おぼれる


「……ッ痛」

 鋭い痛みが走り、反射的にそう呟いた。
 黒に近い灰色の制服、左の肘から先がぱっくり裂けている。あ、と思う間もなく、破れた制服の隙間からだらりと血が零れた。
 困った。
 職業柄生傷は絶えないが、こんなに次から次へ出血が止まらなくなるのは、昔腹を刺されて以来だ。

「どうしよう」

 我ながらあまり困った風ではない独り言を言った。



 昼間の警護中の負傷は、取り敢えず見よう見真似で使い物にならなくなった赤く血濡れたシャツを包帯みたいに裂いて、ぐるぐる巻きにしてみた。
 放っておいたら勝手に血は乾いて凝固してくれたので助かった。止血の仕方など、研修で習ったきりで活用した試しは無い。腹の怪我の時は自力で何とかする前に気絶した。
 制服を駄目にした事も上司に報告してある。明後日には新たな支給品を貰える事になった。
 最低限の枚数しかシャツが無いのと、応急処置を施した腕で風呂に困る以外は特に問題はない。流石に、あんなだらだらと血が流れるのを見ると多少驚きはしたが。

 用済みの制服をごみ箱に突っ込み、部屋着のTシャツを裸の上半身に纏って一息吐く。ベッドに腰掛け考えなしに両腕を着いた途端、一瞬息が止まる程の痛みが全身を駆け抜けた。

 判っている。
 変に意固地にならずに、本業の『彼』に頼れば、遥かに手際良く包帯を巻いてくれる事など。
 けれど、駄目だ。俺が怪我したなんて言ったら、心配させてしまう。それは嫌だ。
 ――何故、嫌なんだろう?
 まだ、判らない。







「お疲れ様、翔くん」

 今だけは一番聞きたくない声が俺の名を呼んで、微かに身体が強張った。

「……隼人さん」
「今日も警護だったんだろう? 本当、大変だよね警護班は……しかも長い事増員なんてされていないし」

 食堂内で夕食の乗ったトレイを抱え、彼は屈託なく笑う。
 俺はどうしてだか会話を早く切り上げたくて、「いえ」と一言だけ返した。
 隼人さんは少し不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔に戻る。丁度空いていた俺の右隣に座り、いただきますと両手を合わせた。
 右隣。良かった。左腕のすぐ近くに隼人さんが居たら、緊張してボロを出しそうだった。

「僕のところも、警護班程じゃないけど忙しかったよ。今日は総司令部主催の士官学校の実践講習の日でね、護身術が下手な生徒とか、学生気分に浮かれた同僚とかが引っ切り無しに医務班に押し掛けて。殆ど掠り傷程度だから、舐めとけば直るのに」
「……」

 耳が痛い。
 そうだ。気にし過ぎる必要はない。こんなの、ただの掠り傷だ。
 ハンバーグを箸で切り分け、自分に言い聞かせる。和風のデミグラスソース。美味しい。

「各々絆創膏の一、二枚くらい持っておいて欲しいよ。そうしたら、僕の休憩時間も増え……あ、ごめん翔くん。そっちの醤油、取って貰って良い?」

 隼人さんが箸の先で示す醤油差しは、俺の左手にある。左腕を庇って、なんて隼人さんは知らないわけで、わざわざ箸も握っている右腕を伸ばすのは不自然に見えるかも知れない。
 だから俺は、そろそろと左手を伸ばした。ゆっくりした動作ならあまり負担にならない。醤油差しを握る。
 ほっとして気を抜いたのが間違いだった。

「っと! ……ごめ――」

通路を通っていた通行人が思い切り左腕にぶつかり、台詞の続きは痛みで意識に空白が生まれた所為で聞き取れなかった。
 背中を冷や汗が滑る。ぶつかった彼は空腹が辛いのか、謝ってくれたらしき後はさっさと人混みに消えた。
 頭の芯がキィンと膿む。

「……くんッ?」

 気遣わしげな声にはっとした。
 掴んだ筈の醤油差しはテーブルに倒れ、付近は黒い液体で汚れていた。隼人さんが代わりにてきぱきと布巾でそれを片付けてくれている。

「あ……」

 隼人さんは濃い茶色に染まった布巾には目もくれず、拭き取り作業を終えると俺の肩を鷲掴み強引に向きを変えた。
 酷く真剣な顔。
 彼を恐いと思ったのは、先日初めて身体を繋げた時以来、二度目だ。

