食堂に入ると、誰かがテーブルに突っ伏していた。そのひとの前には空になったお酒の瓶、瓶、瓶。朝から呑んでいるみたいだ。佐疫さんはその様子をみると、やれやれといった風に肩を竦めてみせる。「確かに今日はあいつに仕事ないけど」聞き逃しそうなほどの声量でそう言い放った彼は困った感じの笑みを浮かべていて、それは優しそうだけど、どこか…黒い…そんな気がした。
真っ白なお皿の上に、ベーコンエッグが乗った食パンと野菜。それから牛乳。これがわたしの朝ごはんとなる。正面に座った佐疫さんはコーヒーのみ。…朝ごはんは食べない派なのだろうか。そんなことを考えながら、牛乳を一口飲んだ。あまくておいしい。

「昨日は平腹が迷惑かけちゃったかな」
「…う、うぅ」
「はは、図星か。…ナマエちゃん。きみは自分が冥府に連れて行かれないか不安なようだけど」

そこまで言うと、佐疫さんはコーヒーに口をつけた。飲み物を口にするだけだというのに、この美しい動き。目を奪われる。
しかし彼の冥府発言に、内心わたしの心臓はどきどきだった。ベーコンエッグトーストを頬張る余裕なんてないので、膝の上でぎゅっと拳を握った。

「まず、その心配は今の所は無用だってことを伝えておくよ」
「…えっ!ほ、本当ですか…!」

ニコリと微笑んで肯定の意を示してくれた佐疫さんに、全身が脱力する。

「ただね、とある問題が浮上しているんだ」

さっきの柔らかな表情から一転、難しい顔になる佐疫さん。でも今は冥府に送られるという心配がなくなったので、どんな悪いお知らせを聞こうとも、なんだか許容できてしまうように思えた。

「ナマエちゃんの存在についてなんだけど…なんて言ったらいいだろう…。ううん、きみはね、どうやら奇妙な魂をしているみたいで」
「?」
「ごめん、分かりにくいかな。単刀直入に言わせてもらえば…ナマエちゃん、呪われてるんだよ」
「…!?」

がちゃん、と手からコップが滑り落ちた。割れることはなかったけど、中身の牛乳が少しだけテーブルの上に零れてしまっている。それを見るに見かねた佐疫さんが布巾をくれたので、お礼を言ってから綺麗に拭いた。
いやでも…の、呪いだって!それってあの、コックリさんとか、そういうの。

「だ…誰に、呪われてるんでしょうか…?」
「ナマエちゃんが生きている内に出会った誰かだろうね」
「…わたし、どうなっちゃうんだろう」

どうせもう死んでいるのだから、呪いと言われても恐怖はするものの、いまいちピンとこない。一体どんな悪影響があるのだろう。「この世には輪廻転生というものがあるんだけど」クエスチョンマークが頭の上に浮かぶわたしに、佐疫さんが説明をしてくれるようだ。

「死んだ人間は生まれ変わりを迎え、新たな人生を歩むことになる。そしてまた死んでいく。つまり、魂は何度も転生する…ということは分かる?」
「は、はい…聞いたことはあります」
「ナマエちゃんはそれができないんだ」
「…その…呪い?のせいで、ですか?」

うん、そうだよ。佐疫さんは目を伏せてそう言った。もう一度カップを持ってコーヒーを飲むその様子は儚げで、彼にかかればどんな表情も絵になるんだなぁと思った。
それにしても、呪いとやらのせいで転生できないということは、言うほど問題なのだろうか。概念は理解できるけど、あまりにも突飛すぎてスッキリしない。

「…あの、佐疫さん。それって、そこまで悪いことだとは」
「そうとぉ〜〜り!!!」
「ひ」

話している途中に第三者の声が割り込んできたと思ったら、ドンッ!とテーブルにお酒の瓶が置かれた。…このひと、さっきまでテーブルに突っ伏して眠っていた獄卒さんだ。そろそろと視線を向けてみると、片手には中身の入ったお酒の瓶、もう片方の手にはグラスが。…だいぶ目が据わっているようだけど、まだ呑むみたい。「…木舌」低い声が聞こえた。緑の瞳の彼は、きのしたさんというらしい。木舌さんはわたしの隣の椅子に座り、グラスにお酒を注いだ。

「そんな楽観的に考えられることじゃないよ」
「そうか?…でもな、転生できないってことはつまり、ここでずう〜っと生きていられるってことじゃないか」
「だから、」
「おれはなぁ、佐疫。未来永劫酒を飲み続けられるのなら、それも悪くないって思う」
「……」

