「チビ太さん。これってわたし、からかわれてるんですかねぇ」

あれからなんやかんやで一松さんと別れて、わたしはまたチビ太さんのお店に顔を出していた。何かあるとすぐここに寄る癖がつき始めている。でもそれはチビ太さんが何かと相談に乗ってくれて、居心地がいいからだ。わたしは彼の懐の深さに存分に甘えているのである。

「おいらに聞かれても困る」
「やっぱり?」
「昨日あいつも言ってただろ、気にしない方がいいってよ。なんでそんな悩んでんだ、お前は」
「う〜ん、それは……インパクトが強かったから。……ですか?」
「だからおいらに聞くなって」

チビ太さんは呆れたような表情を浮かべながらそう言った。ううん、そろそろ話題を変えた方がいいのかもしれない。
さて、会話に一区切りついたところで、今日はどの具を食べようかと考える。あつあつのおでんからは湯気が上がっていて、どれもおいしそうだ。あれでもない、これでもない、と優柔不断に悩んでいると、ポケットが震えた。LINEの通知である。もしかして友人かなあ、と思いアイフォンを取り出して相手を確認してみると、それは予想外の人物からだった。
橋本にゃー。知るひとぞ知るアイドルである。最近少しずつではあるけれど、知名度が上がりつつあるとお父さんから聞いた。そういえば、先日彼女からこの街でライブと握手会を開催するから時間があったらきてね、と連絡があったのだった。まあ、わたしはその時間講義があったから行けなかったのだけれど。断りのメッセージを送った後、そっかあ残念!それじゃあ今度時間ある時にあそぼ!なんてお決まりの語尾をつけない返信がきて、やはり彼女も普通の女の子なんだなあと思ったのは記憶に新しい。
過去に思いを馳せるのもほどほどに、にゃーちゃんのトーク欄を開く。ライブの報告かな、と考えたけれど、開催日は確か数日前だったはず。だとすると、すぐに連絡をしてこなかったのは多忙の身だからかなあ。そういうところから彼女の努力が少しずつ報われている様子が伝わってきて、なんだかこちらも嬉しくなってくる。
画面をタップしてまず目に入ったのは、目が飛び出るくらいの長文。それに一旦思考が停止した。なにこれ。そんなに感動的なライブだったのかと納得しようとしたけれど、いざ本文に目を通してみると全然違った。ただの愚痴だった。どうやら握手会でドン引きの体験をしたらしい。性的な言葉を浴びせかけられたとか、あの双子マジ無理とか、とにかく愚痴だった。アイドルらしからぬ罵詈雑言。これは後で、ストレス発散に付き合った方がいいかもしれない。とりあえず後で話を聞くね、とメッセージを残してアプリを閉じ、アイフォンをテーブルの上に置いた。
アイドルという存在にはファンが付きものである。中には人生をかけるような熱狂的なひともいるのだろう。そうして過熱しすぎた結果が、にゃーちゃんから届いたメッセージ内容のような、セクシュアルな被害をもたらすことになっているに違いない。アイドルって、大変だ。でもにゃーちゃん、かわいいからなあ。彼女を見て息を荒くするのは、同性であるわたしから見ても理解できないことではなかった。

「はんぺんください。あと、お酒も」

わたしは溜息をつきながら、結局いつもと同じ品物を頼んだ。

「また酒かよ……お前、弱いんだから程々にしとけって毎回」
「たったのコップ一杯ですよ?お店の売り上げに貢献してるってことでいいじゃないですか」
「おいらは心配して言ってんだバーロー。帰りはいつも一人だしよ」
「だってこのお店、居心地がよくて。つい」
「……へっ仕方ねぇなあ!はんぺん追加だチクショー!」
「ぃよっしゃあ!んじゃ俺にも日本酒追加でヨロシク」

え、という声がチビ太さんとハモったと思った次の瞬間には、両端にひとの気配を感じた。「……うおっくせえ!!てめぇら既にべろんべろんじゃねえか!!」チビ太さんが鼻を押さえながら叫んだ。確かに相手が喋るたび、口を開くたびに物凄いアルコールの香りが漂ってくる。体臭だと言われても信じられるくらいのにおいだ。思わず顔を顰めれば「なまえちゃん昨日ぶりぃ」とでろでろに溶けそうな声色でおそ松さんが言う。昨日出会ったわたしのことを覚えている程度には意識はあるようだけれど、それにしたって飲みすぎなことに変わりはない。明日キツイんじゃないかなあ。

「チビ太さっさと酒出せオラァ!」
「ひいっ」
「まあまあチョロ松、落ち着けって。なまえちゃんが驚いてるだろぉ?」

突然の怒声に肩が跳ねた。宥めるような声を上げるおそ松さんの視線がわたしを通りすぎ、さらに右方向へと向いているので辿っていけば、そこには誰が見てもお酒に飲まれているであろうおそ松さんがいた。え?お、おそ松さんが、おそ松さんが。

「増殖した〜!?」
「せっっっかく手に入れたチケット無駄にしやがってぇ……」
「いやそっちチョロ松だから」
「ちょ、チョロ……」
「なぁあにがセックスだ畜生!」
「え、」
「悪いねぇ〜うちの弟が荒れてて」
「え、え、」

絶対嫌われたああああ!いっそ死んでやる!と泣き叫んだ……チョロ松さん、が、テーブルに突っ伏した。おそ松さんと同じ顔のチョロ松さん。そして昨日と今日、路地裏で鉢合わせた一松さん。「……おそ松さんは、三つ子だったんですね」おいおいと滝のような涙を流すチョロ松さんを傍目に、わたしはそう口にしていた。三つ子なんて初めて見た。何とも言えない感動のような気持ちを抱いていると、彼はそれを撤回させる発言をしてみせる。

