつけ、念のためともう一度測ったものの結果は変わらない。くらっと揺れる頭を片手で支え、脳裏に浮かぶのは先日熱で寝込んでいた奴の存在である。
 次の日にはけろりと学校に来ていたので回復が早いと関心していたのだが、私に感染させたならどうりでとアカリは眉を釣り上げる。

「…………」

 暫くソファーで足をジタバタさせて苦悩していたアカリだったが、やがて傍らの携帯をとり無言で電話帳の「さ行」を開く。そのままボタンを押して、繋がるまでソファーの肘掛けに体を預けてじっとしていた。
 何回目かのコール音のあと、通話状態になった瞬間にはっと正気に帰ったように目を見開く。

『おはよう、どうしたのこんな朝から』

 声を聞いたのを引き金に、無性に安心してしまってへにゃりと身体から力が抜け、この行動は失敗だったと悟る。家でおとなしく寝ていたほうがいいのは理解しているのに、人恋しくなってしまった。

『……アカリ?』
「へっ、あっ、やっぱりいいや!後で言うから!後でっていうか別になんにも無いんだけど!んじゃっ」

 訝しげな声に慌てて返事をしたら、努めて明るい声で電話を一方的に切った。
 少女は「会いにきて」なんて口に出すことはできない。寂しいと心が訴えるなら、会いに行くしか方法を知らない。
 完璧に誤魔化せたな、と頷きながら身体を起こして、先ほどよりは幾分か軽やかに登校の準備をはじめた。



 しかし悪いことというのはなかなかどうして、連続して襲いくるものである。


「ようこの前は世話んなったなぁ……っておい!」
「えっなに?」
「ビックリした!出会い頭のシカトはやめろ!」
「バカみたいだから私の知り合いじゃないと思って」
「くっ、なんてムカつく女だ……俺は以前お前とチビが邪魔してきたせいで引ったくりに失敗してパクられた塩高校の尾形だ!!」
「……なるほど、この私の凛々しい姿を見て心を入れ替えたってわけね?」
「いや、全然違う」
「いいのよお礼なんて!私いま体調悪いからまた今度で」

 お見通しとばかりに自信に満ちた顔で髪を手で靡かせるアカリだったが、体調が悪いと告げた途端、男の口角が釣りあがった。
 嫌な空気がこめかみを掠めた瞬間、バチン!と重い音。男の拳が少女の頬に叩き込まれる。衝撃に顔を背けたアカリだったが、身体がよろめく気配はなかった。
 再び正面に向けた視線はメラメラと怒りに燃えており、噴火寸前の火山のように危うい。その剣呑さと手応えのなさに男は少しだけ怯んだようだった。

 音を合図にするように、道先の角から数人の男がこちらに向かってくる。十中八九男の仲間だろうと悟ったアカリは馬鹿にするように鼻で笑った。

「はん!多勢に無勢なんて、恥ずかしくないの?」
「チッ、ちゃんと入らなかったか……俺はな、俺を馬鹿にしたやつにゃ手段は選ばねえんだよ。あの一緒にいた陰気なチビもあとでお礼参りしてやるぜ」
「よーく分かった!男の風上にも置けない奴は、このアカリ様が再教育してやるわ。あとチビっこいのはああ見えて陽気なのよっ!」

 アカリは短気だった。
 その上身体が病魔に侵されていたとしても、こんな最低な奴には負けられない―――という負けず嫌いでもあったので、兎に角間違った選択とは分かりながら、戦いの火蓋は切って落とされたのであった。



▲▼



 同刻、塩中学校。
 モブは朝に電話をしてきたきり音沙汰がないアカリを気にしていた。またサボっているんだろうかとも考えたが、あんな風に電話をしてくること自体珍しいから、妙に胸騒ぎがする。
 お陰で先ほどから数学の授業料はますます分からないし、ぼうっとするなと教師には注意されるしで散々だ。必死にノートと黒板を見て、ざわざわと何かを訴える鼓動に小さく息を飲んで静かに挙手をした。

