規則的な振動。コツコツという足音。なまえの意識が一瞬浮上した。しかし心地の良い体の揺れに、再び意識は夢の中へと落ちていく。
 そして次に気がついた時には、見知らぬ部屋の寝台に横になっていた。
 なまえは頭が真っ白になった。自分は確かに教会で眠っていたはずだと、そう考える。けれども、そういえば刹那的に意識が浮上したとき、誰かの体温を感じていたはずだと思い当たる。そこで、恐らくは誰かの手によってここまで運ばれてきたのだと悟った。だが、一体誰がこんなことをしたのか、皆目見当もつかなかった。
 身体を起こし、伸びをする。決して柔らかくない椅子や寝台に横になっていたぶん、身体のところどころがギシギシと軋んだ。
 そして寝台から降り立ち上がる。手持ち無沙汰に辺りを見渡してみると、同じ部屋にあった机に視線が釘付けになった。なんとなくそろりと近寄り見てみると、そこにはなにか調べ物をしたような印刷された紙が数枚置かれてある。興味本位で覗いてみれば、内容はなにやら“パラレルワールド”だの“異世界”だの“平行世界”だの、SF映画ちっくな言葉が羅列されている。

「……」

 なまえは、なぜか見てはいけないものを見てしまった気がした。
 ぴしりと身体を硬直させていると、ふいに部屋の扉が開く音がした。あわてて振り返れば、そこには宮田が立っている。常のその無表情は、今のなまえの眼にはなんだか大層恐ろしいもののような、そのようなふうに映った。
 そしてなまえは宮田の顔を見て、あることが記憶に蘇る。

「あっ! わ、わたし、先生のところに来るって約束……!」

 そう、その約束をすっぽかしてしまったことを思い出したのだ! 宮田はわあわあと慌てふためくなまえを一瞥し、部屋の中へと足を踏み入れ、先ほどまで彼女が横たわっていた寝台に腰掛ける。
 そして「約束を守らなかったのは別にそこまで気にしていません」と、単調な声音で言う。事実、宮田はなまえが約束を破ったことに関してはそこまで頓着していなかった。そもそも彼女がこの村を“訪れる”ことができているのならば、それだけで宮田は救われた居心地になるからだった。
 なまえは抑揚の少ない宮田の言葉にびくびくと縮こまる。彼女は宮田の話し方がどうにも苦手だったのだ。

「で、でも、先生は来てくださいって、……」
「貴女がこの村に来ることができているのならいいんですよ」
「……?」
「ただ、教会に行くのは控えてください」
「……ど、どうしてですか?」
「……」

 無言になる宮田に、なまえは言ってはいけなかったことを口にしてしまったような気がした。
「わ、わかりました。もう行かないようにします……」なまえは考えるより先にその言葉が口を衝いて出た。宮田はそんな彼女のことを静かに見つめている。ふたりの視線が絡んだ。なまえは奇妙な緊張感を抱き、じいっと見つめてくる宮田から目を反らせないでいた。
 するとやがて、しとしと、ざあざあと雨が屋根を打つ音が聞こえてきた。窓から外を見てみると、土砂降りだった。なまえは教会へ行く前の、どんよりとした曇り空を思い出す。やはり降ってしまった雨に、雨具を持って来なかったことを後悔していた。

「どこまで憶えていますか」
「え、っと、なにをですか?」
「……いえ。気にしないでください」
「……」
「傷も化膿している様子はなさそうですね」
「は、はい。先生が消毒してくださったので!」

 宮田はそこまで言うと立ち上がる。「雨具、持ってきていないんでしょう。傘を貸しますよ」そしてなまえに手招きをして部屋から出る。どうやら休憩室のなかにいたようで、外に出れば見覚えのある医院の中だった。
 外に出る玄関の傘立てにビニール傘が立っている。宮田はそれをなまえに渡した。

「これを貸します。……明日、返しに来てください」
「は、はい。わかりました」

 まだ16時くらいだというのに、外は夜のように暗い。分厚い雨雲が太陽を遮断しているせいか、空気も少し冷たかった。
 玄関から、二人で土砂降りの雨を見上げる。雨足は強くなる一方だ。遠くで雷がなっているのも聞こえる。

「送ることができれば良いのですが」
「いえ、そこまで迷惑はかけられません!」
「……ふ、」

 なまえが申し訳なさそうな顔で言ったその言葉に、宮田は小さく笑った。どこに笑う要素があるのか理解できなかった彼女は、首をかしげる。
「あの、宮田先生?どうされたんですか……?」おずおずとなまえが訊ねると、宮田はおもむろに彼女の頭を撫で、その指は耳をかすめた。びくりと肩を跳ねさせたなまえを見て、宮田は表情がないものの、どこか楽しそうな様相に窺える。なまえはといえば、宮田の指が耳をかすめくすぐったさに反応してしまったことに、顔を赤くしていた。

「やはり同じなんですね」
「?」
「……こちらの話です」

 宮田はしばしばなまえに理解できないことを話す。まるで昔から彼女のことを知っているかのように。けれどもそんなことはあり得ないのだ。しかし、なぜかなまえもどこか既視感を覚えていることにさらに頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「焦らなくてもいいです。少しずつでいいんですよ」宮田が再びなまえの頭を撫でると、なまえはどこか安心している自分がいることにも理解が追いつかなかった。
 そしてその日、なまえは今日遭遇した多くのことに疑問を抱きながら帰ることになったのだった。

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