「そういえば、なまえは傷だらけだな」
「うん。ここに来るまで森を抜けたんだけど、そのときに木の枝で切っちゃったみたいなの」
「……村の外って、どんな感じなんだ?」
「別に、普通だよ。道路があって、車が走って、家があって、みたいな」
「この村はちょっと特殊だからな。……私も外に出てみたい」
「それじゃあ、今度わたしの家においでよ。森を抜けると橋があるんだけどね、そこの越えた333号線に沿っておじいちゃんとおばあちゃんの家があるから。ちょっと歩くんだけどね」
「……そうか。……いつか、いつかは行ってみたいな」
「大歓迎だよ」

 美耶子と友人になったなまえは、その日の門限までの時間を美耶子と過ごした。美耶子は自分のことを話したがらないので、主になまえが自身のことについて語った。言及したがらないのは家庭の事情があるのかもしれない、となまえは己の中で完結させる。不用意に触れるのは問題であると考えたのだ。
 そして気がつけば日が暮れ始めたので、帰らなければと腰をあげる。「もう帰るのか」そう言った美耶子の声は幾分沈んでいた。

「うん。そろそろ時間だから」
「……」
「寂しい?」
「なっ……そんなことはない! 自意識過剰だ!」
「そっかあ。自意識過剰かあ」

 図星と言わんばかりの態度に、なまえは思わず微笑む。「笑うな!」美耶子は照れたようにそう言う。なまえは内心かわいいなあと思いつつ美耶子の頭を優しく撫でた。その様相はまるで姉妹のようであった。
 やがてを手を下げて美耶子を見つめると、彼女は何か言いたげな面持ちをしている。

「美耶子ちゃん? どうしたの?」
「……いや、明日も……」
「ん?」
「……や、やっぱりなんでもない」

 どうやら美耶子はその続きを言葉にするのが恥ずかしいらしく、口ごもり俯いた。その光景になまえはまた笑んだ。「……わたし、明日も美耶子ちゃんと遊びたいなあ」なまえが先立ってそう告げると、美耶子は弾けたように顔をあげる。その顔のかわいらしさといったら! なまえは妹がいたらこのような感じなのかもしれないと考えた。

「……なまえがそう言うんだったら、遊んでやらなくもない」
「ほんと? それじゃあ明日も遊ぼ」
「いいぞ。私となまえは友だちだからな」
「うん。わたしと美耶子ちゃんは友だち!」
「あんまり大きな声を出すな! うるさい!」
「そんなこと言う美耶子ちゃんもかわいい!」
「うるさい! かわいくない!」
「うるさくないもん! かわいい!」

 なまえが家へ帰ろうと足を動かすまでそんな微笑ましいやりとりが続いたのであった。



 次の日。なまえは六時に起き、顔を洗うと祖父母と共に朝食を摂った。そして歯を磨き、靴を履き、また外へ飛び出す。「いってきます!」と挨拶をすることも忘れずに。
 慣れたような足取りで森の中を抜け、駐在所にいた石田にむ向かって手を振る。彼もまた微笑み手を振り返してくれた。「やあ、なまえちゃん。どこに行くの?」太陽のもとへ出てきた石田はのんびりとそう訊ねた。
 「昨日できた友だちのところです」嬉々としてなまえがそう言うと、つられて石田も楽しそうに笑う。

「もう友だちができたんだ。すごいなあ」
「そうでしょうか?」
「……でも、確かになまえちゃんみたいな子は友だち作るのがうまそうだ。人を惹きつける魅力があるのかな」

 石田は笑いながらそう言う。なまえはそれに照れつつ、「それじゃあ、石田さん。わたし、美耶子ちゃんが待ってるかもしれないので!」と返事も待たずに走り去って行く。そして慌てて思い立ったように振り返りさようならと手を振ると、彼もまた手を振り返してくれた。

「若いっていいなあ」

 石田はそう言いながら、小さくなっていくなまえの背を見つめていた。



 なまえは前日美耶子と出会った場所へ向かった。するとそこにはもう美耶子が立っていた。昨日の着飾った服装とは違う、黒いワンピースを着ている。
 「今日は昨日の格好じゃないんだね」そう問えば、美耶子は「外に出るからこっそり着替えてきたんだ。あの服は動きにくいから嫌いだ」と言った。

「そういえば昨日、あの服装が縛りつけてるって言ってたよね。もしかして、厳しいお家なの?」
「あいつらは私を神の花嫁としか思っていない」
「神? 花嫁……?」

 訳がわからないと言った顔でなまえは美耶子の言葉を繰り返す。うんうんと悩んでいると、ケルブが彼女の元へと歩み寄って来る。クウンと鳴いて擦り寄ってくる可愛さになまえは破顔した。そしてしゃがみこみ頭を優しく撫でる。擦り寄るその姿が微笑ましかった。

「……なまえはあんまり気にしなくていい。……もしかしたら、何かが変わるかもしれないし」
「? そっかあ」

「すずめの涙くらいの期待だけどな」今日の美耶子はとりわけなまえに理解ができないことを言う。なまえは頭の上に疑問符を浮かべるが、美耶子はそれ以上なにも話そうとしないので、特別追求することなく口を開いた。

「美耶子ちゃん、今日は何する?」
「……なまえは何をしたいんだ?」
「う〜ん……この村のことをよく知れる場所とかってあるの?」
「……この村の特徴的な場所といえば、教会だな」
「教会?」
「この村で信仰している宗教があるんだ。……できることなら、行きたくない。……でも、なまえが行きたいなら案内する」
「わたし、あんまりそういうのに詳しくないけど」
「それに教会は涼しいからな。暑い今の時期は心地いいかもしれない」
「わたしは涼を求む!」
「なら行こう」

 そしてふたりはひとの気配がない道を歩み、刈割の方面へと向かい歩き始めた。「ここら辺、誰もいないね」不思議に思ったなまえがそう言うと、美耶子は頷く。
「そういう道を選んでるからな」どうやら意図して人通りの少ない道を選択しているらしい。「どうして?」なまえが訊ねると、美耶子は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「……私は、あまり好かれてないんだ」
「えっ?」
「村の人間から遠ざけられているからな」
「……こんなにいい子なのに?」
「……そう言ってくれるのはなまえくらいだ」
「美耶子ちゃんは友だちだもん。当たり前だよ」
「……昨日、家を飛び出してよかったと思う。そうしなければ、今ごろなまえとも出会ってなかったしな」

 ありがとう、と呟いた言葉は、しかし確かになまえの耳には届いていた。照れた様相の美耶子になまえは微笑みを返した。
「それにしても、ほんとあっついねえ」蝉がみんみんとうるさく鳴いている。火傷を負いそうな日差しになまえは目を細めた。美耶子は「まあ、夏だからな」と当たり障りのない返事をした。

「今年は特に暑い気がするよ」
「そういう言葉って大抵毎年言うものだと思うぞ」
「そうかも」
「ふふ、」

 たわいのない話さえも面白かった。ふたりはくすくすと笑う。まるで幾年も昔に仲良くなったかのように。なまえはなにも疑問に思わなかった。ただ、鼓膜にこびりつく蝉の鳴き声のもと、ひどく居心地がいい時間に身を委ねていたのだ。

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