「先生、あのう……」
 


▲▼




「んぐ……っ!」
「オイオイ、さっきまでの威勢は如何したんだよ!」

 念動力で力を受け流すことにも限界がある。超能力による攻撃なら跳ね返すことができるが、何より炎を使えないことが痛い。
 いつもなら脅かすために少しくらい使ってしまうが、今の体調ではどんな間違いが起こるとも限らない。それに熱が体の中で燻ってなかなか放出もできないとなると、女と男の力の差は徐々に浮き彫りになる。

「はーっ、はー……っ!あんたらなんかねえ、本調子なら……うわっ!!」

 拳を避けて不安定な体勢から足払いを受けてしまい、アカリの身体は人気のない路地から表通りのショッピング街に乗り出した。
 コンクリートに直撃を避けるためにすこしだけ念動力で浮かせたら、その先は―――テラス席。

「げっ」


―――ガシャーーーン!!


 オープンテラスに突っ込んだ少女に悲鳴が上がる。先ほどまで調子に乗っていた男たちもやや焦りを見せるが、今更引くに引けず汗をかきながら下品に笑い声をあげた。
 机に背面を激突させ、衝撃に頭がぐらぐらと揺れる。脳みそがシェイクするような不快感に、アカリは視界が派手に歪んだのを感じた。身体を支えるために手をついた先に筒状のなにかを掴む。朦朧とした意識の中でそのラベルを読み上げ、緩慢な動きで立ち上がった。


「……だ、大丈夫かよあいつ、結構派手に突っ込んだぜ」
「ビビってんじゃねーよ!女一人怪我させたところで何だってんだ、ハハッ、ハハハ」
「けどよ、起き上がってこな……」

 ゆらりと立つシルエット。
 少なからずホッとした様子の彼らは、幽鬼を前にしているような気配に言葉を失う。まだ真夏は先だというのに、体感温度がどんどん上がって行くのだ。
 少女は小さな容器から液体をあおる。最後の一滴まで飲み干して、刺激を我慢するように俯いて全身を震わせた。バキィッとまるでペットボトルのように「タバスコ チポトレーペパーソース」の瓶を変形させ、そして取り落とした。

「………〜〜〜っ」
「あいつ、何してんだ?!」
「お、おい、何か可笑しい!なんか……熱いぞ!!」

「ああああァ〜〜〜〜ッ!!!!!かっら〜〜〜い!!!!」

――――ドォオオンッ!!

 赤い火柱!
 少女を中心に巻き上がる灼熱の炎。テーブルやイスが吹っ飛び、人間の身体は10mは宙に浮いた。火の勢いに黒髪を散らばらせながら、吼える少女の怒りの視線が男を射抜く。

「あんた達、ぜんぶ消し炭にしてやるわ……っ!!」
「ヒィイイ! 化け物だぁーーーッ!!」
「助けてーーー!!」
 
 歩みを進めてくるアカリに、すっかり腰を抜かせた男達は後ずさるしかできない。息を荒くしながらどこか焦点の合わない目玉。赤からさらに眩しい白に変わる炎。
 怯えに怯えた懇願の声など耳に入っていない様子で、その掌を無慈悲に向け―――炎が消えた。


「アカリ」

「………」
「本気で人に向けちゃ、ダメだよ」
「………モブ」

 髪が肩に落ちる。今までの獰猛な表情が嘘のように消え去り、それどころか身体の力を完全に失い、重力に従って倒れていく。
 それを慌てて念動力と腕で受け止め、その身体の熱に驚愕する。炎を産んでいたはずの手は不自然に冷たく、苦しそうな呼吸を繰り返している。


(78%)



 どこかからサイレンの音が響いている。周囲に火は燃え移っていないようだが、騒ぎを誰かが通報したらしい。モブは無言でアカリの身体を抱えて歩き出した。

「お、……」
「喋るなよ」


(87%)
 


 ざわ、と黒が揺れる。
 厚い前髪から除く瞳に、明確な怒りが篭っている。その異様な雰囲気に気圧された尾形は口を噤み、身体を襲う重みに吐き気を感じていた。
 少年は少女の肌に走った痣や傷をひとつひとつ眺めて、一歩歩く度に重量感を増していく。男の姿を一瞥もしないまま、低く低く呟いた。


「僕まで爆発しそうだ」


(99%)







 

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