「今のは疲労による眩暈が、……とは、言わないよね?」

 詰問口調が恐ろしい。
 心配させて申し訳ない。
 すぐに怪我を負う様な用無しだと、隼人さんに思われたくない――

「っ、あ、」

 喉が張り付き、上手く声が出ない。何一つ言い訳が浮かばないまま、俺は無意味に首を左右に振った。

「違……あの、俺は」
「部屋で聞くよ」
「え……、ッ!」

 有無を言わさず彼の手で強制的に立ち上がる。その弾みで左腕がテーブルに当たり、固く眼を暝った。
 隼人さんは終始無言で、食べかけの夕食をその場に放置し俺の右手を引いた。



「どうして、僕に知らせてくれなかったの?」
「……ッめ、なさ……」

 はあ、という溜め息が突き刺さる。語気が荒いわけではない、寧ろ穏やかなその声音が却って恐い。
 包帯に滲む血を見て、隼人さんは珍しく顔を顰めた。
 俺はすっかり縮こまり、隼人さんのベッドの上で小さくなった。簡単な救急箱を自室に備えてあるらしく、それを引っ張り出すと彼は黙って汚い包帯を外し、肌に浮いた血液を拭い、消毒液を塗り、新しい包帯を巻いてくれた。俺の処置はぎこちなくて巻いている最中も疼いて仕方なかったのに、隼人さんのはちっとも痛くなかった。
 真っ白い包帯を見詰める。
 沈黙が恐い。隼人さんが恐い。嫌われるのが恐い。
 意を決してずっと俯けていた顔を上げた。

「――ッ」

 俺に一切の興味を失ったかの様な、空虚な笑みがそこにあった。

「どれだけ君に好きと伝えたら、届いてくれるんだろうね?」
「……っ」
「ねえ、翔くん。馬鹿な僕に教えて?」

 とす、と優しく押し倒された。
 その動作も口調も普段と変わらない隼人さんで、しかし口元は確かに弧を描いているものの眼は少しも笑っていない。
 何故だか、それが酷く悲しかった。



「ァはぁ…ッん、あっ、あっ、も…おっ出な、ぃい…!」
「嘘。翔くんのココは、もっともっとイカせてって言っているよ?」

ぐち、ぐちぐち、ぐちゅっ
じゅるっ…ぬちぬちっ

 隼人さんのものを含んだ後孔の縁を俺の先走りで濡れた指でなぞられ、ぞくぞくと背筋を快感が走った。ぎゅ、と締め付けてしまう俺は、間違いなく淫乱だ。
 腰をゆらゆらと揺らし、唾液を飲み込みもせず隼人さんを見上げる。彼は嬉しそうに、また同時に悲しそうに微笑んだ。
 そんな笑顔見たくなくて、俺は故意にアナルを引き絞る。
 緩い突き上げがもどかしい。善がる腰の動きが段々速くなっていく。ぐちゅっぐちょっと水音が鳴り響き、俺は背中を反らして喘いだ。

「ぁああ…っゆる、許し…ッてぇ…!」
「何をだい、翔くん? 僕は君を責めても、怒ってもいないよ?」
「ンふ…ぁ、あっ、ンぁああ…ッ!」

 もっと。もっと欲しい。
 狂う様な快楽が欲しい。
 隼人さんのペニスを規則的にしゃぶり、身体をくねらせた。

「はや…っとさ、隼人さぁん…ッもっと、ほひ…ィよぉっ…」
「淫乱だね、翔くんは」

ぐちゅぐちゅ、ぐちゅっ
ぐぷ…くぷっくちゅ

「いんら…ッなの、おれぇっい、らぁなのぉおッ! ひァんっもっとぉ…足りな、よぉ…っやと、さ…!」

 何度も何度も放埒して出すもののない性器をがむしゃらに扱く。涎がだらだらと溢れ、がくがくと腰を振った。
 それでも隼人さんは、『愛して』くれない。

「あぁッ! 隼人っ、さぁン! はぁッ欲し、奥ぅ…っ奥、あっ、ごりごりィッん! 突いて…くだしゃいぃ…ッ!」
「……翔くんは淫乱だから、きっとこれも大丈夫だよね?」
「えっ、あ…っ?」

