あの六つ子とは関わんねえ方が身のためだ。あいつら、絶対トラブル持ってきやがるからな。これは昨日の帰り道に、チビ太さんの口にした言葉だ。お酒でぼうっとしていた割には、やけに印象深くて記憶に残っている。
関わらないほうが身のため、かあ。そうは言いつつもチビ太さん、あなたも最終的には彼らを受け入れているじゃあないですか。自分で言ったことなのに、矛盾している。でも、それがチビ太さんの人柄の良さを象徴しているのだろう。初めこそ邪険に扱いはするものの、結局は受容する包容力。わたしも心の広い人間になりたいものである。
話がずれてしまったけれど。わたしはおそ松さんたちと出会ってから、チビ太さんの言うようなトラブルに巻き込まれたことはない。昨日の騒ぎはわたし自身の過失であって、おそ松さんたちに非はないから。だから別に、そこまで距離をおく必要はないんじゃないかなあ。彼らと出会ってからは何かと新しい体験ができて、それは平凡な日常に確かな刺激を与えてくれる。サークルもバイトもしていないわたしにとっては、その時間は有意義であると断言するに相応しい、価値のあるものに違いなかった。
結論。わたしは別におそ松さんたちとの関わりを断つつもりはないし、かといってチビ太さんのお店に顔を出さないつもりもない。それに関わらない方が身のためと言ったって、わたしと彼らの付き合いは、恐らくチビ太さんのお店限りでのことだ。そこまで神経質になるものでもないだろう。
そういうわけで。わたしはこんな何気ない毎日を、これからも過ごしていくつもりである。

「それに、チビ太さんも本気で言ったわけじゃないだろうし」

自分で言っておきながら、うんうんと頷く。今までの彼らのやり取りを見るに、本当に仲が良くなければあんな会話は生まれない。だからきっと、あれは言葉の綾というか、まあ冗談みたいなものだったのだろう。
ぱっと目が覚めてから色々と考えている内に、眠気はどこかへ行ってしまった。ベッドからのろのろ出て時計を確認してみると、時刻はお昼近く。明らかに寝すぎである。どうりでカーテンの外が明るいわけだ。
そういえば、昨日はチビ太さんに随分とお世話になってしまったから、何かお礼をした方がいいかもしれない。丁度今日は土曜日だし、せっかくのお休みなので街に出かけてお礼の品を買うことにしよう。
誰かと会うわけではないけれど、外出することに変わりはないので一通りの身支度を済ませる。休日ということで、思わぬところで知人と遭遇する可能性もあるから気は抜けない。一応わたしも年頃の女なので、普段より少しばかり丁寧にお化粧をして、控えめなアクセサリーをつけて、身なりを整えてから玄関を後にした。この前ペットショップで買った煮干しをバッグに入れるのも忘れずに。



街に着いてからお礼の品を買う前に朝食兼昼食を摂ろうと思っていたけれど、時間が時間なだけにどのお店も混雑していた。でも、よくよく考えてみたらまだそこまで空腹感はない。だったら無理してお店に入らなくてもいいか。きっとお腹がすいてきた頃には、お客さんの数も減ってくるだろうし。よし、そうしよう。でも流石に飲み物すら口にしないのは気が引けたので、自動販売機でお茶を買ってから再び街を歩き回ることにした。
とは言っても、どのお店でプレゼントを買うかは決めていない。それに、どんなお礼をするのかも。思いつきのままに家を飛び出してきてしまったのだ。ペットボトルを片手に足を動かしながら、ううん、と悩む。こういうのは食べ物が無難なのだろうか。けれど、もしチビ太さんの嫌いなものを買ってしまったら、と考えると抵抗を感じる。わたしは一体どうしたらいいの。あまりのノープランぶりに、今さら頭痛がしてきた。

「……んん?あれって、もしかして」

悶々としながら歩いていると、見知った人物を発見。おそ松さんだ。……あれ、でも。そういえば彼らは六つ子だと、昨日言っていたっけ。ということは、顔こそおそ松さんではあるけれど、実際は彼以外の兄弟という可能性もあり得る。不用意に話しかけて勘違いでした〜、なんてことは恥ずかしいから避けたいところだ。見知った顔だったために一瞬挨拶をした方がいいのかなあ、と考えたものの、あの人物がおそ松さんであるという保証がない以上、下手に動かない方がいいだろう。わたしのメンタル的にも。このまま気がつかなかったという体にするべき、なのかな。
そういえば、おそ松さんたちとわたしの関係性とは、一体どのように表現するべきなのだろうか。今までの関わりと言えば、チビ太さんのお店で偶然相席して、一緒にお酒を飲んで、話をする。それくらいだ。そんな何とも言い難い関係ゆえに、街中で見つけたからと言って声をかけるべきなのかどうかは、よくよく考えてみると判断に困るものである。話しかけて迷惑そうな顔をされたら、正直立ち直れそうにないという不安もあった。
とりあえず、今日のところは気がつかなかったということにしよう。まず目的があって街に来ているわけなのだから、用事を済ませないといけないということもある。そう思っておそ松さんから視線を逸らそうとしたら、なんということか向こうもこちらに気がついてしまった。ばっちりと視線が絡む。うわあ、どうしよう。まずあのひとはおそ松さんなの?別の松さんなの?これは下手に動けない。困ったことになってしまった。
しかし、そんな心配事は即座に解決されることに。なぜならおそ松さんが、どこからともなくサングラスを取り出して装着し、こちらにチラチラと視線を送ってくるからだ。まるでこっちに来いと手招きをするかのような振る舞いに、ああ彼はおそ松さんでいいのか、と確信に至る。
こうなってしまった以上、もう無視はできない。わたしは彼の元へと足を運ぶことにした。

