▼体温を重ねる
「――こんな、感じで……いい、のか……?」
こもった室内に反響する自分の声は、いつになく不安に満ちていた。
風呂場に備え付けられている小さな鏡に映る範囲の全身を入れ込み、顰め面で痩躯を確かめる。
取り敢えず、髪から身体から、綺麗さっぱり隅々まで洗い尽くした。
……陰毛はそのままでいい、んだよな? 女性じゃないんだし、此処も綺麗さっぱり、は却って晴に引かれかねない。そういう性癖なのかって。
一通り鏡と睨めっこを終え、俺は気忙しい溜め息をひとつ吐き出した。
「落ち着け……落ち着け、俺……っ」
童貞を捨てるにしろ処女を捧げるにしろ、俺はどっちも未経験。
正真正銘、俺は今晩、あいつに貞操を一任することになるのだ。
心臓の音が喧しい。準備段階でこの様なら、いざあいつと肌を合わせる段階になった時、どれだけ緊張することだろう。
――でも。
「……へへ」
楽しみでも、あるのだ。
俺が好いていて、なおかつ俺のことを好きだと言ってくれる奴と、触れ合えるなんて。
秩序維持所に所属する大半の職員が“藍原指揮官”を忌避している状況にもかかわらず、晴は俺なんかを「好きだ」と言ってくれた。
おまけに、その時は恋愛のれの字も知らなかった――わけあってそんな瑣末事にかまけている精神的な余裕のなかった――当時の俺に対し、「返事はいつでもいい」「どんな回答にしろ、俺はお前の味方だ。それだけは変わらねぇ」と、断言してみせたのだ。
それがどんなに嬉しかったか。
あいつの気持ちを知って以降、俺が明確な答えを出すまで数ヶ月を要した。その間、晴は一切急かさず、寧ろ告白したことすら忘れてるんじゃないかと記憶力を危ぶみたくなるほど、至って自然に俺の支えになってくれた。
傍から見れば、俺はあいつの好意に甘えきっていたと思う。実際俺も、こんなのは晴の善意に付け込んでいるだけだと、心苦しく感じていた。
だが、だからといって俺があいつに惚れたのは、俺の方から改めて「好きです、付き合ってください」と告白したのは、決してその好意に報いたかったからなどという高尚な同情なんかではない。
だって、いつの間にか絆されていたのだ。あいつの気配り上手なところとか、聞き上手なところとか、そういう諸々に。
それに何より、晴の傍はとても居心地がいい。無意識のうちに凭れ掛かって眠りこけてしまい、数時間後「夕飯食いに行くぞ」と食堂へ向かうべく笑いながら起こされるまで、大変呑気に昼寝するほどに。
「これで、いい……か?」
水気を拭ったタオルを洗濯カゴに放り、それとは別のバスタオルで全身を覆う。
タオルの下は素っ裸の格好で風呂から出、ベッドの上で三角座りをしながら、晴の帰りを待った。
今日の任務は特別危険を伴うわけではない筈だが、万が一ということだって充分に有り得る。
無事に帰還してくれれば、ひとまずはそれでいい。
――こんな風に、大切な人の帰宅を待つ心細さも、嬉しさも、そわそわとした気持ちも、晴が思い出させてくれたもの。
「……ふへっ」
そんなわけだから、口許がにやけてしまうのも許して欲しい。
しかし、誰も居ない部屋で独りにやにやと笑み崩れている光景が不気味だという自覚はある。その都度浮かべている表情を修正しようと軽く頬を叩いても、抓っても、効果は皆無だ。すぐに緩んでしまう。
俺は途中から諦め、バスタオルを羽織るようにしてベッドに寝転んだ。
今朝、晴は共寝をしたベッドから起き上がり、出勤していきざまに「付き合って一ヶ月が経ったな」とだけ言い残していった。
一ヶ月――というのは、俺達が交際を始めた時に交わした、「俺の覚悟が決まるまで、ヤるのは一ヶ月くらい待ってくれ」という言葉を指しているんだとすぐにぴんときた。
朝イチでそう暗に告げられて以降、俺は丸一日そわそわしていた。
『覚悟が決まるまで』と言えど、この一ヶ月は実質、晴とのいちゃいちゃをのほほんと楽しんでいたに過ぎない。
初めての恋人だ。初めて「お前が好きだ」などと言われた相手なのだ。
