バッターさんの浄化に加担しているわたしだけど、実を言うとその行為は本当に正しいのだろうかと考えるようになった。なぜなら浄化されたはずのゾーンはあまりにも虚しく、そして恐ろしいものへと変貌してしまったのを目にしてしまったから。“浄化”というと清らかな様子へとかわると思っていた。しかしどうやらわたしの予想していたものとは大分かけ離れた状態へと変化してしまっており、わたしたちが成していることは本当に正しいのか、疑問に思い始めてしまったのだ。
バッターさんは現在ザッカリーさんのお店にいって道具を調達している。彼はどうやらわたしとザッカリーさんが関わるのが許せないらしく、毎回店の外で待っていろと言われるのだ。理由なんて知らない。ただ「ザッカリーさんに会いたい」と言うとバッターさんの四つの目がわたしを射抜くので、それが怖くてわたしは大人しく従うしかなかった。わたしは独りで膝を抱え、悶々としながら彼が帰ってくるのを待っていた。暇を持て余し、プログラムによって存在している地面を指でなぞる。
そもそもゲームのなかへ落ちてしまったのも理解できない。家でゲームをしていたら、なにかに引っ張り込まれるような感覚がし、気がついたらゲームのなかにいたのだ。理屈はわからない。ただ、わたしには到底理解できないなにかが起こったのは確かなことだった。

「バッターさんまだかなあ」

なかなか帰ってこないバッターさんに、独り言を呟く。バッターさんはザッカリーさんのことになるとちょっとだけ(かなり?)こわくなるところがあるけど、それ以外では本当にわたしのことを想ってくれているのが分かる。襲いかかってくる亡霊からわたしを守ってくれたり、気にかけてくれたり。ザッカリーさんに関するときだけこわくなることを除けば、本当にいいひとだと思っている。

「わたしはいつになったら帰れるんだろう……」

自分の家のことを思うと、どこか寂しさを覚える。わたしは帰れるのか、今現実世界ではどうなっているのか、親は心配していないか、とか色々考えてしまう。いなくなったわたしのことを探しているのかなあ。だとしたらはやく帰らないと、と思うけど、どのようにして帰るのか方法がわからない。この世界のことについて意味深なことを言うザッカリーさんは何か知っているのかもしれないけど、そもそもそのザッカリーさんに会うことが許されないので、わたしは途方に暮れるしかなかった。
現実のことを考え始めると悲しくなるので、わたしは頭を振って考えないように努めるけど、どうにもうまくいかない。今はできることをやっていくしかないのに。そうするしかないから。浄化することが正しいのか些か疑問を抱かずにはいられないけど、そうすることで元の世界に戻れるのだったら、わたしはバッターさんのお手伝いをしなければならない。
不思議な感触のする水の中に手を入れる。ぬるい。それから人差し指で地面に“帰りたい”と書く。文字に起こすと余計に帰りたい気持ちが増してきた。わたし、本当に帰れるのかな。いろんなことが不安すぎる。でも、わたしが頼れるのはバッターさんしかいないのだと思う。彼についていくことが元の世界に戻れる条件なのだと思っているけど、しかし彼の言う“浄化”が正しいものなのかも疑ってしまうものだから、もう何を信じればいいのかわからなくなってしまっている現状だ。

「ザッカリーさんに会いたい」

そう、わたしはザッカリーさんに会いたかった。彼はなにか知っているはずだから。でも会えない。バッターさんが許してくれないから。彼がわたしとザッカリーさんを合わせるのを拒む理由はなんだろう。ザッカリーさんがなにか知っているのをわたしに知られたらまずいから?だとすると、バッターさんはわたしを現実に戻したくないということ?いいや、そんなはずはない……と思いたい。バッターさんとはこれからも行動を共にしなければならないのだから、疑いたくなんてない。気まずくなってしまう。