 涙で歪む視界に映るのは、隼人さんが片手に黒い何かを、もう片方には俺のペニスを握っている光景。
 あの黒いのは、恐らくコトを始める前に予め隼人さんが準備していた物だ。俺から見えない様にすぐに背後に隠されたそれ。
 彼はちらりと俺を見、久し振りに心から笑った。

「力抜いててね、翔くん」
「なに…ィあッ!? ぃや…っなに、何ぃいいっ?」

ず、ずちゅ、ずり、

 肉棒を固い異物が競り上がってくる。その感覚に身を捩ろうにも、両足は隼人さんの体重が掛かり、左腕はこれ以上悪化させない様にとベッドポールに繋がれ、右手一本では大した抵抗にもならない。
 軽いパニック状態の俺に構わず、彼は依然ペニスに何かを押し込み――

「出来たよ、翔くん」

 恐る恐る頭を巡らせて股間を覗き込み、唖然とした。

「ぁ…あっ…」
「尿道バイブ。初心者用だから、そんなに太くないでしょう?」
「ぃや…ッぬい、抜いて下さい…!」
「拒否権は無いんだよ、翔くんには」

カチッ

「ンぁあああぁああッ!!」

 スイッチが入った途端、絶叫を撒き散らしながらドライで達した。びくんびくんと有り得ない程全身が跳ね上がり、ペニス内部で玩具が好き勝手に暴れると同時に隼人さんががつがつとアナルを突く。

ぐちゅぐちゅぐちゅ!
パンパンパンパン

「ィひ…っぁあ、あ、あ、あ! ふぁああ…ンっイイ、ィイいいッ!」

 嘘みたいだ。
 そんなところにそんな物を突っ込まれて、今回が初めてなのに癖になりそうなくらい気持ち良くて堪らない。
 律動に比べたら生温い刺激でしかないバイブは、自分でさえ知らない場所を無遠慮に暴く。僅かな隙間を縫って先走りだかまだ残っていた精液だかが漏れ出る。

「ああぁン…んふぅッあんっあんあん! ペニスっ…後ろもぉッあ! ィひぃいいいーッ!!」

 泣き叫ぶうち、そう間を置かずに再びイッた。
 ぐちゃぐちゃとナカを隼人さんの性器で掻き混ぜられ、尿道を細身の玩具に遊ばれる。
 入り切らない精液が注がれ、軽くひと突きされただけで水音が立つ頃には、掠れ声で嬌声を上げ続けていた。

「ぃあア…っぁん、イイぃいい…ッ! もち、ぃっ、あっ、ンぁあ…ッ?」

 後ろから貫かれていた俺は、不意に抜け落ちたペニスに振り返った。
 汗で張り付いた前髪を掻き上げ、隼人さんが弱々しく笑っている。
 俺は快楽を取り上げられた事を不満に思い、限界まで脚を開くと後孔に指を掛け内部の襞を晒した。

「ふぅうううン…ゃと、さァん…もっと、足りないのぉ…っ」

 脚をすり合わせ、躊躇いもなくそう誘う。
 しかし隼人さんは小さく首を横に振り、俺の身体を抱き締めた。

「隼人、さん……?」
「ごめんね」

 裸の背に裸の胸が触れ、緩やかな心臓の音が聞こえる。詰まりがちな吐息が耳元を過ぎ、俺は笑った。
 片腕を固定されていては真正面を向けない。不格好な体勢で隼人さんに笑い掛けると、彼は眼を見開いた。

「貴方は謝ってばかりだ」
「……そりゃ、謝罪が必要な事ばかり君に強いているからね」

 苦笑する彼が今まで激しく俺を責め立てていた人物と重ならず、俺はくすりと笑む。
 初めて、隼人さんを愛おしく思った。

「謝らなければならないのは俺のほうです。俺は、まともに任務ひとつこなせない出来損ないだと貴方に思われたくなくて、つい口を閉ざしてしまった」
「え……」
「ごめんなさい、隼人さん。
 それと、もうひとつ。本来なら貴方に誠心誠意お詫びしなければならないのに、俺は沢山感じて快楽に酔ってしまいました。それも、ごめんなさい」

 目の前に居る隼人さんは、まずこの上なく瞠目し、次に少し視線を空中へ投げ、最後に何故か赤面した。
 最後の表情の意味が判らず、俺は首を傾けた。



Fin.



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