目覚ましのために設定していたアラームが鳴り、意識が浮上した。もぞもぞと身体を動かして音を止めようとアイフォンを掴むと、それを見計らったかのようなタイミングで通知が届き、手の中に震動を感じる。やや驚きながらも誰からのメッセージかを確認してみれば、相手の名前にはカラ松と表示されていた。……カラ松って誰だっけ。寝起きのせいで、まだ思考が鈍い。それでも気力をふりしぼって記憶の糸をたぐり寄せていけば、やがてもやもやと頭の中に形成されていくサングラス。……ああ、そうだ!昨日のサングラスのひと。おそ松さんの弟さんだ。思い出した。そういえば友だちとして登録していたんだった。
どうしたのだろうと思いトーク欄を開いてみると、おはようございます、とあった。朝の十時におはようという挨拶が正しいのかは謎だけれど、とりあえずわたしも同様に返してみる。返信を送ればすぐに既読マークがつき、昨日はどうもありがとう、今日なにか予定はありますか、ときた。予定かあ。また街に出かけてチビ太さんへのお礼の品を買う、という用事はある。昨日果たすことができなかったので、今日は何が何でも買ってやるのだと決めていた。……何を買うかは、結局まだ決めていないのだけれど。
そのことを伝えると、またすぐに既読マークがついて返信がくる。でも、なんだか様子がおかしい。なぜなら「そうで」と途中送信されている感じになっているのだ。間違えて送ってしまったのかも、と思い続きを待ってみる。しかし、数分、数十分と経過しても動きがない。さすがに不安になったので、大丈夫ですか?とメッセージを送ってみたら、今度は既読すらつかなかった。急用ができて離れてるのかな。だとしたら仕方がない。
……それにしてもカラ松さん、文章でのやり取りは昨日の振る舞いからは想像できないくらい普通だ。一体どっちが彼の本当の姿なのだろうか。そう思いながら、わたしはゆっくりと身支度を整え始めることにした。



悲しいことに、現在わたしは世間の冷たさというものを身をもって経験している。みながみな冷酷な人間であるとは言わないけれど、それにしたって今のこの状況では、わたしの周囲には冷たい人間しかいないということを思い知らされた。助けを求めるように視線を送っても、誰もが目を逸らして足早に離れていってしまうのだから。

「ねえねえキミなまえちゃんっしょ?いんやぁ〜こんな所で会えるとはね!おれのこと知ってる?同じサークルなんだけど!」

お願いだから誰かお助けください。わたしは心の中で号泣していた。これは、絶対面倒くさい感じのやつだと……。
“同じサークル”という言葉に、相手が誰であるかは予測がついた。このひとは恐らく、以前友人から聞いたなんとか先輩なのだろう。相変わらず名前は思い出せそうにないけれど。
昨日から、わたしの意志を妨害する見えない力が働いているように感じる。何故だ。わたしはただ、チビ太さんへのお礼をしたくてここまで来ているだけなのに、それなのに。もしや礼なんてする必要はないよ、という神さまの思し召し?ま、まさか、そんな、なんてひどい神さまなの。

「おれ今ダチと遊びに来てんだけどさ、女の子いなくって!むさ苦しいったらありゃしねえのよ。だからさ、よかったら一緒に遊ばね?」

え、と思ったら、なんとか先輩の背後からにゅうっと別の男のひとたちが現れた。うわ、増えた。増えちゃったよ。こんなの益々絶望的な流れになってしまう。もう一度周りに助けてと目で訴えてみるも、やはり結果は同じに終わる。く、くそう、みんな冷たすぎる。

「んじゃ、行こっかー」
「ぎゃああ」
「あっは、ぎゃーって。なまえちゃん面白いね」

まだ何も言っていないのに腕を掴まれて、口からかわいげの欠片もない叫び声が出てしまった。こういう時にきゃあ!なんて言える人間なんて、存在しない。はず。少なくともわたしには到底無理な芸当だった。「うんうん、マジ面白ぉ〜い。だからさ、そんな奴らとじゃなくて俺らと遊ぼうよ」いやだ、遊びたくないです。内心は拒絶の言葉で埋め尽くされているというのに、恐怖やらパニックやらで言葉を発することができない。もう無理。終わった。「あ?誰、お前」誰ってお仲間の方じゃないんですか。そう考えたけれど、改めてその声の主の方へ視線を向ければ、そこには。

