あやこさんに洗濯してもらい新品同様の清潔な制服の袖に腕を通す。木舌さんが獄都へ連れて行ってくれるそうなので、その準備だ。畳まれた制服が置いてあったところに視線を下ろすと、そこには数枚の絆創膏が。そういえば平腹さんに頬を噛まれたとき、念のためにと確保していたのだった。すっかり忘れてた。獄都が危険な場所だとは思わないけど、それでも一応何があるのかわからないので、私はその絆創膏をポケットに入れた。
よし、これで準備完了だ。

「木舌さん。お待たせしてしまってすみません。準備できました」
「全然待ってないよ。じゃあ行こうか」

部屋を出て、既に準備を終えていたらしい木舌さんに声をかける。彼はにこにこと人の好い笑みを浮かべて言った。「獄都は現世でいう東京みたいなものだよ。とても賑やかで、そして混沌としている場所だ」うんうん、と頷きながら彼の話を聞く。東京みたいなところかあ。迷子にならないように気をつけなくちゃ。

そうして私たちは屋敷を後にした。



獄都の入り口へ到着すると、わたしは呆然とした。たしかに話は聞いていた。とても賑やかで混沌としているって。でも、これはあまりにも。

「人が多すぎませんか…!」

がやがやとなにかのお祭りでもやっているかのようにどんちゃん騒ぎ。あちらこちらから奇怪な音や不思議な薫りが漂い、熱気がこもった空気に思わず息苦しさを催す。木舌さんの身長が高いおかげで見失うことはなさそうだからよかった。

「ナマエ、大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です…。これ、迷子になったら大変ですね」
「そうだねえ。念のために手でも繋いでおこうか?」
「…わたし、そこまで子どもじゃないです」

頬を膨らませてそう言うと、木舌さんは「ごめん、ごめん」と笑みをたたえながら頭を撫でてきた。子ども扱いをされている気分…。
そのとき、パッと視界の端に捉えた一軒のお店。甘味屋のようだけど、何故だかわたしはそのお店に視線が釘付けになり、つい足が止まる。別にお腹が空いていたわけではない。ただ、そのお店を経営しているらしい三つ目の方から目を反らせなかったのだ。

「木舌さん、あの…」

木舌さんの名を呼ぶ。何を言おうか、なんて考えていなかった。ただ引き止めてまでの価値があると、どこか確信を持ち彼に声をかけた。
しかし、返事はなく。おかしいなあと思いつつ視線を元に戻す、と。

「え、あれ、木舌さん…?」

木舌さんの姿がない。

まさか。信じたくないけど。

「ま、迷子になっちゃった…?」

我ながら見事なまでの伏線の回収ぶりに溜息をつく。どうしよう。下手に動くのもまずいような気がする。オロオロと途方に暮れていると、今になって周りからの突き刺すような視線に気がついた。わたし、なぜだかすごく見られている。道行く人々がみんなわたしにちらりと視線をくれるのだ。じろじろ見られて気分はあまりいいものではない。

「どうしよう…」

刺さる視線から逃れるように大通りの端へより、先ほど気にかかった甘味屋をもう一度ちらりと確認すると、店主さんが手招きをしている。キョロキョロと周囲を確認しても誰もおらず、手招きをしているのはわたしに対してのようだった。
どきどき。鼓動を速めながらお店の方へと近づく。おでこに三つ目の目玉を持つその人は、どこか不思議な雰囲気を纏っていた。

「お嬢ちゃん。紕い仔になってしまったようだね」
「み、見てたんですか」
「そりゃあそんなに目立つ魂をもっていたら誰だって気にするものだよ」
「…目立つ魂?半分になっているのがそんなに珍しいことなんですか?」
「魂に手を出すのは地獄でも天国でもご法度だからね。あなたに手を出した奴は大罪を犯したようなものだ」