「俺達は六つ子だよ」
「え」
「にゃーちゃあああああ゙ん゙!!」
「え」

左側からは衝撃的な事実を曝露され、右側からはよく知るアイドルの名前を叫ばれ、わたしの頭は飽和状態だった。
と、とにかく。今するべきことは情報の整理だ。六つ子はおそ松さんでチョロ松さんはにゃーちゃんで畜生とセックス。なるほど。「と、とりあえず水飲めよ」若干引いた声音でチビ太さんは言い、二つのグラスを両端のふたりに差し出した。ふたりはそれを掴み、ぐいと勢いよく飲み干す。彼らの動きは面白いほどに一致していた。

「ぷはぁーっ!」
「言っておくけど、僕はおそ松兄さんを許したわけじゃないから。酒奢って全て解決出来ると思ってたらそれは大間違いだから」
「は……はあ〜?ハシゴしといてそんなこと言う??じゃあ吐けよ、今まで飲んできた分全部ゲロって俺に金返せ!」
「それはこっちのセリフだバッキャロー!なけなしの金はたいて手に入れた命の時間を返せ!」
「けっあんなクラスにいる程度の女によくそこまでデレデレできるよな。神経疑うわ」
「ぁあ!?もういっぺん言ってみろ!!」

水を飲んで少しは酔いが醒めたかと思いきや、今度は喧嘩が勃発した。ふたりとも、熱くなりすぎてわたしのことが見えていない。お願いだから、無関係の人間を挟んで喧嘩をしないでほしい。自分に何か非がある訳ではないけれど、すごく居心地が悪い。
立ち上がって帰ろうとするも、お店の椅子は一つ繋がりとなっていて不可能に終わる。どうしてわたしを挟むようにして座ったのかほとほと疑問である。オセロのつもりなのだろうか。
兄弟喧嘩を眺める趣味なんてないので、手持無沙汰のわたしはある種の逃避をすることにした。お酒に力に頼るのだ。しかし、チビ太さんが「あ」と言ったことにより、自分がコップに注がれたお酒を一気に呷ってしまっていたことに気がつく。混乱していたとはいえ、これはあまりよろしくない状況かもしれない。血中のアルコール濃度がじわじわと上昇しはじめて、なんだか頭が、いいかんじにふわふわと、いやぐらぐらと、してきた。

「あめしょ!」
「!?」
「!!」

頭はぼんやりとしているけれど、それよりもこの空気の悪さをどうにかしなければ。そう考えて、にゃーちゃんのファンであるなら知っているであろうフレーズを口にしてみた。結果は大成功。チョロ松さんが人類を超越したはやさでこちらを振りむいたのだ。その勢いは首がもげてもおかしくないくらいで、とてつもなくおそろしい。けれど、どうやらこれで喧嘩はおさまったらしい。あと一押しだ、と思い「ぺるしゃ!みけ!まんちかん!」と必死に叫ぶ。こんなことお酒がはいっていないとはずかしくてむり。わたしはもう自棄になっていた。

「ス……スコ!!シャム!!ロシアンブルゥーッ!!」

そして、とうとう目的の人物が食いついた。声帯がちぎれんばかりの声の張りあげようは、やはりとてつもなくおそろしい。そうはいっても、ようし、これでひとまずこの場は落ち着いたというわけだ。でも、わたしはもうダメだ。からだじゅうを駆けめぐるアルコールのせいで、じわりと目が潤う。短いじかんで一気に飲んでしまったせいで、心臓もバクバクしていてきもちがわるい。ぐらりと揺れる頭を重力にまかせてテーブルへ落とそうとしたけれど、それよりも先に肩をつかまれ、ぎらぎら滾った瞳と目があった。

「にゃーちゃんを知ってるんですね!?」
「あ、あええ」
「まさかこんな所で同志に会えるとは思ってもみませんでした。僕はチョロ松です」
「おいクソ童貞!なに勝手にスキンシップしてんだよ!童貞は童貞らしく端っこでウジウジしてろ!」
「さあ!もう一度鳴いてください!」
「いや何言ってんのお前」

指を肩に食いこませる勢いでつかんできているチョロ松さんの手を、おそ松さんが引きはがそうとしてくれているけれど、これがなかなか強情でうまくいかない。「……こんな時に童貞力発揮すんなよな」おそ松さんの声のトーンが、低くなった。ぞわりと鳥肌が立つ。でも童貞力ってなに。意味がわからないことばかりだけれど、ここはとにかく、わたしがチョロ松さんの要求を飲みこめばすべてが丸くおさまるということなのだろう。ひとまず、鳴けばいいのかな。そうだ、きっと、にゃーちゃんのように鳴けばいいのだ。にゃーちゃん、おねがい。どうかわたしに力をかして。

「に、にゃあん」

その後の沈黙はきっかり三秒。それからごきゅり、生唾を飲みこむ音がふたつ、重なった。「……酒」ぽつりとつぶやかれた言葉。チビ太さんはよく聞き取れなかったのか、怪訝そうな顔をしている。

「だぁから酒!酒くれ!なまえに飲ませるぞ!!」
「はあ!?いやこの様子見りゃ分かんだろ?こいつ酒に弱いんだって」
「だからこそだろ?な?」
「な?じゃねえよバーロー!」
「もう一回……もう一回お願いします……」
「にゃ、ムグ」
「っだああ!おいなまえてめえも律儀に従ってんじゃねえ!いいかお前ら、今日は帰れ。店じまいだ!さっさと帰りやがれ!!」
「えー」
「えーじゃねえ!あと仕方ねえからなまえはおいらが送ってく。そこで待ってろチクショー!!」

そうして今日は、強制的におひらきとなったのだった。

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