開花


「……俺は、いいんだ」

 『苦しい』と言わんばかりの笑顔を無理やり浮かべ、眼前の藍原指揮官は絞り出すように呟く。

「俺は……俺の幸せなんて、どうでもいい。ただ俺は、職場の皆が、市民が、無事でありさえすれば、毎日笑っててくれさえすれば、どうでも」

 何でもかんでも他人を優先する同い年の上司に堪りかね、『だったら、指揮官ご自身の幸福はどうなるんですか』と詰問した答えがそれだった。
 如何にも助けてくれという面をしておいてなお、この男は自己犠牲しか知らない。
 曰く、自分が小学校高学年の時に両親を事故で亡くし、次いで、中学生の時に四つ歳下の弟も事故に遭い――それ以降ずっと、意識不明なのだという。
 「絵に描いたような悲劇のヒロインみたいだよな」と指揮官はあの苦しげな笑みで言い、挙げ句、「俺が疫病神だったせいかもな」などとのたまった。
 冗談じゃない、愛息子にそんな風に思われてたら指揮官の両親も浮かばれねぇだろ、と怒鳴り散らしたのは、二週間ほど前のことだったか。目を見開いた指揮官は、たちまち顔をくしゃくしゃに歪め、俺が見ている目の前で身を崩すように号泣した。

 指揮官がボロ泣きする様を目撃したのは、所内で俺くらいだろう。いや、それどころか、能面じみた無表情以外の表情を目にしたことがある人間すら、ごく一部に違いない。
 指揮官を志したのも、未だ昏睡状態にある弟の医療費を賄う為で、誰かを守りたいという高潔な奉仕心で士官学校を目指したわけではない。単に、高い給料目当てで仕事をしている不届き者なんだ、と指揮官は笑う。

「俺なんか、きっと一生、新しい家族も出来ないな。いや、職場でこんだけ嫌われてる俺に恋人が出来る、ってところからして、奇跡みたいなもんだろうし」

 俺なんか、と、指揮官は尽く口にする。しかも、諦観の滲む微笑みとともに。

「ほんと……一ノ瀬が俺と友達になってくれて、感謝してもしきれないな。……所内の廊下で羽交い締めにされて、わけも判らないまま近くの部屋へ引きずられて……俺に恨みを抱いてる『仕事の仲間』にレイプされるなんて……あの時、お前がたまたま、通りかかってくれなかったら、俺は……更にどれほど、辱められたか」

 当時の恐怖が蘇ったのか、多分無意識だろう、己の二の腕を抱き抱えつつ、微かに震える声で指揮官は呟く。あの、生き苦しそうな笑みを浮かべて。
 俺にとっての指揮官は決して、「なんか」などというへりくだった言葉が付随していい存在ではない。自分で自分を貶めるそんな言葉、やめてくれ。
 お前が自分を好きになれないなら、その分、俺が山ほど好いてやるから。
 ――そしてこの時初めて俺は、ひたすら不器用なこの同い年の上司に、最早手遅れなくらい惚れているのだと気付いた。




「っぁ……ッはぁ、ぁ、あ……っ晴、はる……」

 荒い呼吸の合間、とろんと蕩けかかった双眸でもって俺を捉えた伊織は、晴、晴、と何度も俺を呼ぶ。
 最初は触れ合うだけの口付けにすら身を固くしていたこいつだが、今ではすっかり俺の手管に絆され、もとい調教されていた。

「っん……はぁ、はぁっ……ぁっ、だめ……はる、今日は……なん、か、我慢出来なッ……」

 お互い全裸で正面から抱き合って深いキスを交わしていると、伊織が切羽詰まった声を上げた。

「んー?」
「……ッ、お前、わざとしらばっくれてるだろ……!」
「何のことだか。ほらほら、言ってみろ伊織」

 煙に巻きながらちゃっかり伊織のチンポを掴めば、「ぁんっ」という可愛い声。

「やッ……っぁあ、ほしっ……ナカにっ……、晴の硬いの、が、欲しっ……!」

 明け透けな誘い文句に、思わず舌なめずりをする。
 好きな奴からド直球にねだられて下半身を滾らせない男が、この世に居るのか。
 ムスコが臨戦態勢になっていくのを肌で感じた俺は、膝の上へ抱いていた伊織の身体をそっとシーツの上へ横たえた。
 二十日間の遠征合宿で疲労は溜まっているわけだが、夜の営みとくれば話が別だ。
 そして離別の期間と同じだけヤられ慣れていないこいつが、野性味溢れる獣欲をぶつけられては、明日からの仕事に差し支える。だからせめて、愛撫はたっぷり時間を掛けて丁寧に。
 ――そう、思ったわけだが。

「……あ?」

 俺が愛すべきアナにディルドという先客が居るんだが、どういうことだ?

