飴と鞭

 賞金首も討ち取り、仕事も何もなくなった夕方。飛段と角都は宿でその体を休めていた。お互い不死であっても体に疲れは溜まるのは必然であった。人間である限り、生物である限りそこから逃れることはできない。角都はもう不死になって長いからそのあたりは了解済みであるし、仕方ないとも考えていた。
 しかし飛段はそうではないようで、先程から布団に大の字になって寝転がり、ぶつくさ文句を言っている。角都に話しかけているのだろうが、角都は得た金を数えるのに忙しい。
「あーあァ、疲れた。なんだよ今日行った場所! 階段多すぎんだよ!」
「……」
「賞金首もよォ、あんなところに住むことねーんじゃねーの? 狙われやすいからか、あァ? こっちの事情も考えろっての!」
「……」
「これじゃそのうち、オレの足が動かなくなるぜ。お助けくださいジャシン様、おお痛い痛……」
「黙れ飛段」
 飛段の、他人が見れば独り言のように聞こえる愚痴と、角都がペラペラ札をめくる音しか響いていなかった室内に、ようやく角都の声が通る。しかし角都は、殺すぞ、と続けてからはそれ以降口を開く気配はなく、また金を数え始める。暁の財布係は何かと忙しいのだ。すると飛段は目をいつもより少し大きく開いて何秒か黙った後、それを俺に言うかよ角都、と言って上半身を起こす。こんな会話はもう二人にとって日常茶飯事だった。角都はそんな飛段をちらと見ると、また金に目線を戻す。
 飛段は、ったく、と言って、自らの総髪をぐしゃぐしゃかき乱した。
「でもよォ、今日はオレ役に立ったと思うぜ? 少しは労わってくれてもいいんじゃねーの、角都ちゃんよォ」
 角都はほんの少し、短い時間ぴたりと札を数える手を止めた。およそ一秒程度の、ほんの短い時間。なんだかんだ言って、角都は飛段の言葉を耳に入れることはしているのだ。耳をそばだてているわけではないが、聞こえるものは聞こえる。あー、と言ってまた布団に寝転がった飛段はその小さな指の動きを見ることはなかったが。
 確かに、今日は飛段が成果をあげた日であった。飛段のあの呪術で、賞金首の命を刈り取ったのである。しかも、いつもに比べて相当速くカタがついた(それは、飛段が階段を登りすぎていらいらしていたことも関係があるのかもしれないが。どうやら飛段は疲れることは嫌いらしい)。それと引き換えに胸に大きな傷は負ったものの、飛段からすれば、人の命を奪うときの痛みは快楽と同じらしいので全く問題はないらしい。因みにその傷を治すのは、他でもない角都である。今日の傷も、先程飛段が愚痴を言い始める前に角都が縫ったのだ。
 まるで殺戮後に行う儀式の時のように仰向けになった飛段は、先程縫われた傷をなぜてから、縫い目を手で弄ぶようにぐりぐりといじり倒す。それを続けていると、縫い目が徐々にほどけてきそうな状態になってしまったらしく、うお、と呟いたのちにやめた。そして天井を仰ぎ見て、縫ってくれるのは、まあ、助かるけどよォ、と声を発する。
「やっぱり他にも労りが欲しいわけよ。なんたって、今日はオレのおかげで勝てたわけだし」
 オレのおかげ、というところに力を入れて、仰向けになった飛段は天井の木目を数え始めた。暁メンバーそろいの衣装は肩まではだけて、態度もあわせ、今日の飛段は、遊び過ぎて疲れたような子供を連想させる。
「例えば美味いメシとかさ」
 ガバッと半身を起こして、飛段は明るく言った。角都はそんな飛段の様子を見て、呆れたような、仕方ないというような、そんな複雑な顔で一つ息を吐いて、また忙しなく指を動かした。