佐疫さんが溜息をついた。でへへと笑う酔っぱらい木舌さんは、彼とは対照的にあっけらかんとしている。
輪廻転生の流れに組み込めないらしいわたしは、自分のことであるのに問題の重大さを飲み込むことができていない。
だって、死んでも生まれ変わって、新しい人生を歩むだなんて。そういった類の話は耳にしたことあるけど、どうしたってそれは経験したことのないがゆえに、真実味がない。仮にわたしが生きていたころのあの生命が、誰かの魂が転生して生まれ変わりを迎えたものだと考えてみても、そもそもその“転生した”という記憶がないものだから信じられなかった。経験していたとしても、身に覚えがなければどうしようもないのだ。

「死んでるから加齢することもない、加えて転生することも、幽霊でもないから成仏することもできないんだよ」
「…不老不死ってことですか?」
「…それが、不死ではないんだよね。これが中々厄介な話で、ナマエちゃんは恐らく、死ぬことはできるはず」

こんなこと初めてだから、断言はできないけど。佐疫さんは形容し難い表情を浮かべながらそう言った。わたしには彼の言っていることが、どうも理解できない。…いいや、言いたいことは分かる。でも、わたしもう死んでいるのに。更に死んじゃう可能性もあるということ?どういうことなの。すっごく嫌だ。

「ナマエちゃんは言わば半亡者の状態なんだ。亡者は致命傷を負ったら、冥府に強制送還される仕組みになってる。そうするしか策がない亡者には、僕達獄卒がその方法で対処するからね」
「…へ、へえ〜」
「だけどナマエちゃんの場合は、さっきも言ったように転生ができない魂だから…もし死に値する負荷がかかった場合」
「……」
「その先に待ち受けるのは……無、だと思う」
「無…?」

やっぱり完全には納得できない。転生したという実感が湧かない限りは、例え佐疫さんの言う“無”になろうとも、きっとその“無”になったこと自体に気がつくことはできないだろうし。
というか、その無になることってそこまで問題視されることなのかなぁ。確かに、死んでいるのにまた死ぬっていうのはとっても嫌だけど、転生というものがそこまで欠かせないことであるとは、少なくともわたしは思えない。
ところで、どうして佐疫さんはさっきから当事者であるわたしよりも深刻な顔をしているのだろう。もしかして彼は獄卒という立場であるからこそ、わたしには到底知り得ない問題を危惧しているのかも。

「でもなぁ〜おれらも似たようなものだし」

顔が赤い木舌さんは、状況に置いてきぼりになりつつあるわたしを宥めるように、のんびりとした口調で話す。パチリと視線が合うと彼はニンマリ笑い、肩に腕を回してきた。うわ、おさけくさい。さりげなく腕から逃げようとしたら、ぐいっと引き寄せられて脱出は不可能。よ、酔っぱらいだ〜!

「俺達は死なないんだから、同じ観点で考えるべきじゃない」
「まあそうだけどさ」
「……」
「細かいことはどうでもいいじゃないか」

納得がいかないような表情を浮かべる佐疫さんを見ていると、なんだかこっちが申し訳なくなってくる。そんなわたしのやるせない気持ちが顔に出ていたのか、佐疫さんはこちらを見ると「ごめん、僕はきみの身を案じてるだけなんだ」と言った。天使かな。

「佐疫は優しいなぁ!まあ、こればっかりはここでアレコレと考えていても仕様がないことだよ」

木舌さんはそう告げると、わたしの肩に回していた腕を離し、立ち上がった。体格のいい彼は座っているわたしから見ると、まるで山のよう。のんびりしている性格によって身長差が生む圧力が中和されているけど、もしこれで彼が暴れん坊であったらわたしは卒倒していただろう。

「ナマエ、安心していいよ。ここにいれば、おれ達が相手になれるんだからね」

さあ立って!木舌さんはそう言うとわたしの手を取り立ち上がらせた。えっ。なにをするつもりかと彼の動きを目で追っていると、大きな手が脇の下に入れられて身体が持ち上がる。えっ。いわゆる高い高いをされて混乱していると、木舌さんはなぜかだんだん回転し始めて。

「ははははは!軽い軽い!どうだこれで淋しくない!」
「……うぷ」

わたしの胃の中にある牛乳がチャプチャプと混ざる感覚がする。き、きもちわるい。

とりあえず木舌さんの酔いよ、はやく覚めて。

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