「帰りたい、帰りたい、……」

存分に帰りたい気持ちを口にすると、余計に元の世界が恋しくなってきた。駄目だ、もうやめよう。帰りたいと考えるのはやめよう。きっといつかは帰れるはずだから。わたしはそのときまでできることをする。それだけだ。
すると、後ろから影が被さる。バッターさんが帰ってきたのかな、と思ったけど、わたしは硬直した。なぜなら地面に映る影は、口が大きく牙の生えている化け物だったから。わたしなんて一口で食べられそうな大きな口。わたしはゾッとして身体が強張った。途端に動悸が激しくなる。唾液の分泌が忘れられ口のなかがカラカラになる。全身が震える。身の毛がよだつ。亡霊に見つかってしまったのだろうか。化け物の口からは唾液が滴り落ちている。わたしは食べられてしまうの?どくどくと加速する鼓動に息苦しさを覚え、一刻も早くバッターさんに帰ってきてほしいと願っていると、「ナマエ」と名を呼ばれた。それに驚き急いで後ろを振り向けば、そこにはバッターさんがいた。

「買い出しは終わった。浄化しにいくぞ」

今まで通りの、淡々をした口調の、バッターさんがいた。慌てて地面に視線を戻すけど、そこにはバッターさんの影が。「……見間違い、だったのかなあ?」疲れていたのだろうか。それともあまりに帰りたい気持ちが祟って、幻覚でも見てしまったとか?なにはともあれ、バッターさんが帰ってきたので浄化しに行かなければならない。
すると、様子がおかしかったらしいわたしを見かねたバッターさんが、「どうした」と問うてくる。「……影が、おかしかったんです」わたしがそう答えると、バッターさんの四つの目が細められる。

「影?」
「はい。……口が大きくて、牙の生えた影が」
「……」
「でも、見間違いのようでした。今は普通にバッターさんの影になってますから」
「……そうか」
「買い出し、終わったんですね」
「ああ。必要なものは総て揃った」

バッターさんはそう言うとわたしに手を差し伸べてきた。わたしは大人しくその手をとって立ち上がる。バッターさんの密かな気遣いは好きだ。亡霊を浄化しているバッターさんは恐ろしくて直視できたものではないけど、それ以外においては彼は優しい、好青年のようだから。どちらが本当のバッターさんなんだろう、なんて考えたことがある。答えがでたことはないけど…。

「……バッターさん」
「どうした」

わたしは訊ねたかった。彼はなにか知っているのか、答えを持っているのか。「わたし、本当に元の世界に戻れるのでしょうか」するとバッターさんはピタリと動きを止め、四つの目がわたしを捉える。正直、彼に見つめられるとどこか居心地の悪さを感じる。感情が読めないからだろうか。
「……元の世界に帰りたいのか」単調な声色でそう訊かれる。わたしは頷いた。

「……すべてのゾーンを浄化し終えたら帰れるんじゃないか」
「本当ですか?」
「……ああ」
「だったら、浄化しないとですね……」

浄化をすることには疑問を抱いていたけど、それがわたしが元の世界に戻るための方法なのだとしたら、そうするしかないのだろう。この世界が変わってしまうのは回避したいところだけど、それをしなければわたしが帰れないのだったら。ふたつを天秤にかけてもどちらが正しいのかなんてわからない。わたしがどうしたいかなんて、わからない。ただ、元の世界に帰りたい。それだけのことなのに。

「ナマエが心配することはなにもない」
「そう、でしょうか」
「ああ。今は浄化のことだけ考えていればいい」
「……はい」
「さあ、行こう」

ごつごつした手で背中を支えられる。今わたしが頼れるのはバッターさんしかいない。彼の言う通り、浄化をすればいいんだ。きっとそのはず。そうすればわたしは元の世界にもどれるのだから。
バッターさんと隣合わせで歩き始める。彼の後ろには口の大きな化物の影が伸びていることなんて気がつかないまま。

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