偽物


 髪の毛にこびり付いた返り血を洗い流すと、漸く一心地ついた気がした。
 吐息を漏らし、シャワーを止めて俺は湯舟に浸かった。「あー」という無意味な声が出てしまうのは昔からで、隼人さんにくすくす笑われた覚えがある。しかも何度も。
 けれど、気持ち良いのは仕方ない。

「んん……」

 バスタブに寄り掛かり眼を閉じる。眠りこける心配は、俺の事だから不要だ。ベッドやソファ以外の場所で睡眠が取れる人達が羨ましい。
 頬を水滴が滑り落ちた頃、ぼんやりと瞼を持ち上げた。
 隼人さんは今、所内には居ない。なんとかいう作戦の後方支援組として、首都の端に出張中だ。

『寂しいかい?』
『いえ、特には』
『そんなはっきり言わなくても……』

 何となく彼を見送りに行った際、素気なく返した俺に隼人さんは苦笑してみせた。
 そうか。もう、四日も経ったのか。

『翔くんは素直じゃないからね、甘えたがり屋なんだから、もっと僕に擦り寄ってくれて良いんだよ?』
『生憎、そんなのは俺ではありません』
『……はは、そうかもね』

 少し色素の薄い灰色の眼が脳裏をちらついた。
 元気だろうか、隼人さんは。まあ、ある意味殺しても死なないタイプなので、その点は平気か。
 そういえば、もし孤独で苦しくなったらいつでも電話を頂戴、と言われた。彼は俺を何だと思っているのだろうか。そんなに俺は、隼人さんの眼からは人恋しい人間に映るのか。

「……けど」

 水面に唇を合わせ、もぐもぐと独り言を呟く。喋る度泡が立って楽しい。
 肺に溜まった息を全部湯に吐き出し、ぶくぶくいうその感触を味わう。

「けど、」

 早く、帰って来て欲しい。
 胸中にだけその台詞は留めて、俺は頭を振った。こんな弱々しい姿、あの人には見せられない。きっと笑われてしまう。
 吐き出し切れなかった幾らかの澱を振り払うべく、湯舟から上がった。髪も身体も洗ったが、意味もなくもう一度その場にしゃがみ込む。
 水滴を落とす短い髪の毛を掻き混ぜる。立ち上るシャンプーの匂いは、以前隼人さんの部屋で交わった時に気絶し、その間に全身を清めてくれたものを気に入ってお裾分けして貰った奴だ。
 後日使ってみると、甘ったる過ぎないその匂いがやはり好みで、以降示し合わせたわけではなく、たまたま彼とお揃い仕様になった。

『翔くん、そのシャンプー……』
『え? あ、はい。これは、』
『僕のと一緒だ。嬉しいな、好きになって貰えたんだ』

 顔を合わせた途端、彼は嬉しそうに破顔したのだ。
 好きになって貰えた、の一文がまるで俺が漸く隼人さんを恋愛感情という意味で見る様になった、のほうかと思い身を固くしたら、彼は慌てて両手を振って、

『あ、ごめん……そうじゃなくて。えっと、うん。でもその、嬉しいよ』

 にこにこ笑ってそう返すから、俺は何も言えなくなる。
 そういう眼差しを向けられているのに、少なくとも嫌悪感すら沸かなかった。

「隼人さん……」

 思わず零した彼の名前を呼ぶ声が存外切なげで、おまけに風呂場ではよく反響して、咄嗟に口を噤む。
 ゆっくりと息を吐いた。いつから熱を帯びていたのか、俺自身は反応を見せ始めている。
 隼人さんと交わるまで、性行為なんて皆無に近い程、興味は無かったのに。

「はぁっ…あ、隼人さ…ァん…っ」

 タイルに俯せになり、腰を高く掲げて小さく鳴いた。まるで俺の背後に『彼』が居て、その彼に自分のはしたない姿を晒すかの様に。
 右手を下肢に滑らせる。握り込んだ瞬間、「ぁんっ」と恥ずかしい声が漏れた。想像していただけで、もうガチガチになってしまっている。
 そっと性器を握り、緩慢な動作で扱く。そう間を置かず、水音が浴室に響いた。

くちゅっ、くちゅくちゅ
ちゅっ…ぺちゅっ

「ひぁあ…ッあ、あ…!」

 漏れた先走りが床に落ち、跳ねた音が聞こえるのさえ感じる。
 ぼんやりと涙で滲む眼を暝った。今触っているのは俺じゃなく、隼人さんなのだと、そう錯覚出来る様に。

「アぁあん…っンふ、ゃと…さ…隼人っさ…!」

 もし隼人さんが会おうと思えば会える距離に居て、もし俺が抱いて欲しいと強請りに行ったら。
 隼人さんは抱き締めてくれるだろうか?