 その日の夜。
 ――甘くなった、というより、この男の性格に慣れた、と言った方がいいのかもしれないな。角都はそう思って、いつもより多めに消えるであろう宿代に思いを馳せた。この男に甘くなったのではなく、手綱を引くのがうまくなっただけだ。決して、この男に優しくなっただとか、そういうわけではない。角都はそう考えて、夕方にもしたように息を吐いた。
 角都と飛段は向かい合って座卓前に座っている。座卓の上には、いつもより豪華な食事が並べられていた。あの飛段との会話のあと、この宿の人間にそうするよう頼んだのだ。
『連れが五月蝿くてな。夕飯の内容を変える』
 突然そんなことを言われたものだから、宿の者も驚いたようだったが、角都が続けて、金は出す、と言うと、遅れて返事をして準備に取り掛かったようだった。それは目の前の食事が何よりの証明であろう。
 目の前では飛段が、実に美味しそうに食事をしていた。こんなの久しぶりだぜ、と言いながらがつがつと食べている。角都の前にも同じものが並べられてはいるが、飛段と比べると食事の早さは落ちる。 歳のせいか、と一瞬考えたものの、くだらんな、とすぐに考えを消した。歳を気にしているわけではない。そんなことを一瞬でも考える自分の思考回路がくだらないのだ。
 この食事のおかげで今日の宿代はいくらか値上がりする。これは倹約家であり、暁の財布係である角都にしては珍しいことだ。いつも通りでいったならば、二人の食事は実に質素なものである。泊まった宿の、一番水準の低い食事。しかし今日は違う。この宿の、上から二番目くらいには水準の高い食事を、彼らは摂っている。
「それにしてもよォ」
 未だガツガツと食べ続ける飛段が、一旦箸を置いたときに角都を指さした。
「珍しいこともあるもんだな。おめーがこんな飯用意してくれるなんてよォ」
「気が向いただけだ」
「いやいや、わかってるって。オレがさっき言ったからだろ」
 素直じゃねェよなァ。そう言って飛段はまた箸を手に取った。角都がそれを実に嫌そうな顔で睨むと、飛段はそれを見ていないかのように、また食事を再開する。
 しばらく静かな時間が流れた。する音といえば、食事の音と、それから飛段が時々うまい、と口にする声のみである。
 十分ほどたった頃、飛段が食事を終えた。角都はまだ、三分の一ほど残った食事を咀嚼している最中である。
「飴と鞭って言うんだろ、こういうの」
 突然飛段はそう口にして立ち上がった。閃いたような、急に思いついたような、そんな声色で。角都はそれを、眉間に皺を寄せて見ていた。またくだらんことを言い出したものだ、とでも思っているのだろう、返事も特にない。
「角都は嫁に向いてるかもな」
 口を三日月に歪めて、飛段は角都の隣に腰を下ろす。一旦食事を摂る手を止めて、角都はそれを睨む。
「何を言っている」
「嫁は飴と鞭が大事なんだぜ? 夫の手綱をうまく引っ張ってやるのがいい嫁なんだよ」
「くだらん。それに、オレは男だ」
「ゲハハハハ! 照れんなって」
 なんならオレが嫁にもらってやるよ、と、飛段は角都の話を全く聞かずに言って、角都の肩に腕を回した。
「裁縫も、金銭管理も出来るしよォ。超厳しいけどな」
「放せ、飛段」
「厳しすぎなところもあるけどよ、割とマジで嫁に欲しいぜ? オレはよ」
 飛段はそう言ってまた、ゲハハハハと笑った。すると角都は力づくでその腕を放して、次言ったらその腕を叩き斬ってやる、と告げる。
 それを聞いた飛段はむすっとして、角都の隣に座り直した。そして腕組みをして、角都のことを見る。すると角都はそれを横目で見て、また一つ息をついてから口を開いた。
「……金銭管理なら、今もしている。それで十分だろう」
 角都は何の気なしに、しかしほんの少し優しいような声(少なくとも、飛段にはそう聞こえた)でそう言って、また箸を手にとる。それを飛段はぽかんとした顔で見つめていた。

 ――飴と鞭だな! と言いながら角都に飛段が飛びかかるまで、十秒かかったのは後の話。


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