今晩、いよいよ俺はそんな相手と致すことになる――
「よう、ただいま」
晴の個室のドアが開いてからそんな挨拶が耳に届くまで、トータル三秒もなかった。
俺は弾かれたように上半身を起こす。
「……っ、おかえり」
その弾みで、纏っていたバスタオルがシーツの上に滑り落ちた。
「あっ!」
叫び声を上げつつ咄嗟に手で押さえようとしたものの、
「……っおま、その格好」
驚愕したと言わんばかりに、ジャケットのボタンを外す手を止めた晴が囁く。
「うっ……そ、そうだよ。朝お前があんなこと言うから! だから俺は……っ」
「あー、判った、判った。悪ィ悪ィ」
機嫌良さげに肩を揺らし、脱ぎかけの制服をそのままに、晴がベッドに膝を着きながら「来い」と腕を広げる。
自分は甘やかされるのが好きなんだと、晴と交際を開始して初めて知った俺は、俯きがちにそちらへにじり寄った。たちまち、晴が力強く抱き締めてくれる。
ああ、良かった。今日は血臭も、硝煙の匂いもしない。
己の身なりも忘れ、俺はゆっくりと四肢を弛緩させていく。だって、晴にこうされるの、好きだから。晴が好きだから。
「藍原指揮官の今の姿見たら、みんな気絶しそうだな」
俺の頭を撫でている晴のおかしそうな声が頭上から降ってくる。
「……見せない。お前にしか……お前だけだ」
「可愛いこと言うなよ」
――歯止めが効かなくなっても知らねぇぞ?
そう言いながら、晴が俺の頬をひと撫でした。釣られて顔を上げると、すぐさま柔らかいキスが落ちてきた。
最初は、体温を確認するように触れ合わせるだけ。
それから数秒経って、俺が嫌がらないと晴が判断した頃、控えめに晴の舌が俺の唇をぺろりと濡らす。
俺はそれを恐る恐る受け入れ――いつしか、呼吸を乱すくらい、晴とのキスに夢中になってしまう。
俺達が交わす口付けは、大抵こんな順番だ。
「ッんぅ、……ぁ……っあ、はる……」
吐息の合間に晴の名前を繰り返す。
晴は、その返事とばかり、素肌を晒す俺の背中を抱き寄せて腕の中にすっぽり収めてくれた。
キスの作法も、仕方も、全部晴に教えられた。当初は散々「下手くそだな」と笑われたが、元来負けず嫌いの俺は、晴に少しでも気持ち良くなって欲しくて、晴とたくさん触れ合いたくて、何度も何度もキスをせがんだ。
「ハッ……伊織……っ」
「ふあっ……ぅ、ん……んぅっ……」
まだ一ヶ月しか経っていない割には、上達した方だと自負している。
徐々に晴の呼吸が荒くなるのが嬉しい。
俺も、阿呆みたいに必死になって晴の味を貪った。
「晴……っん、……好き……」
心が緩んだ拍子に、ぽろりと本音がこぼれ落ちる。
甘ったるく蕩けた俺の囁き声は辛うじて聞き取れるか否かといった声量だったにも拘らず、晴はたちまちくくっと喉の奥で笑った。
「恐悦至極」
「もう! あのな晴、俺は本気で――あっ」
茶化すような晴の相槌に対する反駁は、しかし背骨の形を辿り晴の指が少しずつ背中を降下していく感触に途切れた。
ぞくぞくっとする。俺は男で、晴も男で、今日が初めてなのに。
肩を震わせた俺をどう思ったか、晴は俺の頬にちゅっと口付けをくれた。
「痛くしないし怖くしないし酷くしない。安心してろ」
ぎこちなく頷く。――晴が言うなら大丈夫だ。相手が晴なら大丈夫。
俺の答えを確かめた後、晴の右手は俺の下半身にまとわりついていたバスタオルの下へと潜り込む。
「ンッ……ぁ、あ……っ」
キスに反応して緩く勃ち上がっていたペニスをやわらかく握り込まれ、か細く高い声が漏れた。反射的に唇を噛み締めたものの、晴の「無理せずに声出せ」というアドバイスに従い、ゆるゆると息を吐き出す。
「ひ……ぁ、ふ……っん、ぅ、ぁ……アぁ……っ」
素っ裸で晴の両脚を跨ぎ、対面座位の体勢になりながらチンコを扱かれて、熱が一気に下腹へと集まる。
ぞわぞわと駆け上ってくる快楽を振り払いたくて、いやいやをするように首が勝手に左右に振れた。けれど晴は、却って楽しげに笑っている。