「ふぅうん…あっ、あっ…うしろもぉ…ッア! ぐちゅぐちゅっ…した、ァいい…っ」

 卑猥な自分の言葉に興奮して、引っ切り無しに硬いものを求めて口を開閉させる後孔に左手を添える。
 いつも解してくれるのは隼人さんだった。つまり俺は、自らアナルで自慰した事は無い。
 恐さはある。しかし、疼きは無視出来ない程に大きくなっていた。
 ペニスを挿入して貰えはしない。その分、揃えた指で前立腺を気の済むまで突いて、彼の名を呟きながらイキたい。

「ンふぅううッ…!」

 一度イメージするともう駄目だった。
 上の口からも下の口からもだらだらと涎を零し、俺は先走りを手にたっぷりと絡ませ、恐る恐る後孔に人差し指を食べさせた。

「ぁっ、くぅ…」

 力を抜こうと意図的に深呼吸し、右手の動きを速める。
 焦らず慎重に先へ進め、人差し指の付け根が尻と当たった頃、俺は開脚し切ってひくひくとアナルを動かしていた。
 咥えた後孔が焦れったい。がむしゃらに指を抜き差しして、出すものが尽きるまで射精したい。

にゅぷっ…くち、くちゅ
ちゅくっぷち、ぐち、ぐち

「ぁあッ…あ、あ、あー…! ァんっ…もちい、あっ、あっ、はやとさぁ…ン!」

 指を一本含ませて緩やかに前後させているだけなのに、喘ぎ声が止まらない。
 股間を覗くと、ガマン汁はいつしか白いものも混ざっていた。透明な淫液に白濁が混在し、ペニスを扱く度に床へ落下し、水溜まりを作る。
 そして俺はその光景に、無意識に後ろを締め付けてしまう。

「はぁっ…あっ、あっ…ぁあ! ァあん…イイぃっ…ふぁあっ! あ! あ! もっと…もっとちょうら、ァぅんっ!」

ぐちゅっぐちゅぐちゅ
くにゅ…ぐぷっぐちぐちっぐちゅっ

 オナニーがこんなに気持ち良いなんて、知らなかった。
 三本の指を後孔に頬張り、腰を振って自分自身に催促する。前立腺ばかり集中して弄ると、気持ち良過ぎて意識が飛びそうになる。
 己の淫乱さに余計感じ、何度も何度も緩い射精を繰り返す。
 勢いのない精液が飛び散る事は無いが、下半身のすぐ下の床と俺の右手は、とっくに白で汚れていた。

『気持ち良い、翔くん?』

 耳元で隼人さんが囁く。
 勿論空想だと判っていた。判っていながら、俺は指を食い締めて頷いた。

「ぁあっ…! もちぃ、気持ちいっ…ですぅッ…!」

 指を抽挿してくれる隼人さんが、笑った様な気がした。
 もっと。もっと、もっと。
 淫蕩なこんな姿、俺は貴方にしか見せていない。

「ンふっ…あっあっあっ! イクっ…ゃとさァっ…イクぅっ…!」
『良いよ。僕の手に翔くんの精液、いっぱい掛けてご覧?』
「ひあァっ…あ、あ、あ! ――ぁあああああアッ!!」

びゅくっびゅびゅ!

 最後は喉を反らし、先走りを零すみたいに緩やかにしか射精出来なかったのが嘘の様に盛大にイッた。
 頭の中では、俺をイカせたのは隼人さんの手だ。後ろに咥えた指も、ずっと俺自身を扱いてくれた優しい手も。

「あぁ…ッ」

 酷く淫らな気分になって、自分の右手を顔の前まで運ぶ。そして躊躇いなく、ガマン汁や精液で汚れたその手をしゃぶった。
 ちゅうちゅうと指に吸い付きながら、気怠い下半身を見下ろす。

「はやとさん……」

 やっぱり、『ホンモノ』じゃないと満足出来ません。



Fin.



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