「チビ太さん。わたしって人間ですよねぇ」

お皿に盛ってもらったはんぺんを冷ましながら訊ねると、チビ太さんは奇妙なものでも見ているかのような視線をこちらによこした。「お前、飲みすぎじゃねぇのか」呆れたようにそう言われたけれど、あいにくわたしはまだ酔っていない。コップに入ったお酒を一口二口嗜んだくらいだ。

「ええ〜?まだ酔ってないですよ」
「つってもお前、コップ一杯でも大分思考やられるタチだろ」
「だってあんまり強くないですもん。ね、それで、どう思いますか?」
「おいらにゃ人間にしか見えねぇけど。……おいおい、まさか宇宙人だってカミングアウトする気じゃねえだろうな」
「正真正銘の地球人です」
「当たり前だバーロー」

当たり前かぁ。やはり、どこをどう見たってわたしは人間なのだ。それなら、あの路地裏のひとはなぜネコ缶を置いていったのか、それことが不思議でしかたがない。そりゃあわたしはあのひとではないので、いくら考えたところで真実に辿り着けるわけがないのだけれど。でも、こんな経験は二十年生きてきて初めてのことだ。それゆえ妙にインパクトが強くて、頭から離れる兆しが見えなかった。

「で?」
「え?」
「そんなこと聞いてくるっつーことは、何かあったんだろ」
「きいてくれますか」
「まあな」

腕を組んでそう言ってくれたチビ太さんは、身体は小さいけれどとても頼りがいのあるひとであるとつくづく思う。まあ、わたしもそのことについて話をするためにこのおでん屋さんに来たのだ。こくりとお酒で喉を潤わせてから、今日体験したなんとも珍妙なできごとについて話し始めた。ペットショップに行って飼えもしないネコを見て癒されたこと、そのまま帰るのは申し訳なかったので煮干しを購入したこと、帰路の途中に路地裏でネコを見つけたこと、そのネコが人懐っこくてとてもかわいかったこと、そこで男性と出会ったこと、そのひとがわたしにネコ缶をくれたこと。その時の一連の流れが記憶に色濃く刻みこまれているので、特に問題なく当時の状況を伝えることができた。ちなみにわたしがネコの真似事をしていたことは省略。お酒の飲んでいるとはいえ、さすがにその事実がいかに恥ずかしいことであるのかは判断できたから。
話し終えた時にははんぺんが丁度いい温度になっていたので、わたしはチビ太さんが何やら考え込んでいる様子を視界の端に捉えながら、もぐもぐと頬張った。おいしい。ふわふわしてるけれど、出汁もちゃんと滲みこんでいる。
チビ太さんは未だ沈黙を守り続けている。でも、その気持ちはわたしも十二分に分かっているつもりだ。だって体験した本人もよく分かっていないのだ。なんとも不可思議な、世にも奇妙な物語である。
わたしは答えを求めているというより、この不思議な体験を誰かと共有したかった。だから話しやすいチビ太さんの元を訪ねたのだけれど、この随分と悩んでいる様子を見るに、もしかして迷惑だったかもしれない。
どうしたものかなあ、と口の中でもはや液状になったはんぺんを飲みこむ。親身になってくれるのは嬉しいけれど、こうも無言が続くといたたまれなさの方が勝ってしまう。だから、今の話は忘れてください。そう言おうと思って口を開くと、「チビ太ぁ〜」という間延びした声に遮られて叶わなかった。

「ビールくれ」
「……またお前かチクショー。前にも言ったが、今までのツケ全部払うまで飲ませねえかんな」

暖簾を片手でよけて、隣に腰かけてきた男のひとが一人。チビ太さんとのやり取りを見たところ、それなりの親交があるらしい。頬杖をつきながらビールを頼んでいるけれど、どうやら貸付金がたまっているみたいだ。
そのひとが、自分の隣に座っているわたしに気がついたようで、気のぬけた表情のままこちらを振り返った。そして目を見開かれる。それと同様にわたしの目も丸くなり、さらにはぽかんと口まで開く始末。

「えー、なになに?この店に女の子って珍しくない?」

破顔しながらやけに慣れ親しく話しかけてきた相手を見つめながら、わたしは「あ、あ、あ」なんて、さながら壊れた人形のように彼を指差すことしかできなかった。この顔、忘れるわけがない。忘れたくても衝撃的すぎて、結果脳みその皺ひとつひとつに、余すところなくぎゅうぎゅうと詰めこまれているのだから。

「お、おいどうした?大丈夫か?吐くか?」

明らかに様子のおかしいわたしを心配してくれているチビ太さんが、次から次へと矢継ぎ早に労りの言葉を投げかけてくる。それによって漸く我に返り、ひとを指差すなどという失礼なことをやってのけていた自分を戒めた。すっと右手を下ろし、名も知らない男のひとからチビ太さんに視線を映して、言ってやった。