「っあ……待っ、待っ……て晴、それは!」

 弱みを握られた伊織が焦り、据え膳というお預けを前にしている俺も焦いている。
 結局俺は、例え玩具だろうと俺の許可なしに侵入していやがるというみみっちい嫉妬も手伝い、前触れなしに件のディルドを引き抜いた。
「ッぁあああ!」

 強烈な排泄感を煽られた伊織が、背中を仰け反らせながら甘い声を放つ。

「待っ……待てって、言っただろ、この馬鹿……!」

 快感で目尻を薄く濡らした伊織は、心持ち上げた右腕で枕に縋り、恨みがましげに俺を睥睨した。
 対する俺は悪びれもせず、淫液をしとどに纏ったディルドを顔の前で数回振る。その途端、気まずげに伊織が目を逸らすのが楽しい。

「で、何なんですかねこれは? 伊織サン?」
「……それ、は」
「それは?」

 直後、伊織は枕を引っ掴んで、己の顔に押し当てた。

「……お前に見立てて、だから……その、遊ん……で……」
「――」

 成る程成る程、だから俺が合宿帰りに真っ直ぐ伊織の部屋へ突入した時、部屋の前で『暫し待て』を言い渡されたわけか。
 その時ドアの向こうでは恐らく、直前まで耽っていたひとり遊びの後始末をばたばたと繰り広げてたんだろう。
 で、肝心の動かぬ証拠であるディルドは、なまじ長時間遊び過ぎたせいで我が身と体温が等しくなっていたからか、或いはそのブツの大きさにすっかり身体が馴染んでいたかして――兎に角抜き去るのを忘れ、今に至る、と。
 成る程な。枕から覗く真っ赤な耳が、何もかもを白状している。
 しかし――まじでこいつは、これ以上俺を興奮させてどうするつもりなのかね? 責任取れんのか?

「晴――……ッ、あ!」

 俺が黙り込んでいたせいで伊織が不安げに声を掛けてくるタイミングで、こいつの両足首を掴む。
 そのまま伊織の上半身を折り畳むようにして両脚をそれぞれ肩に担ぎ、逸物を綻んだソコに押し当てれば、準備完了だ。

「晴……こんな、みっともないくらいお前と……エロ……い、ことすることしか考えてない俺だけど、……嫌じゃない、か……?」

 か細い声で伊織が訊く。
 対する俺は、一笑に伏した。

「馬鹿。むしろ大歓迎だっつの」

 判りやすいくらいほっとした顔をするこいつが、昔に比べて遥かに自分自身を受け入れるようになったこいつが、昔と比較にならないほど素直によく笑うようになったこいつが、こんなにも愛おしい。
 ああ、そうだ。『友達』になった当時、この男は、悲愴に笑うことしか知らなかったんだ。
 逆恨みから同僚どもに犯された時も、目隠しと猿轡、おまけに四肢を縛り上げられていた。身動きも出来ず声を殺すようにして啜り泣くこいつをリネン室でたまたま発見し、怪我の手当てや所内の警察機構に通報を終え、初めて足を踏み入れたこいつの部屋でやっとひとまず落ち着いて――そうだ、こいつは、何と言った?
 助けてくれてありがとうでも、はたまた迷惑を掛けてごめんでもなかった。
 汚れた俺なんかに付き合わせてすまないと、真っ赤に腫らした目で微かに、苦しそうに笑って、そう囁きやがったのだ、こいつは。

「……なあ、伊織」
「ん?」

 お前は今、幸せか?
 馬鹿正直に訊こうとして、止めた。
 俺を見上げるこいつの瞳は全幅の信頼を寄せてくれていて、わざわざ問いただすまでもないと思ったからだ。
 伊織の足首をしっかりと掴んでやや膝立ちへと姿勢を切り替え、下半身を密着させる。
 伊織は擽ったげに、だが本当に幸せそうに、目を細めた。

