よくもまあ目が回らないものだなぁと思う。木舌さん、お酒を呑んでいるのに気持ち悪くならないのだろうか。わたしはとっくに気持ち悪くなっている。そのせいで「やめてください…」と伝えても、声が細すぎて彼の耳には届いていないのだ。
げっそりとやつれていると、バターン!という大きな音が食堂に響いた。驚いてその方向を振り向くと、そこには平腹さんがいた。それからわたしと同様に扉の方に注目している佐疫さんも視界に入る。例外は木舌さんだけ。いまだに回り続ける彼は、一体どんな神経をしているの。ハハハって笑っているけど、ハハハってしている場合ではないんじゃないかな…。彼は並外れにのんきだ。
まもなく、平腹さんはぐるりと食堂を見渡した。その様子を依然回転している世界の中で見ていると、やがて目があい、黄色の瞳から垣間見えるのはギラリとした不穏な光。こわい!平腹さんが何か言葉を発しようとして開かれた口からは、尖った歯が覗く。それを目にしていやに鮮明に思い返されるのは、昨日の廃校でのできごと以外の何物でもない。あまりにも恐ろしかったので慌てて視線をずらすと、佐疫さんが「ドアの開閉は静かに」と注意をした。わぁナイスタイミング。まさにその通り。だけど平腹さんは佐疫さんの言葉になんの返事もしない。無視はいけないと思う。

「…こ、こわすぎ…」
「んん?どうしたナマエ。よ〜しよし」

そう小さく呟いたことに気がついたらしい木舌さんが、小さい子をあやすように高い高ーい!とわたしの身体を持ち上げる。しかしわたしもそこまで精神年齢が低いわけじゃないので、それがまた羞恥心を誘ってくれて仕方がなかった。木舌さん酔っぱらいすぎ。さてはわたしが幼子のように見えているな。

「あ、あなたはわたしのお兄ちゃんですか!いい加減下ろしてください…恥ずかしいです」
「お兄ちゃん…それはなかなかどうしてイイ響きだなぁ」
「え…」
「もっと呼んでくれてもいいんだよ?」
「……」
「ほらナマエ、お兄ちゃんって。ほらほら」
「……」

今の木舌さんには、何を言っても無駄に違いない。ぶらんと宙に浮いた足が地面を恋しがっているけど、それが叶うのはいつになることやら。

「なに?なにしてんの?」

途方に暮れていると、後ろから声がした。さっき佐疫さんに怒られた平腹さんの声だ。ただでさえ困り果てているこんな状況にトラブルメーカーの彼が加わると、正直嫌な予感しかしない。

「可哀想なナマエを慰めてたんだよ」
「…き、木舌さん、これ以上はあの、危険です、わたしの身が」
「はっはっは!存分に甘えてくれ!」

甘えてなんかいないというのに!わたしの言葉は、お酒に溺れた彼にはどうしたって届かないみたい。
きっと脳内がお花畑の木舌さんと、どう見たってキレていた平腹さんに挟まれたこの状況、目の前には絶命のルート一直線。どうしようどうしよう、と現状を打開する次の策を必死に思案する。ところが、神さまはわたしには微笑んではくれなかった。あまりに残酷な言葉が投下されてしまったのだ。

「ふーん。じゃあオレも手伝お」

平腹さんがそう言い放ったと同時に、両足首を掴まれる。え…えええ…そうきたか…。そのままぐいんっと足を持ち上げられて、身体が地面と平行になりそうな勢い。さながら空を飛ぶヒーローのような体勢にさせられてしまったのは、まあまだ許せる。でもね、平腹さん。足を掴んで引っ張るのは一体どうしてなの。手伝うって、こうすることでわたしが喜ぶとでも思っているの。やめてほしい。おまけに足首を掴む手の力が強すぎて骨が軋んでいるので、今すぐ解放してほしい。圧迫されて血流が妨げられているきがする。
このまま平腹さんの力が木舌さんのそれよりも勝ってしまうと、わたしの顔面は平腹さんの足と仲良くご挨拶をすることになるだろう。そんなの、絶対に痛いに決まっている。いやだ、回避しないと、絶対…。わたしは目の前の楽しそうな木舌さんにしがみついた。やっぱりお酒くさい。

「ひ、平腹さん、足を離してください…!」
「なんでオレ?木舌でもいいじゃん」
「いや、だって!こんな状態で木舌さんに離されたら、顔が叩きつけられますよ…!」
「そうだぞ平腹ぁ〜。その手を離しなさいっ」

痛い思いをしたくない一心で木舌さんに縋りつけば、「あーー!!!」と叫び声が響くし、木舌さんは大笑いしているし、こっちは泣きそうだしで、本当どうしてこうなったとわたしは自分の心に問いかけた。

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