「こんにちは、おそ松さん」
「フフ……待ってたぜ、カラ松ガール」
「!」
「何ッ」

愕然と口を開いた様子を見て、ああこのひと、おそ松さんじゃないなと思った。
わたしはただひたすらに気まずかった。やってしまった、なんたる失態。「……お手つき、か」ここは一言謝ってから去るのがいい。「だが───これも全能なる神のイタズラ、と言えよう」ごめんなさい「しかし皮肉なことだ。我が同胞と一人の天使を巡り争うことになるとは」人違いでしたって「俺も暇な身ではないが……フッ、たまには奴らの遊びに付き合ってやるのも悪くはない」伝え「さあ、俺と共に来い。マイ・キティ・エンジェル」……。

「さ、さようなら」

このひと何か怖い。次から次へとよく理解できない言葉を口にして、こちらが何かを言う機会を与えてくれない。わたしは迷わず踵を返した。
でも、駄目だった。なんかついてくる気配がする。こわごわ後ろを確認してみると、やはりそこにはサングラスのひとがいて。ぞわわ、と鳥肌が立ったけれど、このままではいけない。おそ松さんの兄弟ということは分かっているのだから、ここは一言、伝えなければ。

「あ、あの」
「ん?何だ」
「もしかして、ストーカー……」
「!!っあ、いや、そんなつもりはなかった」

いつでも走り出せるように意識しながらそう話すと、意外にもサングラス松さんは取り乱した。次いで「す、すまない」なんて謝罪までしてくれて、そこまで悪いひとではないのか、と考える。でもそんなつもりはなかったって。無意識の内にやるほうがおそろしいこともある。彼はストーカー気質なのだろう。危険だ。
けれど、本当に申し訳なさそうな表情をするものだから、先ほどまで最大限まで引き上げられていた警戒が緩む。と同時に、襲いかかってくる空腹感。急激な緊張感からの解放によるものかもしれない。辺りを見渡せば、店内は随分と人数が減っていた。そろそろ何か食べよう。「それでは今度こそ、さようなら」ぺこりと頭を下げてから、近くのカフェに入る。それから端っこの席に座って、テーブルを挟んだ向かい側にサングラス松さんも腰かけた。えええ。

「俺は松野家に生まれし次男、松野カラ松だ」

店員さんを呼んでパスタを注文したら、突然の自己紹介が始まった。彼は次男のようだ。なかなかのお兄さんである。「コーヒーも頼む」……カラ松さんとかいうこのひとは、一体何がしたいのだろう。びしっと指を立てて注文をする様子は、なんだか見ているこっちがむず痒くなってくる。なぜか一緒に食事をする風になっているし。もうわけがわからない。

「ところで、ええっと……えーと」
「?……なんですか?」
「……名前、を」

聞かせてください。と、消え入りそうな声で呟かれて、思わずポカンとする。もしかして、そのためだけについてきたの?すごく怖い決断力だなあ。
本来なら見ず知らずのひとに名乗るのは抵抗を感じるもの。しかし彼は、一応は知っている人物の兄弟だ。わたしは別段拒否する理由もないだろう、と考えて大人しく名乗っておいた。するとカラ松さんは、満足したような、どこか安堵したような表情を浮かべる。その様子をぼんやりと眺めていたら、やがて頼んだパスタが届き、そしてカラ松さんの前にも一杯のコーヒーが置かれた。わたしはとにかくお腹がすいていたので、あっという間に完食してしまったけれど、その間カラ松さんはコーヒーを一口飲んだと思いきや「苦いな……」と言ってそれ以降口をつけようともしないし、会計を済ませようとしたら「二円しかないな……」と言うし。う〜ん……悪いひとではないのだろうけれど、結局何がしたかったのかよく分からない。
お金がないということだったので、カラ松さんのコーヒー代は自動的にわたしが奢ることに。高いものではないから別にいいけれど、でもなんか色々とすごいひとだ、カラ松さん。