「挿れるぞ――っと、その前に」

 俺ばかり過去を懐かしんでいるのも癪なので、わざとらしく顔を近付ける。
 そうだ。所詮、惚れた弱みだ。

「なァお前、結局俺が来るまでにイケたのかよ?」
「な……っまだだ、阿呆! 訊くなそんなこと!」
「へー。じゃあさぞかし、今から素敵なトコロテンショーを披露してくれるんだろうなァ。今後のひとり遊びのオカズにする為に動画に撮っとかなくて大丈夫か?」
「……っ馬鹿晴! さっさと突っ込め!」
「へいへい」

 可愛い可愛い恋人にせっつかれ、俺は殊更ゆっくりと挿入を開始する。

「っあ……はああぁっん、あ、あ、あぁ……っは、る、……ッあ、はあぅ……っ」

 じゅちっ…… ぐちゅ、ぐちゅっ

 焦れったいと言いたげに首をゆるゆると振り、腰をかくかくくねらせ、伊織が眉を顰める。
 挿入を深めていくにつれ頬に赤みが増し、緩慢にシーツを蹴りやりつつも下腹から力を抜く一方、俺を食い締める後孔はもっと頬張りたいと言わんばかりにぎちぎちと力がこもる。

「っく、ぅ……ッ」

 こいつの締め付けに慣れた俺でも思わず声が漏れるほど、今日のこいつのナカは格別だった。ひとり遊びの成果だな、とからかえばまたぞろ伊織が臍を曲げるのは目に見えていたので、心中で思うに留めたが。

「ッハァ、ハァッ……っぁ、はる……きも、ち、ぃ……?」
「あー……俺も今日はやべぇッ……なんか、すげぇ感じる……っ」

 ぽた、と額から汗が滑り落ちる。
 それと同時、いつの間にか閉じていた瞼を開けると、眼下に広がるのは開けっぴろげにご開帳された伊織の下肢と。

「え……っぁ、え!? 俺っ……なん、いつ、」

 俺の時間を掛けた挿入に伴い、ゆったりと押し出されるようにして放出されたと思しき、伊織の精液。
 挿入時の拡張感に感じ入っていた伊織自身無自覚だったようで、最奥まで貫き終えた今になってようやく、目を白黒させていた。
 咄嗟に白濁の粗相を拭おうと伊織が手を伸ばし、だが、恋人の右脚をベッドへ横たえ直した俺の方が僅かに先だった。

「おーおーこりゃまた。長い間焦れてただけあって、色も量も濃いのがたっぷりと」
「……っ」

 きっ、と俺を睨んでくるが、火照った顔に見詰められたって下半身がますます元気になるだけだぞ、伊織。
 指に取った伊織のミルクを絡めるように恥毛をこより、更なる非難が上がる前に、ナカを軽く突く。

「っはぁッん」

 語尾にハートマークでも付いていそうな嬌声が合図。

「ッあぁっぁっ――ッん!」
 
ぐちゅっぐちゅぐちゅぐちゅ!

 あからさまな水音に、びゅっ、という音が重なる。
 腰を振りながら見遣ると、伊織が早速二発目を己の腹目掛けて放っていた。

「ヒぁっあぅっひ、や、……いいッ…いぃ、きもちいっ……はるぅッきもち、ぁ、ッぁあんっぁんっあんっ!」

 その調子だと、まるで気付いていないとみえる。
 背筋をシーツへ擦り付け、かと思えば喉仏を晒し、踵でシーツを蹴って皺を作る。
 俺の愛し方を必死に受け止める伊織は、いっときたりともじっとしていられないとばかり、忙しなく喘ぎながら耽溺する。

「はッ、はッ、……伊織っ」

 息継ぎの狭間で名を呼ぶと、早くも涙を吸った睫毛を震わせつつ伊織が俺を真っ直ぐ見詰めた。

「好き……ッだ! お前が! 伊織が!」

 夢中になって叫ぶと、伊織はまんまるに目を見開き。

「ッぁ……っぁ、ぅそ……っぁ、ああっああぁっ――!!」

 信じられないと言いたげに、一気に登り詰めた。
 耐え切れず、俺もナカに放埒する。

「……お前が、急に……告白なんてするから」

 ――粗方射精の勢いが落ち着いた頃、ぼそっと伊織が零した。
 既に汗まみれな俺は、にっこり笑って答えてやる。

「全部本音なんだから仕方ねぇだろ?」
「……ッ馬鹿! 阿呆! ……大好きだよちくしょう!」

 聞きたかった言葉にくっついてきた諸々の罵倒は、まあ、聞こえなかったことにしてやろうじゃないか。



Fin.



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