思わず聴き入るような声色で三つ目さんが言う。じっと目つめてくるおでこの目は、なぜか今まで感じてきた視線と類が違うようで、嫌な気分にはならない。すると、「私たちにとって夢と現実の境目はひどく曖昧でね」と、唐突に話題を変えられる。夢と現実の境目?どういうことだろう。

「連れて行かれないように気をつけなさい」
「??連れて行く?」
「近いうちにわかるだろう。いいかい、気をつけるんだよ」

言われるがままにこくりと頷くと、三つ目さんはお団子とお茶を差し出した。「せっかくだから食べて行きなさい。そうすればあなたの探し人と出会えるさ」どうやらこれを食べれば木舌さんに出会えるらしい。なんという幻のお団子だ。
もぐもぐ。三本のみたらし団子を食す。「おいしい…」思わずそう呟くと、三つ目さんが微笑んだ。
お団子を食べ終えお茶を飲むと、こんな状況だというのにひどい眠気が襲ってきた。意思に反して瞼が落ちてくる。とうとう我慢できずに、わたしは近くにあったベンチに横になり、深い眠りに落ちていった。



真っ黒な空間。これは夢だ。明晰夢をみるなんて珍しい。自分の体の感覚もしっかりとしている。ただ、なんの明かりもない暗い空間には、どこかゾッとするような冷気が漂っている。
あてもなく歩いた。歩けばなにかあるかと思って、ただひたすらに足を動かす。けれども歩けど歩けど光の一筋すら見つからない。わたしはなんだか恐ろしくなって、だんだん小走りになっていった。
すると、がくんと動きが止まる。足首がなにかに引っかかっている?…いいや、ちがう、これは、

「ひっ───」

ずるりと漆黒の空間から這い出てきた腕。その腕が、わたしの左足首を掴んでいた。ぎり、と力が込められ、顔が歪む。動悸がひどい。速すぎる鼓動に息を切らす。誰かがわたしの足を掴んでいる!その事実がとても恐ろしくて、逃れようと何度体を捻っても不可能に終わる。いやだ、離して、離し───

見 ィ つけ タ

耳元で囁かれる。途端に鳥肌がたった。身の毛もよだつ思いに身体が硬直する。見つかった。何に?何かに見つかった。とても嫌な───

「…───起きろと言っているんだ!!」

びくり。大気を震わす大声に目を覚ますと、そこには谷裂さんと引きずられている木舌さんがいた。「帰りが遅いと思って様子を見にきたが、酒に溺れている奴と勝手に単独行動をとっている奴がいるとはな。探し回ったこっちの身にもなれ」ツンツン尖った言葉がわたしの胸に刺さる。「…わ、わたし、迷子になっちゃったんです…途中で木舌さんのことを見失ってしまって、それでここの甘味屋さんにお邪魔していたんです…」とりあえず誤解を解こうとそう言ったが、谷裂さんは眉間に深い皺を寄せた。

「甘味屋などどこにもないが」
「えっ?あれ、本当だ。そんな、どうして…」
「夢でも見ていたんだろう。随分と険しい顔をしていたがな」
「……」

そうだ、夢。とても嫌な夢を見た気がする。それで、左足を掴まれて、…。

「帰るぞ」

谷裂さんは木舌さんを引きずりながら歩き始める。わたしは恐る恐る、左足のスクールソックスを下げてみた。すると、「…!!」やはりというべきか、何者かに掴まれたような黒々とした痕が残っていた。慌ててソックスを上げ直す。わたしはあまりの恐ろしさから身動きがとれず、へたりと腰を抜かしてしまった。「なにをしている。さっさとついてこい」そう言われても力の入らない下肢のおかげで立ち上がることができない。谷裂さんの背中がどんどん遠ざかる。どんどん…遠ざかる……と、突然振り返りこちらに向かって走ってきた。

「なぜお前らはこうも手がかかるんだ!!」

谷裂さんはわたしを肩に担いで怒鳴りながらそう言った。でもなんやかんやわたしのことを気にかけてくれているのが垣間見えて、心根は悪いひとではないと思った。

でも、この足首。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

- ナノ -