「すまない……所持金が少なくて」
「いえ、大丈夫ですよ。高いものでもないですし」
「次は俺に奢らせてくれ」
「えっ!そんな、気にしないでください。コーヒーの一杯なのに」
「それでは気が済まない」
「でも」
「そのためには連絡先を交換する必要があるな」
「ん?」
「さあ!!!」
「ひええ」

そのときの様子は異様なまでに鬼気迫るものがあり、わたしは気がついたらカラ松さんとLINEのIDを交換し、店を後にしていたのだった。
さすがにカフェを出てからは後ろをついてくる、ということはなく、わたしはへとへとに疲れ果てた身体を引きずるようにして歩いている。ここ最近で一番疲労している気がするなあ……。こんな時はあの生き物が恋しかった。ネコだ。ネコに会いたい。頭の中はただそれだけだった。アニマルセラピーは偉大なのである。
何も考えずに足を動かしていたら、やがて到着したのは例の路地裏。……そういえば、今日は一松さん、いるのかな。別に会う約束をしているわけではないけれど、ここ数日は偶然とはいえ連日顔を合わせていたものだから、もしかしたら、と思う。
遭遇する可能性を頭の片隅に置き、そろそろと暗く細い道に足を進ませる。やがて見えてきたのは行き止まりの壁と、前に煮干しをあげたネコ。一松さんの姿はなかった。足音に気がついたらしいネコは顔を上げると、にゃあんと鳴いて足にすり寄ってきて、心臓を掴まれたような感覚が襲いかかる───!

「わ、わたしのこと、覚えてるの?」

バッグから煮干しの袋を取り出しながらしゃがむと、にゃあと返事が返ってきた。幸せだ。一気に疲れも吹っ飛んだわたしは鼻歌まじりに袋を開け、煮干しをひとつ高々と掲げる。そう勿体ぶったのが悪かったのか、ネコは早くくれと言わんばかりに飛びかかってきたので、驚いて尻餅をつくはめに。でも愛さえあれば痛みなんて我慢できるもの。へらへらしながら煮干しを与えると、再び別の意味で心臓が鷲掴まれる事態へと陥った。
なんと一松さんがいたのである。
お尻を打ったままの状態でネコと戯れていると、気がついたら横から覗き込むようにして彼は立っていた。全然気づかなかった。足音すら聞こえなかった。「……随分懐いてるね、そいつ」茫然としているわたしをよそに、ボソリと言われる。その言葉にドキッとした。このネコは、ちゃんとわたしのことを好いてくれているのだと実感できたから。
それにしても、さすがに地面に座りっぱなしは不潔なので、煮干しでネコを釣ってお腹の上から退かし、ゆっくりと立ち上がった。それから服に付着した土を手で払い、一松さんの方へと向き直る。

「今日は、なにか食べるものを持って来たんですか?」
「なに、欲しいの?ネコ缶」
「……く……まだあのときのこと引っ張ってくるんですか」
「あの時のことって何だっけ」
「ほら、アレですよ……あの、わたしが……アレした……」
「にゃーん。ってやつ」
「!!」
「もうやんないんだ」
「ああああ」

羞恥心のあまり両手で顔を覆うと、「あ」と一松さんが言った。

「……首輪」
「首輪……?このネコちゃんに買う予定、なん、で」

すか。とは続かなかった。続けられなかったのだ。一松さんの腕がこちらに伸びてくる。変な声を上げるくらいには驚いて、思わず後ずさったけれど、でも所詮は路地裏。逃げられる距離なんて大したことはなく、すぐに壁に背中があたった。えええ。なんなの。一松さんの目はわたしを見ていない。目より下、口よりも下、となると首、である。男のひとらしい手が、わたしのネックレスを掴んだ。どうして、と思った次の瞬間にはブチッと聞こえて、……!?

「飼われてる訳じゃあるまいし」

一松さんは死んだ魚のような目をしながらそう言うと、ネックレス(だったもの)を無慈悲にもポイッと放り投げた。すると夕日が金属に反射してキラリと光り、どこからともなくピイーッと鷲の鳴く声が響き渡る。やがて翼をはためかせる音が急速に近づいて来て、黒い影がわざわざこんな狭い道の中まで飛んできて、更には宙に浮かぶ残骸を的確に咥え、どこかへと飛び去って行ってしまったのだった。華奢なデザインだったから、そりゃあ力を込めれば引き千切ることはできると思うけれど、それにしたって。えええ。おまけに買われたってなに。あのネックレスはわたしが自分で買ったものですよと声を大にして言いたい。あまりに理解不能なことばかりで、頭の中は白一色。
それからのことはよく覚えていない。ただ言えるのは、気がついたら家に帰っていたということのみ。抜け殻のようになったわたしは家の中で、肝心のお礼の品を買えなかったことに頭を抱えた。でも、それも自分の身に降りかかった出来事を思い返してみると、仕方のないことに違いない。

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