気持ちいい。気持ちいい、凄く。
好きな人に触られるって、こんなに気持ちいいんだ。
ちゅくっ…… ちゅ、くちゅ
やがて水音すら耳に届くようになり、それが余計に俺の身体を火照らせていくのだ。
「んぁ……ぁっ、あぁっは、晴……あっ」
声が上擦る。晴の背中に回した両腕に力がこもる。
俺の肌を擽る晴の呼吸が、煽られたように速くなっていくのが判る。
ぎりぎりと晴に抱き着きつつ、背筋が勝手に反れていくのを止められない。
「だめっ……だめ、だめ、いきそっ……」
上気した顔で言い募るも、晴はいっそ朗らかなまでににっこり笑った。
「いいぞ、俺の手の中にぶち撒けろ」
「いいわけあ――ッぅ」
一際強くナニに指を絡められる。
絶え間なく上下する晴の手淫に、俺だけ昂らせる晴の手管に、抗えない。
「アッ――ぁっ、ヒ……ぃあぁっ……ッ!」
びくびくっと全身が痙攣するとともに、視界が真っ白になった。
きぃん、と耳の奥で甲高い音が反響している。
じゅくっぐちゅ、ちゅく……っ
くちゅ、くちゅ……
みっともない水音がひっきりなしに聞こえ、俺は今度こそ晴の肩口に顔を埋めた。
「伊織?」
「……はず、か、しい……」
俺だけイッてしまった。未だかつてなく早く、しかも過去最高に盛大に。
そろそろと自分の股間へ目を遣る。飛び散った白濁を纏うチンコから精液をこそぎ落とそうとするかのように、晴の掌がペニスの表面を撫でている。
その刺激にすら悦楽を見いだしてしまう有り様だ。
「いいじゃねぇか、健康的で。焚き付けたのは俺だし」
「それとこれとは話が別だ!」
「そうか?」
「当たり前だろ! 俺だって一応男なんだし、早漏に対するプライドとか――」
言い募っていた途中、太股にごりっ、と硬い感触。
一拍遅れてその正体に思い至ったのと、晴が気まずげに目を逸らしたのは同時だった。
「……あー」
呻き声を上げる晴が、なんだか可愛い。
今度はこっちが主導権を握るべく、俺はおもむろに晴の両脚を跨ぎ越したまま、少し後退して上体を屈めた。
「って、おい、伊織?」
「いいから。今度は、俺の番だ」
「……まさか、お前」
基本的な型は俺のものと同じだが、やっぱり別部署の制服を脱がせるとなると手こずってしまう。焦った晴の声を聞き流しながら、ベルトを解いてホックを外して、下着ごとズボンを下ろす。
「おいっ……伊織! 無理すんな!」
「……嫌だ。無理なんかしてない」
俺だって、晴に気持ち良くなって欲しいんだよ。言わせるな馬鹿。
睥睨ひとつで晴の口を噤ませることに成功した俺は、パンツの中で臨戦態勢になっている晴のものを指でなぞった。
ぴく、と脈動する感覚が伝わり、猥雑とした興奮が再燃する。
熱いし、硬いし、でかい。同じ男として理不尽だとすら思う一方、ありったけの気持ち良さを感じて欲しいとも思う。
「っふ、ぁ、あっん……ッ」
限界まで口を開き、及び腰な晴の勃起チンポを俺自ら咥え込む。
「おい……っ」
相変わらず慌てた声が降ってきたが、気にしない。やがて戸惑ったように晴が俺の頭に手を乗せてくれて、それが励みになった。
根元まで含むのは無理があるから、左手で精一杯愛撫する。鼻呼吸を心掛け、えづくぎりぎりまで先端を飲み込む。
怖々と舌を絡めると、びくっと晴の太股が緊張した。
「は……」
思わず漏れたと言わんばかりの吐息。それがとても気持ちよさげで、ひとまず安心する。
俺には知識もないし、女の子でもないから、晴が気持ち良くなれるにはハードルが高いと思う。
でも、口には男も女もないのだ。寧ろ、同性だからこそイイポイントが判るというもの。
心意気だけは逸って晴のチンポを舐め回すが、フェラをやるのもやられるのもこれが初体験の身には、どうするのが正解なのかなんて答えは出せない。
たくさん舌を絡めて、指先で根元を擽って、唇を窄めながらゆっくりと上下に動かす。
「っ……ふ、伊織っ……」
開きっぱなしの顎と動かしっぱなしの舌が疲れてきたし、だらだらと涎が零れる始末だ。
