“何か”が異質であるという確信はあった。だが、“何が?”と疑問をぶつけられて答えを導き出すことは不可能だった。自分のことであるというのに、だ。必要不可欠な何かが足りない。絶対的な何かが足りない。そこまでは分かってはいるものの、しかし肝心の回答には辿り着けないのである。
 物心ついたときから宮田家に求められることを説かれ、今の今まで手を下してきた。人知れず手を汚し、葬り、“事故により亡くなった”ことにする。それだけのことを。
 けれども宮田は己に課せられた使命が気に喰わなかった。片割れは求導師として村民から慕われているというのに、何故己はこうも裏手に働き、手を汚さねばならないのかと。宮田にとって求導師という存在は、憎くありながらも羨望に値する立ち位置だった。

 寝苦しい夜だった。うなされるまではいかないが、不快な暑さである。そして宮田は幼い頃の夢をみていた。彼がみる夢は主に二つあった───何者かが助けを求める夢と、己の名を呼び合いながら何者かと親しげに遊ぶ夢だ。

「しろうくん」

 どうやら今日の夢は後者の方らしい。ずっとずっと昔からみているのと同じ夢。己の名を呼ぶ声が聞こえる。分かるのはその声の持ち主が少女であるということだけ。顔には靄がかかっているようで、見ることは不可能である。ただ、その声に、存在に、ひどく依存している己がいた。彼女が宮田以外の誰かの元へ行こうものならば激昂し、怒り狂うぐらいには。
 宮田は表情が乏しいながらも、その少女と楽しそうに遊んでいるのだ。よほど親密であることが伺える。現在の己では到底想像することができないほど親しげに。
 いわば心を開いていたのだ。彼女なら大丈夫であると、心のうちを吐き出しても拒絶されることはないと。確固たる自信があった。それは今でも変わりはしない。

「しろうくん。わたし、そろそろ帰る時間だよ」

 しかし、門限の時間が迫っているらしい。彼女がそう言うと、宮田はそのことに大層肩を落としていた。まるで彼女とまだ遊びたいかのように。離れたくないかのように。得体の知れぬ嫌な予感がしていたのもあったかもしれない。しかし引き止めると彼女を困らせてしまう。そのような思考に至ったがゆえに我儘を言うことはなく、大人しく従った。

「明日も来てくれる?」

 無意識に口を衝いて出てきた言葉。それに思わず動揺する。無理を言って彼女に嫌われてしまうこと、邪険にされることを恐れた。それほど彼女の存在は宮田の中で大きなものだったのだ。
 彼女はきょとんと目を丸くすると、満面の笑みで「もちろん!」と返した。たったそれだけの言葉だというのに、甚だ安堵している自分がいた。人知れず胸をなでおろす。
───しかし、その約束が果たされることはなかったのだ。

「嘘つき」

 家族を含め彼女は死んでしまったのである。不慮の事故によるものだった。誰も悪くはない事故。宮田は葬儀に参加していた。不思議と涙は出なかった。けれども心は泣いていた。内心は泣き叫ぶほどに、寂寞と悲しんでいたのだ。
 子どもながらに、どうにかすることができたのかも知れない、と思う。それこそ先ほどまで遊んでいた時は、おぼろげながらも、虫の知らせを感じ取っていたのだから余計に。なぜあのとき彼女を引き止めなかったのか、あと少し帰る時間が遅ければと、幾度思ったことか!
 常と変わらない宮田を周囲の人間は気味悪がった。

「あんなに仲良しだったのに」
「薄情なものね」
「きっと感情がないのだわ」

 無慈悲に囁かれている言葉は宮田の鼓膜を震わせていたが、彼はなにも言わなかった。言えなかったのだ。彼女の骨が埋まっている暮石の前に佇み、いつまでもいつまでもそこに立っていることで精一杯だったから。

「なまえちゃんは嘘つきだ」

 その声音だけは震え、悲痛なものであった。泣ければ少しは落ち着くのだろうか。何かが変わるのだろうか。けれどもまるで涙が枯れ果てたように身体はなにも反応も示さないのだから、行き場のない感情に支配される。ぎゅっと握りこぶしをつくる。眉根を寄せ、口元を引き結ぶ。そしてぎり、と歯を噛み締めた。



 ふと目を覚ました。じっとりと嫌な汗をかいている。宮田は額の汗を拭い、体を起こす。
 夢をみていたような気がする。大切な大切な彼女の。いつだって忘れたことはなかった。忘れられるわけがなかった。それほど己にとって大切な人物だったから。
 彼女は死んだ。もういない。その事実を今になっても享受できない自分はどこかおかしいのだろうか。過去に縋りつくことは悪いことなのだろうか。
 宮田は狂おしいまでに彼女のことを愛していた。子どもながらに彼女のことは好きだったが、今なお想い続けている感情は膨れ上がるばかりだ。彼女は死んだというのに、いつもどこかで彼女のことを探す己がいるのである。
「……」時間を確認すると四時だった。まだ眠れる時間ではあったが、眠気などどこかに飛んでいってしまった。宮田はベッドから出ると冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを取り出し飲む。汗をかいた身体は水分を欲していた。潤いを帯びた喉に息を吐く。

 ぼんやりと考えていた。彼女のことを忘れたことはなかったが、年を経ることによって少しずつ彼女の顔や声が記憶から薄れていくようで、宮田はそのことが恐ろしかった。忘れたくないのに、時がそれを許してはくれない。
 今でも彼女のことを想い続けているという女々しさに、思わず嘲笑がこぼれる。なぜ未だ死んだ者に囚われているのかと。けれども想いを断ち切ることはできなかった。

「……くそ、」

 つまるところ、宮田は二十年前に囚われていた。そのときから少しも前進できていなかったのである。

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