「俺はビッグな夢をもつ男だ。そしてなまえの大親友でもある」
「カラ松さん……」
「いやおそ松ね」
「カラ松は俺だ、マイエンジェル」

おそ松さんとカラ松さんがいた。また名前を間違えてしまったけれど、とにかく助かった!彼らは救世主、わたしのメシアである。もう地面に額をこすりつけて感謝したいくらい。本当に助かった、ありがたいことこの上ない。すると、なんとか先輩は「名前間違われてんのに親友?頭沸いてんの?ってうわ、同じ顔じゃん」と言い捨てた。確かに名前を間違えてしまったのは事実だったので、う、と思う。でも、なにもそんな言い方しなくても。ついムッとした顔を作れば、おそ松さんがずずいと前に出てきて口を開いた。

「今のは俺達の中での挨拶みたいなもんだから。だって親友だしぃ?はい、残念でした〜!」
「くそうぜえ」
「まあ、ふざけるのもほどほどに。……俺はね、止めといた方がいいよって言いたいんだよね」

おそ松さんとの口論が開始されると、意識がそちらに持っていかれたのか、掴まれていた腕が解放された。急いで距離を取れば、カラ松さんに近くのベンチへと誘導され、一緒に腰かける。あれ、なんか傍観する感じになっているけれど、おそ松さん一人で大丈夫なのか。見ている限りでは、今にも殴りかかりそうな緊迫した空気になっている。危なくないのかな。というかカラ松さんの服すごい。ギラッギラだよ……。

「おそ松兄さんのことなら心配いらないさ」
「け、喧嘩になりませんか?暴力は警察がきちゃうので、避けた方が……」
「何かあったら俺も入るから問題ない」
「それは喧嘩に参加するということですか?だとしたら駄目ですよ、怪我をしちゃうかも」
「大丈夫だから、落ち着いてくれ」

早口でまくしたてるわたしを宥めるように、カラ松さんは言った。その言葉で、少し頭の中が冷える。それからは徐々に冷静さを取り戻していき、ようやく通常の思考が可能になるまでに回復した。
今一度おそ松さんたちの様子を窺ってみると、やはり取り巻く雰囲気は険悪そのものだ。それに一人対三人だし。危ない、とは思う。でもカラ松さんは大丈夫だと言う。ここは彼の言葉を信じて、全てが終わるのを待つしかないのだろう。

「あ、あの、遅くなってしまったのですが、助けてくれてありがとうございました。本当に助かりました。みんな見て見ぬふりをするものですから」
「フフ、こんなことは朝飯前さ。ところで、怪我はしてないか?」
「はい、大丈夫です。……で、でも、本当によかったです。カラ松さんたちと知り合ってなかったら、たぶん……」

自分の身に降りかかっていたであろう災難を想像して、ゾゾゾと肌が粟立った。やはり、持つべきものは友人であるなあ。しみじみしていると、目の前に影がかかる。ハッとして顔をあげれば、そこにはおそ松さんが立っていた。「お、おそ松、さん」想像していたよりも早い決着だったものだから、たどたどしい口調になってしまったけれど、彼はいつも通りの表情で「おー。終わったよ」と言った。どうやら少し目を離したすきに解決したらしい。撃退するところを見逃してしまったのは、少しだけ惜しい、と思った。

「だ、大丈夫ですか?怪我は?」
「いや無傷。めっちゃ健康体」
「ええと、どうやって丸く収めたんですか?」
「ん?……んー、それは秘密」

おそ松さんは笑いながらそう言った。そっか、秘密ならどうしようもない。改めておそ松さんにもお礼を述べ、わたしは立ち上がった。いよいよ目的を果たせそうだと意気込むと、「そういえばさ、例の用事ってなに?」と訊ねられた。え?用事の件、カラ松さんには今朝のやり取りで伝えたから把握されているのは分かるけれど、どうしておそ松さんが知っているんだ。そんな疑問が表情に出ていたのか、彼は饒舌に続ける。

「実はさあ、俺見ちゃったんだよね、カラ松となまえちゃんのやり取り。こいつ昨日からなんっか様子おかしくて。だってずっとアイフォン握ってるし、百面相しながら何か打ち込もうとしては止め、また打とうとしては止めて、の繰り返しだし。こりゃ何かあるなって思ったんだよね。で、今朝ようやく決心ついたみたいに画面と向き合ってるからさあ、おっ?って思って覗きこんでみたわけね。そしたら見覚えのある名前の子とLINEしてんじゃん!?みたいな。特徴訊いてみるとなまえちゃんと一致してたし、ああこれ間違いなく俺の知ってるなまえちゃんだわ〜って思ったんだよ。しかも今日出かけるって内容だったし、弟もみ〜んなどこか出かけてて俺暇だったし、じゃあ俺もなまえちゃんに会いに行っちゃお〜みたいな」
「は、はあ……。カラ松さん、今朝の途中送信のメッセージって、もしかして」
「……こんな筈ではなかったんだ」

