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 どさり、とここまで背負ってきた彼をベッドに横たえた。
 丁寧に寝かせてあげたかったのに、意識を失っている男の身体は存外重い。僕はそれを、実行に移してみて初めて知った。
 それに、彼を車へ運び込むのにも案外時間が掛かった。特別に強い昏倒剤を、彼の家にある加湿器の水に混入させていなかったら、もしかすると車中で目を覚ましていたかもしれない。万が一の為に、侵入した時点で手足を縛っておいて正解だった。

「由良君……」

 一度拘束を解いてから、両腕を万歳させてもう一度ベッドヘッドに手首を結わえる。脚も同様、大きく開かせて、あらかじめ細工をしてあったベッドのマットレスに固定させた。
 彼の身長をきちんと加味しておいて良かった。理想通り、僕の下で熟睡している、無防備で無抵抗の由良君の出来上がりだ。

「……由良君」

 声が昂揚でひっくり返りそうになる。
 これで、君はもう僕のものだ。



 長総由良は小さく呻いた。
 ひどく頭が重い。うっすらと頭痛もしている。
 とにかく水でも飲もうと、確かに目を開けようとした。
 だが――できない。瞼を持ち上げようとしても、目をなにがしかの物体に遮られている。

「……ッ!?」

 ワンテンポ遅れてその事実に気付き、喉の奥で縮こまった悲鳴を上げる。なんだこれは、くらい呟きたかったが、あいにく口も何かを噛まされていて喋れない。

(なんだ、なんだなんだ……!?)

 両腕も動かない。両脚も動かない。頭の鈍痛以外は特に痛みはないものの、どうしようもなく身動きが取れない。

「んっ……んんー! んっ……」

 話せない代わりに呻いた。ここがどこなのかさえ全く見当もつかなかったが、ともかく第三者が気付いてくれることを信じて。
 その望みは、けれど彼が思い描いていた形とはまるで異なる格好で叶えられた。

「由良君……! おはよう、起きたんだね」

 ドアが開閉する音。そして、焦燥している由良とは裏腹な、実に弾んだ声。
 突如として現れた男の声に驚きで肩を跳ねさせるが、顔の見えない相手は頓着した気配もなく近付いてくる。

「おはよう。気分はどうかな? 爽快――とは、きっと言い難いよね。ごめんね」
「んっ……んぐっ、んっ……」
「ああ、ちょっと待ってて。タオル解いてあげるから」

 呑気な声がそう言い、言葉通りに取り払われた。噛ませられていたのはタオルだったらしい。
 異常事態において未だに呼吸が浅いまま、それでも由良はどうにか痺れがちな舌を動かした。

「っ……お前……は、誰だ……っ。ここ、は、……ッ俺に、何をする気だっ……」

 詰問すると、男は、ふふっ、と忍び笑いをこぼした。
 それが全く場違いな歓喜を帯びていて、由良は怯えて小さく息を呑む。

「やっぱり、由良君は由良君だなぁ。――ああ、ごめんね。馬鹿にしたわけじゃないんだよ。でもね、由良君。僕みたいなイッちゃってるストーカーに付き纏われたくなきゃあ、あんなわけの判らない写真がポストに入ってた時点で、面倒くさがらずに引っ越ししないと。ね?」

 ひっ、と由良は引き攣った悲鳴を漏らした。
 『わけの判らない写真』。心当たりがあった。
 街中で買い物する由良を電信柱の陰から写したもの、コンビニで弁当を品定めする由良の背を写したもの、果ては、自宅マンションの寝室でオナニーする姿を隠し撮りしたものまで。
 それらが不定期に、ポストに突っ込まれていた。封筒に入れられてすらいないそれは、不届き者が直接投函していったことを示していた。
 当然由良はこの上なく不気味に思ったし、男の諭す通り引っ越しも考えた。だが、一連の盗撮が始まったこの三ヶ月、残業続きの仕事で疲弊していて、現実のそうした諸々に煩わされるのがとにかく億劫で仕方なかったのだ。
 誰の仕業か判らないが、きっとすぐに飽きる。取り立てて変わった仕事に就いているわけでもない、特別顔が整ってもいない自分への執着など、きっとすぐに止む。そう言い聞かせ、目を逸らし続けていた。
 そのツケが――この、拘束だというのか?

「っふ、ふざけるなッ……! いいからっ、早く解け!」

 めいっぱい虚勢を張るも、男にはすべてお見通しのようだった。
 空気が動いたと警戒した途端、頬をひと撫でされる。たったそれだけで由良は、びくっと四肢を強張らせた。

「だめだよ、由良君。由良君はもう僕のものなんだから、手放してなんてあげない。ずっとずっと、君は僕に飼われるんだ」

 怖気が走り、全身の毛穴がぶわっと広がった。
 かちかちかち、と小さく硬い音が聞こえる。短く浅い呼吸を繰り返す由良には、自分の歯が鳴らしていることにも気付けない。
 怖い、怖い怖い怖い!
 視界を奪われていることが、身動きできないことが、恐ろしくてまともに声も出せないこの状況すら。
 奥歯を鳴らして無様に震え始めた由良に、男はうっとりと微笑んだ。

「ああ――ははっ、ああ……堪らないなぁ……由良君が僕に怯えて、怖がって、震えてる……堪らない、愛おしい……由良君、由良君……」

 男は陶酔に満ちた声で、ますます由良を惑乱させる独白をこぼす。
 間もなく、身を屈めてきた気配。

 べろっ……
「ッひぃいっ」

 右耳の耳朶を、ねっとりと舐められた。
 思わず仰け反り、両脚を突っ張らせる。勿論、逃げ場などない。

「大丈夫だよ、由良君……」

 男の囁きが耳の奥へ吹き込まれる。
 がちがちがちっ! とひっきりなしに奥歯が音を立てる。

「僕は君を、痛くも苦しくもさせない。ふふっ……『躾』がまだできていない今だけは、ちょっぴり怖い思いをさせちゃってるけど。すぐにとろけるほど気持ちよくなって、僕の醜いチンポがほしくなっちゃうんだ。マンコにほしいほしいって、あまーい声でおねだりしちゃうんだ。楽しみだなぁ……」

 由良はもう殆ど男の言葉が理解できていなかった。辛うじて理性を繋ぎ止めるのが精いっぱいで、思考などろくに巡っていない。
 がたがたと硬直していくばかりの由良を気にも留めず、男は枕許に置いている、球体型の物体のスイッチを押した。
 中から、薄く紫色をした無味無臭の煙が、微かな蒸気音とともに噴き出てくる。
 ――由良の『躾』を手伝ってくれる、便利な違法グッズだ。
 男は「じゃあね。また来るよ」と嬉しげな声で由良に口付け、あっさりと部屋を出ていった。


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