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迷った。
今の会社に入社して三年目に突入した春、通勤時間を減らしたいと会社の近くに引っ越したのが仇になった。
元々極度の方向音痴なのに、毎日帰宅する時は真っ暗。街灯もぽつぽつとしかない。迷うなというほうが無理。
「あーッくそ」
新居になってもうじき二ヶ月だぞ? いい加減方向音痴の四文字で解決出来ないものがないか?
住宅街の、どれも同じに見える細い道を歩きながら小声でぼやく。
明日は休みだ。さっさと帰ってゆっくりしたかったというのに!
溜め息を吐き、スラックスの尻ポケットに突っ込んだ携帯電話を取り出した。面倒ではあるが、GPS機能を使って、ネットの地図サービスに道案内を頼もう。
「お兄さん、お困りですか?」
横合いから声がした。
『お兄さん』が俺とは思わず、条件反射でそっちを向く。
人の良さそうな笑顔を振り撒く好青年。俺と眼が合うと、肩の高さに持ち上げた右手をひらひら振った。
――助かった!
「えっと、はい、お困りなんです。凄えお困りなんです。あー、親戚の家がこの辺りなんですけど、滅多に行かないから場所がいまいち判らなくて」
「迷子さんだったんだ?」
「う、……ええまあ、はい」
流石に自宅への帰り道に迷っているとは言えず、咄嗟に嘘を吐いた。
「目当ては何処? 三丁目辺り?」
「や、四丁目です」
「ああそっちか。そこって確か、最近コンビニ出来たっけ? それの場所なら判るよ」
「た、助かります!」
コンビニなら、俺の家まで一分と掛からない。近すぎて毎日コンビニ弁当で済ましてしまいかねない、俺の目下最大の天敵だ。
会話しながらその男に歩み寄るにつれ、そこが公園の入り口だと初めて気付いた。路地よりかは幾分街灯も多いが、暗いのには変わりない。
男の脇にある石の看板には、明善公園とあった。俺の住所にもその地名は入っている。尤も今まで存在自体知らなかった。
異性なら一発で惚れそうな爽やかな笑顔を浮かべ、男は俺の右手首を掴んだ。
「え?」
「こっち。あのね、此処抜けてったほうが早道だから。俺も暇だし、そこまで案内するよ」
「そんなの悪いんじゃ……!」
「へーきへーき。こういう時は素直に、『有り難うお兄さん』って言っとけば万事解決だよ?」
俺もさらっとこんな台詞を言えたら、会社でモテるんだろうか?
束の間下らない事を考え、すぐに頷いた。
「有り難う、お兄さん!」