「チビ太さん、このひとです」
「え」
「え?俺?」
「はい、このひと……です。この顔みました。……でも、なんか違うような気も……雰囲気とか……ううん、でも、きっと……たぶん、このひと……?」
「俺がどうしたって?」
「お前は黙ってろバーロー!」
「ひっでぇーの」

もう一度男のひとの顔を見てみたけれど、やはり記憶に新しい顔と一致、している気がする。それでも胸を張って「このひとです!」と言えないのは、一体どうしてだろうか。何が、とは明言できない。でも、何かが違うような気が、しなくもない。「なあ、雰囲気が違うって言ったよな」チビ太さんが口を開いた。確認するように訊ねてきたので、わたしは自分の感覚が間違っていなければと頷く。

「お前の見た奴、何色のパーカー着てたか言ってみろ」
「パーカー?……紫色」
「紫ぃ?ああ、もしかして一松と勘違いしてる感じ?」
「い、いちまつ」
「俺の弟ね。ちなみに俺はおそ松。そっちは?」

自然な流れで自己紹介を促されたので、つい名乗ってしまった。まあ、別に問題はないだろう。そこまで悪いひとにも見えないし。「へーなまえちゃんって言うんだ。いくつ?まだ若いのに酒なんて飲んじゃっていいの?ま、俺も未成年の時に飲酒も喫煙もしてたから、人のこと言えないけど」怒涛の勢いで話しかけてくるおそ松さんは、何やら大きな勘違いをしていた。

「こいつ成人してるぞ。つっても、今年の話だけどな」
「えっいやいや。……えっマジ?」
「え……ええと、一応」
「はあ〜……はあ、ほほう。なるほどねえ」
「おい、変な目で見てんじゃねえ。……そうだ、そんなことよりお前に確認しなきゃなんねぇことがあんだよ。主に四男のことでな」
「一松のことで?何?」

結局、チビ太さんが先ほどわたしの話したことをそのまま兄であるおそ松さんに伝えてくれた。正直、ここまで大事になるとは思ってもみなかった。まさかこんな場所でお兄さんに会うだなんて、想像もできなかったし。
しかしだ。確かに不可思議な事件ではあったけれど、こんな風に実の兄にまで訊ねるというか、相談するほどのことでもないような気がしてならない。わたしはただ、こんなことがあったんだよ〜、不思議だよね〜、みたいな、そんな軽い感じでチビ太さんに話を持ち掛けたつもりだったというのに。どうしてこうなってしまったの。あまり変な方向に話が進まないといいなあ。
話の輪が広がると踏んだのか、いつの間にかチビ太さんはおそ松さんの分のビールも出していた。今回の分のツケておくということなのだろう。本当、なんだかんだ良いひとだよね、チビ太さん。

「へー」
「お前長男だろ?何か分かんねえの?」
「一松はなぁ……うん、分かりにくい奴だよ」

ここで、おそ松さんがぐいっとビールを呷った。男らしい一気飲みである。わたしなら絶対無理。卒倒してしまうことが容易に想像できる。
それにしても、兄弟なのに何を考えているのか分かりにくいって。そういうこともあるんだなあ。言われてみれば、あの時の一松さんの目は眠そうというか何というか、思考の読み取りにくそうなものだったけれど。

「でもお前、相当なネコ好きだろ?その様子見て自分も飼ってるって予想したってこともあり得る」
「なるほど……その可能性もありますね。さすがですチビ太さん」
「へっやめろよ照れるじゃねーか」

指で鼻をこするチビ太さんは、そうは言いつつも満更でもなさそうだった。しかし「でもなー、なんっか引っかかるわ」という言葉が投下され、視線が発言の主おそ松さんに集中する。

「どうしたんですか?」
「まずあの一松が誰かにプレゼントするってことがおかしいんだよ。何故なら長男であるこの俺ですら何か貰った記憶がないからだ!」
「ええ……」
「基本ドライなんだよなあ」
「実は恥ずかしがりやとか」
「いや、ないね。なまえちゃん、あいつに何かした?」

ピシリと身体が硬直する。何かしたことと言えば、穴があったら入りたい、あのことしか思いつかなかった。そんなわたしの様子に気づいていないおそ松さんが「まあアレだよ、多分深い意味はない。だからあんま気にしない方がいーよ」と言った。どこか釈然としないものの、実の兄がそう言うのなら気にしない方がいいのだろう。もはや赤の他人であるわたしに理解できる範疇ではなかった。おそ松さんの言った通り、何か考えがあって行動したとも限らないし。
彼の言葉によって踏ん切りがついたわたしは、もういい時間だったのでお金を払って家に帰ることにした。すると「ええーっもう帰んの?もうちょっといたら?」なんて引き止める声が背中に投げかけられたけれど、明日も講義がある。寝坊しないためには帰った方が身のためなのだ。そのことを伝えて頭を下げてから帰路についた。

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