サングラスの下から水が流れ落ち、カラ松さんの頬を濡らした。
そこで、あることを思いつく。そういえばこの二人はチビ太さんと知り合いなのだ。わたしはお礼をしなければとは考えつつも、恥ずかしながら肝心の内容についてはどうも良案が浮かばず、悩み苦しんでいる状態だ。ここは彼らに助言をもらうのが得策かもしれない。ツケを作るくらいなのだから、きっとわたしよりも長い付き合いであることは確実だし。我ながらグッドアイディアだ。

「あの、お二人にお願」
「何でも言ってくれ」
「お、おお……?すごく食いつきますね」

最後まで言い切る前にカラ松さんに遮られた。思わずたじろいでそう口にすれば、彼は「昨日のコーヒーの件もあるからな」と言った。

「本当は俺もなにか奢ることができればいいんだが、如何せん金がない」
「それなら、ちょっと付き合ってくれませんか?それで奢りの話は終わりに」
「つ、付き合う……!?」
「えっ、そこ?」
「コーヒーの件ってなに?」
「あ、ああ、昨日色々あったんですよね」
「色々ぉ!?おいカラ松お前まさか」
「ちょ、ちょっとまってください、これじゃあ埒があきませんよ。とりあえず話を聞いてくださいお願いします」

頼みごとをするだけのはずだったというのに、この疲労感は一体なんなの。この二人自由すぎるというか何というか、いいや自分のペースを持っているのはとてもいいことだとは思うけれど、このままではまた目的を果たせずに一日が終わってしまう。それだけは避けなければ。
少し声を大き目にそう請うと、一応二人は会話を止めてこちらを見てくれた。よかった、わたしの声は届いている……。ホッとしながら「実はチビ太さんにお礼をしようと考えてるのですが、何がいいのか中々思いつかなくて」と本題に入れば、おそ松さんは「うげえ〜」と顔を顰めながら言い、カラ松さんは考え込むように顎に手を当てた。この反応の差よ。

「お礼?チビ太に?どうして」
「ほら、わたし前に家まで送ってもらったじゃないですか。だから」
「別によくねえ?お礼とか」
「よ、よくないですよ。迷惑かけちゃいましたし……。なにか知りませんか?チビ太さんの好きなものとか」
「チビ太はおでんをこよなく愛する男だ」
「!!ほ、本当ですか、カラ松さん!」
「アッハイ」

食いついて距離をつめれば、カラ松さんに引かれた。挙動不審になっている様子を見るに、わたしの顔が放送禁止並みのものになっていたのだろう。危ない、自重しないと。
でも、おでん好きか。お店を開くくらいだから、理解できる。しかし、だからといっておでんをプレゼントするのも変な話だ。たぶん毎日食べていると思うし。う〜ん、この情報をどうにかして活かせないものかなあ。「おでんのキーホルダーとかでいーじゃん」至極興味なさそうにおそ松さんが言う。キーホルダー……なるほど、それもいいかもしれない。

「フッ……俺が貰う立場なら、気持ちが込もっていたら何だって大歓迎さ」
「気持ち、ですか?」
「ああ、気持ちだ。ハートがあれば、何だって」
「よ、よし……!それじゃあおそ松さんの意見をいただきますね。雑貨屋さんに行って探してみます」
「え、マジ?」
「大マジです。わたしは込めてみせます……キーホルダーに目いっぱいのありがとうの気持ちを」

買うものも決まったことなので、付近のデパートに向かおうと方向転換しようとしたら「え〜〜!!」という声に驚いて足が止まる。さっきまで怠そうにしていたおそ松さんだ。途端に元気になって、彼の身に一体なにが……?隣にいるカラ松さんは、特別取り乱した様子を見せない。これはさすが兄弟といったところだろう。

「どうしたんですか」
「いいなあ〜〜俺も欲しい!!気持ち込めすぎて最早なまえちゃんの化身みたくなってるやつ欲しいなあ〜〜!!」
「!!」
「えっ」
「おっ、俺も……なまえが欲しい!」
「!?」
「お前それは大分意味変わってくるだろ」

おそ松さんの鋭い指摘により我に返る。化身とかよく分からないけれど、でもそういえば、わたしには彼らに救出してもらったという感謝してもしきれない恩があった。バタバタしすぎてスルーしてしまうところだった。そうだ、そのお礼をしないと。そこまで考えて、最近自分が周囲のひとたちに迷惑をかけすぎていることを自覚する。う〜ん、もう少し注意して生活していかないとなあ……。気をつけよう。

「そうですね。先ほど助けていただいたこともありますし、お二人が迷惑でなければなにかお礼をさせてください」
「やりぃ!」
「……!」

二人の様子を見るに、迷惑ではなさそうだ。「じゃあ行こうか」おそ松さんがそう言って、わたしは二人と一緒に街中を歩き回ることに。これは予想していなかった展開だけれど、なかなか賑やかな時間になりそうである。

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