「ナマエいなくなった!」

平腹は食堂の扉を大きな音を立てて開くと、そう叫んだ。そこには丁度獄卒全員が集まっており、探す手間が省けたと思う。「ナマエオレのベッドで寝てたんだけどさァ、消えちゃったんだよ」イライラと機嫌が悪そうに言葉を紡ぐ平腹に対し、佐疫は冷静に口を開く。

「いいタイミングだ。むしろ少し遅いくらいだよ」
「なにが?」
「閻魔庁から仕事の依頼がきたんだ。さっき肋角さんから話を聞いてね」
「マジ?なら早く行こうぜ」
「魂に手を出すような奴だ。しっかり準備しなきゃ危険だよ」
「じゃあオレ先に行ってる」
「駅の場所、分からないだろう?もう少し待ってくれよ」
「…早くしろよな」

怒りという言葉では足りない、憤怒に支配された平腹に佐疫はつい溜息をつく。もちろん一刻も早く現場へ向かわなければいけないのは分かっているが、返り討ちにあったら堪ったものではない。それこそ失敗の許されない案件であるなら尚更だ。
ゴソゴソと銃器をまとめる佐疫を尻目に、平腹は近くにあった椅子を荒々しく引き腰を下ろす。座った次の瞬間にはガタガタと貧乏ゆすりを始めた姿を見かねたらしい木舌が言った。「心配なのはわかるけど、ナマエがその顔見たら泣くんじゃないかな」鬼の部分が出現していることに平腹は気がついているのだろうか───いいや気がついていないだろう。「なあ準備できた?まだ??」話しかけられたことにすら反応できない平腹は、ただただ憤りの行き場をなくしており、見るに耐えなかった。

「俺はいつでも構わないぞ」
「…よし。これでいいだろう」
「だるいからさっさと終わらせるぞ」
「肋角さんの期待に答えてねば」
「ナマエ泣いてないといいけど」

斬島は刀を、佐疫は銃を、平腹はシャベルを、田噛はツルハシを、谷裂は金棒を、木舌は大斧を。各々が武器を持ち、先ほどとは打って変わって殺気に満ちた空気へと変貌する。「ぜってえぶっ殺す…」その中でもブツブツと物騒な言葉を羅列し、理性のりの字すら窺えない平腹は圧倒的に恐ろしかった。

「目標はナマエの安全を確保すること。そのためには手段を選ばずとも良い。勿論亡者を強制送還しても構わない。…行くぞ!」

斬島の号令に皆が応と返答した。ミッションスタートの合図だった。



左手の温もりが消える。それに何故だか寂しさを覚え、わたしは泣いていた。はらはらと落ちる涙は止まることを知らない。でも雫が頬を伝い地面に落ちる様子を、どこか他人事のように捉えていた。

「…わたし、どうして泣いてるんだろう」

拭っても拭ってもこぼれ続ける涙。頭の上に疑問符を浮かべながら、ナマエはふと周囲を見渡す。「…駅」ナマエは無人駅にただひとり立ち尽くしていた。

「…この駅、知ってる…?」

生きていたときのことなんて覚えていないはずなのに、今立ち尽くしている駅には奇妙な既視感を覚える。「……」どこか手持ち無沙汰な左手を握りしめて、そして開く。そしてやはり、寂しい、と思った。
黄色い点字ブロックの上に立つ。するとどういうわけか、脊髄をなぞりあげられるような感覚に支配される。知っている。わたしは、この場所を。知っていたはずなのに!

「頭痛い、なあ」

頭の中はぐちゃぐちゃだった。思考がままならない。思考がまとまらない。やがては思考することすらやめてしまった。
遠くで踏切が鳴っている音が聴こえる。ざわざわ、心が落ち着かなくなる。知っている。わたしは知っている!

見ィ つけ タ

刹那、ゾッとして後ろを振り返った。そこにはいつ現れたのか、ひとりの男性が立っている。「…見つけた。ようやく見つけた!」朗らかな笑顔を浮かべてそう言った男性に、首を傾げた。さっき、得も言われぬ恐怖を感じたけれど、彼は随分と人の好さげな笑みを浮かべており、気のせいだったのかな、と思う。でも、この男性。わたしのことを見つけたと言った?

「よかった。間に合って」
「…誰ですか?」
「ずっと君を探してたんだ」

男性はそう言うと、手に持っていた鞄のなかから一枚の封筒を取り出して封を開けた。途端に頭の中で警報が鳴り響く。冷や汗が噴き出る。鼓動が加速する。見ては駄目だと本能が叫んでいる。けれどわたしはなぜか目を反らせなかった。見ては駄目だと分かっているのに、どうして、男性は一枚の写真を取り出す、そこにはわたしが写っていた、もう一枚、一枚と取り出される、すべてわたしの写真だった。

わたしの写真しかなかった。

電車が近づく音がする。男性は封筒の中身をばらまく。「よく撮れているだろう?」風に舞い散る写真。ぜんぶぜんぶわたしのしゃしん。

「美しいものは美しいまま最期を迎えるのが美しい生き様さ」

どん、と体を押される。浮遊感に包まれたのち、線路の上に倒れ落ちた。電車が近づく音がする。数十メートル先には電車が迫ってきている。

ああ、そうか、わたし。

「ころされたんだった」

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