「えっと…ナマエ…?」

頬に冷や汗を伝わせた木舌がテーブルに突っ伏しているナマエを指でつつくが、彼女が目を覚ます気配は一向になかった。首まで赤く染め上げられた身体を確認し、やってしまったと後悔してももう遅い。
いやしかし、と木舌は考える。確かに己は酒を嗜んではいたが、それの入ったグラスを茶か何かと勘違いして呷ったのはナマエであり、今回は自分に非はないのではないかと。「あー…ナマエちゃん、コップ間違えちゃったのか」佐疫の言葉にギクリとするが、そこには怒りというよりは寧ろナマエの安否を気遣う様子が窺われ、人知れず胸を撫で下ろす。

「ナマエ寝てんの?…てか顔色やべえ!生きてる??」
「見たところ呼吸状態も安定してるし、そこまで危惧しなくてもいいと思うけど…一応医務室に連れて行った方がいいかもしれないね」
「んじゃあ飯食い終わったらオレ連れてこっと。…木舌ァ、あんまりナマエにひどいことすんなよ」

不機嫌な感情を帯びた口調で平腹がそう言った。お前が言えたことじゃないだろう。そんな木舌の気持ちを読んだかのように、佐疫が「いや、平腹。それは自分にも当てはまることだって気づいてる?」と口にする。だが当の本人は佐疫の言葉の意味するところが理解できないらしく首を傾げた。

「オレにも?なんで?」
「…お風呂から出てさ、ナマエちゃんの頬の絆創膏、取れてるだろ」
「おう。………あ、」
「明らかに人為的な傷なんだ。…ここまで言えば俺の言いたいこと、分かるよね」
「だ、だってさあ、ナマエが」
「だってじゃない」
「けどよぉ〜…」
「けどじゃない」
「平腹、何故そんなことをしたんだ」
「斬島は興味津々な顔をしない」
「すまない」
「…ナマエちゃんから今朝のこと聞こうと思ってたんだけど、これじゃ無理だな」
「今朝のこと、か」

嘆息し食事に箸を進める佐疫の隣で、今まで沈黙を貫いていた谷裂が声を上げた。

「あれ、もしかして谷裂、詳しいこと知ってるの?」
「ああ。…そこの半亡者は、少なくとも肋角さんに敬意を抱いていることが分かった。その点は評価してやらないこともない」
「…俺が訊きたいのは、そういうことじゃあないんだけど…」
「言っとくけどオレも谷裂に殺されたこと忘れてねーからなぁ!?」
「フン、あれはどう考えても貴様が悪いだろうが。肋角さんを貶した罰は命を以って償っても足りんぞ」
「冗談も通じねえとか頭かたすぎ」
「何ィ…?喧嘩を売っているのか」
「二人とも頼むから食事中には控えて」
「佐疫、ポン酢を取ってくれ」
「斬島…きみは…ああいや、構わないよ。はい、どうぞ」
「ありがとう。ところで、佐疫は今日どこに行っていたんだ」

一触即発の空気に気がついていないのか、小皿にポン酢を足しながら斬島が問うた。しかし、彼のその行動はこの不穏なやり取りの流れを意図せず変えることとなる。
現世だよ、と一呼吸置いた後に佐疫が答えると、平腹の興味がその発言の方へと移ろいだのである。「マジ!?いいなー…オレも遊びに行きてーなあ…」目を輝かせながらそう言う姿に、佐疫は溜息を吐く。

「俺は遊びに行った訳ではないよ。謂わば偵察だ」
「テイサツ??」
「そう。…最近、人身事故が多発している駅があるみたいでね。そこに行ってきたんだ」

途端に水を打ったような静けさに包まれた。誰しもが口をつぐみ、発言者へと意識が集中する。言葉こそ交わされないはしないものの、詳細を話せと言われているのが伝わってくる。あからさまな差異に佐疫はつい苦笑した。「うん、そういう反応されると思った」それから予想通りの展開だったと言わんばかりに続ける。

「俺の見解は、その駅で起こっている事故は必然性の感じられるものではないってことかな」
「随分回りくどい言い方をする」
「いたのか?」
「…詮索してみたんだけど、いなかった」
「生者が起こした事故ってことかよ」
「いや、それはない。棲み付いてるのは確かだ」
「ならソイツ生者に手ェ出したってことじゃん!近いうち仕事回されっかなあ」
「…それでさ、佐疫。結局のところ関係性はありそうなの?」
「ある」

即答だった。「…タイミングといい取り巻く状況といい、度外視できない点が多いのは認めるが…早計過ぎるんじゃねえのか」田噛が吐き出した疑問に対し、佐疫は静かに頭を左右に振る。
佐疫がそのように判断した所以はこうだ。
当該駅での人身事故について調べを進めると、どうやら被害に遭っているのは女学生限定、加えて事故当時には制服を身につけていたらしい。事故の被害は死亡してしまうものから軽傷に留まるものと幅は広いが、幸いにも一命をとりとめた人物は口を揃えて主張していることがあるのだという。
───違う。お前じゃない。
背後でそう呟かれ、何者かに背を押されてホームから落下したのだと。

「ああ、それと…被害者とナマエちゃんの身につけていた制服がさ、同じだったんだ」

これらの情報を踏まえてもなお、この案件とナマエちゃんの状態の関連性がないって言える奴はいないんじゃないかな。佐疫は淡淡と言い切った。
偶然にしてはあまりに不自然な部分が多すぎる事故の頻発。これは何かあると、興味を持ちわざわざ足を運ぶ人間まで出てきているほどだ。今のところは特徴に合致する者以外への被害は生じていないが、それも時間の問題かもしれない。

「とりあえず、俺はこれから報告書をまとめるよ。それが提出されれば、あとは閻魔庁の要請次第で肋角さんから話があると思うし」
「なるほどな」
「でも存外早く見つかったなあ。おれ、もっと時間がかかるものだと思ってたよ」
「それには同意だ。…だけど、不可解なこともある」
「…こいつのもう半分の行方か」
「…うん。そうだよ」

分離した半分の霊魂は大本の手中にあると考えるのが妥当だと思っていたが、現世での騒動を見るに元凶と思しき存在はナマエを探しているような動きを見せている。これは前提を誤っているからか、あるいは。

「現段階では何とも言えないけど…俺達は肋角さんの命に従って任務を遂行するだけだ」

佐疫がそう言うと、各々が目を回している少女に目を移した。彼女の先行きは一体どうなってしまうのか、鮮明な未来を描けないまま。

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