けど、心地良さそうな晴の声が愛しくて、もっともっと感じて欲しくて――その一心で口淫を続ける。
好きな奴の逸物をしゃぶっている興奮からか、俺自身も知らず知らずのうち、ねだるように下肢が揺れている自覚はあった。でもそっちを止めると今度はフェラまで止まりそうで、晴のペニスを無心になって頬張り続ける。
「ッんちゅ、……ふっ、ハァッハァッあっはる、はりゅ……っきもち、い……?」
次第に、乱れた呼吸を繰り返すだけでほぼ押し黙っている晴の声が聞きたくなった俺は、上目になって問い掛けた。
目を眇めた晴は、いつになく野性的な顔付きをしていた。おまけに視線がかち合った途端、咥内の屹立がびくっと跳ね回り、先走りが溢れたのを舌で掬う。
「……こっち、見んな」
「……なんで……?」
――頭がくらくらしてきた。
俺まで気持ち良くなってきたせいだ。こんなの駄目なのに。今日は晴にたくさん気持ち良くなって貰うんだって決めてたくせに、俺も淫靡な空気に呑まれつつある。
高揚からか、それとも晴に拒絶されたみたいで悲しかったのか、俺自身原因が不明の涙がつと眦から伝った。晴はそれを、ずっと髪の毛を撫でてくれていた手の甲で拭うと、再び俺の後頭部に手を添える。
「これ以上俺を煽ると、お前に襲い掛かっちまいそうで怖いんだよ」
なんだ、そんな理由なのか。
幾らでも襲ってくれていいのに、晴はやっぱり優しい。そりゃ確かに掃討部所属の晴の基準に照らせば俺なんざひよっこみたいだろうけど、仮にも俺は男。か弱い女の子と違って、俺は多少頑丈に出来ている。
こっちから仕掛けてやろうかという悪戯心も湧いてきて、俺は喉奥までチンポを押し込んだ。
おい、という晴の焦った気遣いが聞こえたが、引き続き無視する。だって段々俺も欲しくなってきたから。
俺の唾液と晴の先走りが混ざり合った結果、美味いのが不味いのかも判らない。兎に角咥内に溜まったそれを嚥下したのを合図に、これまで以上に激しいフェラを開始した。
ぐちゅっぐちゅっ
「っん、ぁ、ぁ、……くちゅっ」
「おいっ……伊織、マジでお前、――くっ」
ぐちゅぐちゅぐちゅっ
こくっ…… くちゅ、くちゅ
「ふ、ふ、……ぅ、晴っ……はる、はる……ッ」
気持ち良くなって。
俺の口のナカにぶち撒けて。
さっき俺がイッちゃったみたいに。
「……っ、くそ!」
悔しげな晴の、己に対する罵倒とともに。
「ンンッぐぅっ! んっ……んぅっふ、ふあ、ぁ、ぐ……っん」
「はっ……はっ、はっ……」
大量の精液が噴き出し、醜い呻き声が漏れた。
しかし俺はがっちりと晴の太股を両腕で抱え込み、絶えず吐き出される白濁を漏らさないように口腔で受け止める。恐らく無自覚だろう、射精の度に晴が腰を突き上げてきてより一層苦しさを覚えはしたが、それから逃れようとは思わなかった。
俺のに似た、でも何処か異なる精液の匂いに、もう一度くらっと酩酊する。
「ぁ……――っ伊織!」
粗方勢いが失した頃、我に返ったように晴が俺の名前を呼んだ。
見つめ返すことで相槌に代え、ようやく晴の逸物から口を離す。
全部飲み込んでしまうつもりだったものの、晴が急いで引っ掴んだティッシュに吐き出すよう強く促され、渋々それに従った。
「お前って奴は……! 今日が最初なんだぞ! こんな初っ端からがんがん飛ばしてどうすんだ!」
「うん……」
「段階踏んでゆっくりじっくり美味しくいただこうと思ってたってのにこれだよ! お前ほんっと……いきなりとんでもねぇ真似に出るよな! 止めなかった俺も悪いっつってもさ!」
「っん……」
「――伊織? どうした、きつくなったか?」
くらくらする。
全身にいやらしい熱が回りきっている。
「晴……っもう、我慢、出来ないかも……」
「……あ?」
困惑気味な晴に抱き着く。
晴が俺のこと、大事にしてくれてるのはよく判る。判っているけど。
「はやく……抱い、て……欲しい……」
俺のはしたなく濡れた目は、晴の喉仏が生唾を飲み込む様を視認した。
Fin.